【諫早市】石橋で最初に国の重要文化財に指定された諫早眼鏡橋
「眼鏡橋」といえば長崎市にある眼鏡橋が有名ですが、諫早市にも眼鏡橋があるのはご存じでしょうか。
現在、国の重要文化財に指定されている石橋は全国で5か所ありますが、その中で最初に国の重要文化財に指定されたのが諫早眼鏡橋です。
そんな諫早眼鏡橋。長崎眼鏡橋と実は関係がちゃんとあるんです。
中央にくぼみがある眼鏡橋
諫早眼鏡橋は諫早駅から徒歩15分のところにあり、諫早公園の中に大きく二つのアーチを描きそびえ立っています。
眼鏡橋といえば長崎の眼鏡橋を想像される方が多いと思いますが、そのイメージで諫早眼鏡橋を見ると驚嘆されます。
私も毎回見に行くたびに思わず「でかい」と言ってしまうほどです。
諫早眼鏡橋は全長49.25メートル、幅5.5メートル。長崎眼鏡橋の2倍の長さになります。
長崎眼鏡橋との違いは大きさの他に、橋の中央にも。
長崎眼鏡橋は綺麗なアーチを描いていますが、諫早眼鏡橋には中央にくぼみがあります。
なんと石橋で中央にくぼみがあるのは、全国でも諫早眼鏡橋だけ。
一度イベントで諫早のゆるキャラたちが眼鏡橋の上で記念撮影をしました。全部で16体。
それでも余裕があるくらい大きく広いです。
また四季折々で違う姿を見せてくれます。
諫早眼鏡橋は越後長岡藩士が訪れています。
その時に諫早眼鏡橋を見て「諫早の眼鏡橋は日本一綺麗な橋だ」と記しています。
また長崎で最初の写真家、上野彦馬が撮影したと言われる諫早の名所の絵葉書。
その中に諫早眼鏡橋が紹介されていたり、数々の著名人たちに強い印象を残したのが諫早眼鏡橋です。
長崎眼鏡橋と諫早眼鏡橋はなぜ似ているのか
諫早眼鏡橋は当初、諫早公園の横にある本明川に設置されていました。
今ある眼鏡橋は移築されてのものです。
今から約180年前。
諫早市にある本明川は暴れ川と異名がつくほど、毎年のように洪水が起き、橋を作っても流されていました。
どんなに大洪水があっても微動だにしない石橋を作ることが諫早の最大の課題でした。
石橋を作る際にどこの橋が参考になるか九州各地の橋を調べに調べ、たどり着いたのが当時すでに建設から200年経っていた長崎眼鏡橋です。
実は長崎眼鏡橋も昔、中島川では毎年氾濫が起き、何度も橋を作っては流されていました。
中国から渡来した僧如定がその様子を見かねて石材で二連のアーチ型にする橋が最も強いと考え長崎眼鏡橋が出来たのです。
当時、土地を収めていた諫早家は二名の使者を長崎へ派遣し、長崎眼鏡橋の作り方を学ばせ、その技術を持ち帰らせました。
それまでは何度も橋を作っては本明川に壊され、生活に苦労していた諫早の人々。諫早眼鏡橋を作る際は、役人も職人だけでなく、僧侶たちや市民も一丸となって橋造りに取り掛かりました。
だから長崎眼鏡橋に形が似ているわけですね。
1838年(天保9年)に工事がはじまり、1839年(天保10年)に完成。
その年の8月12日に渡り始め式をしました。
当時たずさわった石工職人が永遠に壊れないようにと、未来永劫離れぬ永遠の愛を確かめ合う男女の春画を「まじない」として、外側から見えない橋の中央部分の石に彫ったといわれています。
そんな石工職人が思いを込めた「まじない」が今は違う形で引き継がれています。
未来永劫のまじないが今も引き継がれている。
諫早眼鏡橋は歴史がかなり奥深く、そちらばかり注目されていますが、実は恋愛のパワースポットとしても知られています。
未来永劫離れぬ永遠の愛を確かめ合う男女の画と永久不壊の「思い」を掛け合わせて、そう言われているのかもしれません。
また橋を渡り、上から中央の橋脚部分を見下ろしてみると、硬貨がたくさん落とされています。
実はこれは、諫早眼鏡橋に来た人たちが自ら落としていったものです。
橋脚の中央部分に硬貨を乗せると幸せになれるというジンクスが広がっている影響だそうです。
諫早眼鏡橋がある諫早公園には歴史が深い小さな橋がある
自然と幸せなスポットになろうとしている諫早眼鏡橋がある諫早公園には、眼鏡橋以外にも歴史が深い小さな橋があったり、五月ごろになると蛍が飛んだりと市民の憩いの場となっています。
ぜひお散歩気分で諫早の歴史を感じにきてください。
諫早眼鏡橋
国指定重要文化財
指定年月日 昭和33年11月29日
所在地 諫早市高城町770-2(諫早公園内)
アクセス JR「諫早駅」徒歩15分、島原鉄道「本諫早駅」徒歩10分
県営バス「諫早公園前」徒歩0分
営業時間 年中無休
駐車場 あり
アクセス JR諫早駅から徒歩15分
島原鉄道 本諫早駅から徒歩10分
県営バス 諫早公園前
取材協力 土木学者 デミー博士