人々と寒さとの戦い、暖房の歴史
冬の寒さは昔から問題になっており、人々はそれを乗り切るために様々な知恵を絞ったり、新しい機械を開発したりしていました。
この記事では、人々が冬の寒さを乗り切るためにどうしてきたのかについて紹介していきます。
火とともに始まった暖房の軌跡
暖房の歴史は、遠い昔、人類が「火」という奇跡を手にした瞬間から始まります。
およそ37万年前、北京原人が火を用い始め、炎は彼らの生活を照らし、温め、外敵から守る頼もしい存在へと変貌しました。
以来、火は人類の生活の幅を広げ、調理や暖房、照明にまでその恩恵が及んだのです。
時は進み、古代ローマでは建築家ゼルギウス・オラタが「ハイポコースト」と呼ばれる床下暖房を発明しました。
薪や炭火の燃焼ガスを床下に通すことで、室内全体を暖める技術は、寒冷地で重宝されました。
この暖房法はさらに進化し、対角線状に熱を室内へ送り込む「溝式床下暖房」へと発展します。
溝式は高い熱容量を誇り、長時間快適な温もりを提供し、ローマ帝国の浴場にも採用され、天井や壁にも熱が回ることで結露防止や断熱効果も期待されました。
18世紀になると、古代の技術に加え、新しい「温風暖房」や「蒸気暖房」も登場します。
ジェームズ・ワットが書斎に蒸気暖房を取り入れたのがその嚆矢であり、さらには温水暖房もフランス人技師ボンヌマンによって発明され、住宅に普及します。
19世紀には、高温水暖房が生まれ、加圧した温水で効率的な暖房が可能に。
そして近代へと受け継がれたこれらの技術は、現在の快適な暖房システムの礎となりました。
近代化とともに進んだ日本の暖房
古より日本の冬をしのぐ術、暖房の進化は実に人類の知恵の積み重ねでありました。
まず縄文時代、竪穴式住居にて人々は地面に穴を掘り炉を設け、火を絶やさぬことで寒さを凌いだのです。
奈良時代には火鉢という容器が生まれ、炉を手元に持ち込む発想により、暖かさをより身近に感じることが可能となりました。
そして室町時代には炬燵と行火が登場し、火を囲んで体を温める文化が定着したのです。
この炬燵というもの、火皿の上に布団をかけて体を丸める仕組みは、まるで温もりに包まれる「小さな世界」を具現化したようなものです。
鎌倉時代から江戸時代にかけては、火鉢が一段と美しく装飾されるようになり、単なる暖房具を超え、台所でお湯を沸かしたり、料理にも用いられ、実用性と美しさを兼ね備えた生活道具へと昇華していったのです。
このころ、火鉢は家の中央に位置し、炭のほのかな香りが家中に漂います。
風情溢れる冬の光景が目に浮かぶではないでしょうか。
明治になると西洋から新しい風が吹き込み、ストーブが日本に輸入されました。
しかし、時を経ても人々は囲炉裏や炬燵を手放さず、むしろストーブと共存するように生活に取り入れたのです。
昭和の時代に入ると、石油やガス、電気を使ったストーブが登場し、日本の家庭も次第に「暖房革命」を遂げたものの、それでもなお、炬燵や火鉢は消えることなく、人々の生活に寄り添っていたのです。
戦後の洋風化の波により、家屋の断熱性が向上し、火鉢に代わる形でダルマストーブやガスストーブが普及します。
オイルショック以降、さらに断熱化が進み、火を使わない暖房器具が増加したのです。
だが、火鉢や炬燵の柔らかな温もりには現代の機械暖房にはない「心地よさ」があります。
暖房器具の進化は、快適さとともに、その土地に生きる人々の生活様式や美意識をも表しているのです。
参考文献
辻原万規彦:住環境調整の歴史(その3)「暖房の歴史」熊本県立大学講義録 住環境調整工学第五回目, 2004.5