熱海温泉を愛しすぎた徳川将軍がとった仰天の行動とは?【どうする家康】
家康ゆかりの湯
JR熱海駅の改札を出ると、左手に立派な足湯が見える。「家康の湯」だ。そう、いま大河ドラマ『どうする家康』で話題の徳川家康と熱海温泉は大いに関係がある。
家康は熱海温泉をたいそう気に入ったとされる。
征夷大将軍に就任した翌年(1604年)には、熱海で7日間の湯治を行ったという記録がある。2人の息子も同行して湯浴みを楽しんだという。
それ以外にもお忍びで熱海に通っていたという説もある。天下統一を果たすまでの道のりで疲労しきった心身を温泉で癒やしていたのかもしれない。
家康の湯治をきっかけに熱海温泉も人気を博すようになる。
それまでは静かな漁村だったが、「天下の家康が気に入った湯」というブランドを獲得したことで、各地の大名や武士などが熱海で湯治をするように。たちまち有馬温泉に匹敵する有名温泉地になっていった。
いまの熱海があるのは、家康のおかげともいえるわけだ。
温泉の「宅配」
熱海の湯の効能を肌で知っていたであろう家康は、温泉を見舞いの品としても贈った。京都で病気療養中だった大名の吉川広家に熱海の湯を見舞いの品として運ばせたという。天下人ならではの豪快な発想である。
この温泉の宅配が歴代の徳川将軍に引き継がれる「お汲湯」の始まりとなった。
病弱だった四代将軍・家綱は、熱海の湯を檜の湯樽に汲み、江戸城まで運ばせるよう命じ、これを恒例化した。温泉の効能にあやかろうというわけだ。
八代将軍・吉宗は8年間に3640樽を運ばせたというから、毎日のように熱海の湯につかっていたのかもしれない。
到着する頃にはいい湯加減に
熱海から江戸までは15時間。屈強で健脚な男たちが担いで運んだとはいえ、すごいスピードである。当時の熱海の湯は90度くらいの熱湯だったので、江戸に到着する頃には40度くらいの適温になっていたといわれる。
今は東京から熱海までは新幹線で40分ほどの距離。温泉が恋しくなったらいつでも入浴できる。せっかくなら家康ゆかりの温泉で熱海の湯を堪能してはどうだろう。
家康が湯治をした宿は、現在の日帰り入浴施設「日航亭大湯」の位置にあったとされる。
源泉かけ流しの塩化物泉が自慢で、湯浴み客の人気を集めている。家康ゆかりの湯で、歴史に思いを馳せながら入浴を愉しむのも一興だ。