イギリスとEUの相互不信は何が原因か。関税同盟と貿易の問題:イギリス・ブレグジットで
交渉が進むイギリスとEU
いま、ブレグジットに関して、イギリスと欧州連合(EU)が交渉の正念場を迎えている。
10月17日の欧州理事会(EU加盟国の首脳会議)まで時間がない。
AFP通信によると、ミシェル・バルニエEU交渉官は、10月14日日曜日、「まだやるべきことがたくさんある」と述べた。そして週末にロンドンとブリュッセルの間で行われた交渉を「建設的」と説明した。
バルニエ氏は、日曜日の夜には、ブリュッセルの27加盟国のEU大使に、進捗状況を通知したという。夕方遅くには、欧州議会との状況確認をし、火曜日にはルクセンブルクで、27加盟国のEU担当大臣と話をする予定だという。おそらくジョンソン英首相は、なんらかの譲歩をしたのだと言われている。
進展があったらしいイギリスとアイルランドとの協議内容も含めて、交渉の内容はなかなか伝わってこない。そんな中で筆者の目を引いたのは、ロイターが報告した「英、月内のEU離脱合意へ『縮小版』FTA提案」というものだった。
10月10日のニュースで、「イギリスは、10月末までの合意を実現するため『縮小版』の自由貿易協定(FTA)を提案している。スカイニュースが10日、関係筋の話として報じた。限定的なFTAを柱としたもので、ジョンソン英首相がアイルランドのバラッカー首相との会談で提案したという」というものだ。
やはり貿易交渉か、と思ったものだ。
もし貿易協定の話し合いをすることで10月末離脱を目指しているのなら、今までなぜバックストップで、イギリスが関税同盟に残ることでもめていたかを知る必要があるだろう。
欧州司法裁判所の管轄へ
まず、ジョンソン首相が行った新提案について、書いておきたい。
新提案は、北アイルランドはEUの関税同盟から抜けて、イギリスの領域に入ると宣言する一方で、「北アイルランドの人々が同意する限り、移行期間の終了後、アイルランド島全体で、潜在的に長期間にわたって継続的な規制の一致を提供します」とあった。
あのジョンソン首相がこのような妥協をすることに筆者はとても驚いたが、この妥協の法的な意味が気になったので調べてみた。
「The UK in a Changing Europe(変化する欧州におけるイギリス)」というイギリスの学術的研究団体がある。このサイトでジル・ルッター氏は「このルールは欧州司法裁判所によって施行されるのだろう」と述べている。
つまり、英領北アイルランドは、この分野でEUの欧州司法裁判所の管轄に入るのを了承したという意味になる。
これは、やはり大きな一歩だと感じる。
イギリスの経済的不利益
メイ前首相が「バックストップで、イギリスはEUの関税同盟に残る」と決めたのは、北アイルランドだけがEUの規則に準じるようなシステム(関税同盟や単一市場の大半)に残るという当初のEU案だと、ブリテン島とアイルランド島の間に境界ができて、イギリスの領土が分断されかねないからだった。
だからジョンソン首相は、北アイルランドもイギリスの関税地域に入ると宣言した。
でも問題は、それだけではない。非常に大きな経済問題があるのだ。
前回書いたように、フランスのEU担当大臣は「隣国が税金天国(租税回避地)になるのはごめんです」という内容の辛辣なことを言った。
確かに理論的には、このセリフは正しい。イギリスの港に世界中から合法・非合法の密輸品を問わずたくさんの物がやってきて、それが「不十分なコントロール」のせいで北アイルランド経由でアイルランドに流れてしまったら、次に着くのは主にフランスだ。
こうして物々は、欧州大陸のEU加盟国に広がっていく。アイルランドから欧州大陸に到着した船は、EU加盟国同志のために、コントロール無しなのだから。
でもそれを言うなら、イギリスが関税同盟に残ったら、イギリスも大きな経済的不利益をこうむるのだ。それはEUの「身から出た錆」ともいえる理由のせいだと思う。この対立と相互不信が、両者の溝を深くしてきたのだ。
これには、ややこしいEUの関税同盟を理解する必要がある。
関税同盟を知るには
関税同盟というのは、同盟を結んでいる国同志では関税がないこと、そして他の国々(第三国)に対して、同じ関税、同じ政策をもつことである。
EUというのは、関税同盟であり、単一市場である。しかし「EU単一市場」を学ぶための資料や機会は多くても、「関税同盟」は大変少ない。
なぜなら、EUを見ている分には、関税同盟が発展して今の単一市場になったのだから、わざわざ関税同盟を学ぶ必要がないからだ。
ところが法的には両者は別物で、この両者の専門的な違いが、いまのブレグジット問題の根幹をなしている。だから増々訳がわからなくなり、そのせいで日本語の報道が少なくなったのではと感じている。
しかし、ここを理解しないと、今の問題が見えてこない。
両者の違いを知る必要があるケースは、今まではトルコ研究のみだったと言えるだろう。トルコだけが世界で唯一「EU単一市場には入っていないが、EU関税同盟に入っている国」だからだ。
トルコが抱える大きな問題
以下、トルコの問題を解説したい。これはそのまま、イギリスがもつことになるであろう問題だからだ。
EUの関税同盟に入っていることで、トルコは大きな問題を2つ抱えることになった。
一つは、トルコは実質的にはEUに従わなくてはならないことだ。トルコはEU加盟国ではないので、EUが話し合っている場には参加できないからだ。色々と話し合いの仕組みはあるとはいえ、EUが第三国に対して決めた関税率に従うことになるのだ。
もう一つは、貿易の不平等の問題だ。複雑な話になるが、できるだけわかりやすく書いてみたい。
EUがB国と経済協定を結んだとする。B国からEUへの輸出品は、EU域内に出回ることになる。そうすると自然に、EUと関税同盟を結んでいるトルコにも出回ることになるのだ。
ただ、トルコは単一市場に入っていないので、コントロール無しで物が移動するわけではない。EU加盟国がトルコに物品を移動させて売るのには、証明書を取得しなくてはならない。これをATR(またはA.TR) 証明という。そして一度だけEU加盟国で通関手続きが完了すれば、トルコに関税なしで自由に物を移動させて売ることができる。
ところが、B国が協定を結んだのはあくまでEUである。トルコとは結んでいない。
そうすると、どういう問題が起きるのか。
B国とEUの間で「ある物品について、お互い関税をゼロにしましょう」と経済協定で決めたとする。B国からEUへは関税ゼロ、EUからB国へも関税はゼロである。
B国からEUに輸出したものは、前述のようにEUからトルコにも関税なしで出回る。関税同盟域内だからだ。
ところがB国は、EUからやってきた輸入品には関税ゼロでなくてはならないが、トルコからの輸入品には、例えば300%の関税をかけることは可能なのである。
これにトルコは、大いに不満であった。B国だけではない。EUが経済協定を結んだ国・地域とは、全部この問題が起こる。しかも前述のように、自分はEU加盟国ではないので、交渉や決断の場に参加できない。
このトルコの不満を受けて、EU側は相手国や地域に対して、「EUとの協定締結と共に、トルコとも協定(FTA)の締結を行ってください」と促す条項を入れるように努力するーーとなっている。これを「トルコ条項」という。
日本はEUと経済協定を結んだので、いまトルコとのFTAの交渉を進めている。トルコの立場に配慮している。今までEUは、韓国、ペルー、コロンビア等と経済協定を結んだ際に、共同声明に「トルコ条項」が含まれた。
でも、EUにとって「トルコ条項」を入れるのは義務ではない。またEUと経済協定を結んだ相手国・地域も、トルコとの経済協定を結ぶのは義務ではない。
相手国・地域は「自国産業を少しでも多く保護したいから、トルコからの輸入はしたくない」「自分に有利な条件を、わざわざ変える必要はない」「トルコとは色々と確執があるから嫌だ」と考えるかもしれない。
このような状態に業を煮やしたトルコは、2018年EU側に「原産地証明」の書類を提出させることにした。これは、EU産以外のものは受け付けない、あるいはEU産以外の物には関税をかけるという措置につながりうるものである。
そもそも、なぜこのような事態になったのか。
もともとトルコが関税同盟に入ったのは、将来EUに加盟する段階を踏むためだった。ところが実際には、トルコ政府が正式に加盟申請したのは1987年という昔のことで、32年間もおあずけとなっている。
EUに入ることは先進国になる証だと信じて国内改革を行ってきたトルコ人は、EUに失望しあきらめムードだという。EU側は色々に加盟できない理由をつけるが、結局はトルコが政教分離をしているとはいえ、イスラム教の国だからに他ならないとは誰もが思っている。ここに「民主主義」を旗印としてきたEUの限界や偽善が見られる。
イギリスはどうなる
さて、ここでイギリスである。イギリスは関税同盟に残ったら、今トルコが置かれているような立場になってしまうのだろう。
実際、「トルコの罠(Turkey Trap)」という語が、イギリスの大衆紙で取り上げられたことがあった。
2018年11月、メイ前首相が、「バックストップが発動したら、イギリスは関税同盟に残る」と決めたときのことだ。
当時外務・英連邦大臣だったジェレミー・ハントは、メイ首相が行ったEUとの合意は、イギリスを「トルコの罠」に追い込む恐れがあると警告したという。
つまり、EUとの関税同盟に残れば、30年以上もまともな貿易経済協定がまとまらないトルコと同じ目にあうのではないか、永遠に続く交渉になり、イギリスを辺境の国に追いやる可能性があると述べたというのだ。
この不信感は、まっとうなものだと思う。
確かに、トルコとイギリスの立場は違う。イギリスは自分で「離婚」を叩きつけておいて、良いとこ取りをしようとするのは無茶である。
でも、EUがトルコに対して行ってきた仕打ちは、眉を大いにひそめさせるものだ。EU側も十分自分勝手である。イギリス側の「不信」は、これまでのEU側の偽善的な行いにも原因があると感じる(もっともイギリスもEU加盟国として加担していたのだが)。
こうして「関税同盟」をめぐって、相互に不信感が高まっていってしまったのだった。
なぜバックストップで大喧嘩?
そもそもバックストップ問題で、こんなに大紛糾する必要はないともいえる。
バックストップ(防御策)というのは「2020年末までの移行期間終了までに、厳格な国境を回避する策が導入できない場合、バックストップを発動」という内容である。しかも、これは1−2年間なら延長できる。つまり、最長2022年末までが締切である(今のところ)。
要するに、2020年末(あるいは2022年末)までに両者が合意できれば、バックストップなど必要ないのだ。
メイ前首相とEU側は、このような内容を確認したはずだ。2018年11月25日に政治宣言を発布して、離脱後には包括的な自由貿易圏を目指す、バックストップは設けるが、その後の合意に置き換える決意に言及していた。これは法的効力のないものだし、内容が矛盾だらけとはいえ、お互い確認しあっていたはずだ。
それなのにここまで紛糾したのは、イギリス国内で強硬離脱派と穏健離脱派と残留派がぐちゃぐちゃになって争っていたこと、そして「期限までに合意などできっこない」と思わせるほど、EUとイギリスの相互不信が高まってしまったことが理由だと思う。
でもここで冷静になって、当初の予定に戻るべきなのではないか。
要は、2020年末はもう絶対に無理として、2022年末の期日までに、厳格な国境が回避できるような貿易協定を結べばいいのだと思う。時間的には極めて厳しいが、不可能ではないし、さらなる延長は政治合意があれば可能だろう。
もちろん、貿易協定で管理が必要なくなるわけではないが、色々な措置を考えることはできる。10月末までに、貿易協定の最低線の内容だけは確認することはできないのだろうか。
あと半月
ユンケル委員長は、9月19日に英スカイニュースで「もしすべての目標がそこにあるのなら、バックストップにはこだわらない」と言っている。それにEU側は、北アイルランドのバックストップに期限を設ける妥協についても、既に述べている。
おそらく残りの問題は、どれだけ本気で10月末の離脱を行う意志がEU側にあるかだろう。
あるEU官僚のセリフだが「イギリスの議会で延期を合法化したので、EU側には本気で妥協して話し合う姿勢が薄れてしまった。あれがなければ、相手を非難する余裕すらなく、もっと切羽つまって話し合っていただろうに」ということだ。
実際、バルニエ交渉官は先週、イギリスのEU残留派政党である自由民主党の幹部たちと会って話し合っている。
こういう様子が伺えたので、ジョンソン首相は「何がなんでも10月末に離脱する!」と、よけいに声を荒らげてEU側を「恫喝」する必要があったのだろう。
ジョンソン首相の提案が発表されたとき、EU側の最初の反応は「解決するべき技術的な問題がたくさんある」だった。その中にはここには書ききれなかったが、原産地問題やVAT(付加価値税・日本の消費税に相当)問題などは、大きいはずだ。
どのような内容を話し合っているのかは、近々明らかになるだろう。10月末まであと半月しかないが、依然として筆者は、何らかの合意に達するのではないかと感じている。