織田信長が黒田官兵衛に与えたという、刀剣「へし切」の数奇な由緒とは
東映創立70周年を記念し、織田信長と濃姫を主人公にした映画『レジェンド&バタフライ』が上映中である。今回は、織田信長が黒田官兵衛に与えたという、刀剣「へし切」の由緒について考えてみよう。
「へし切」は、織田信長が黒田官兵衛に与えた刀として有名だ。「へし切」が作刀されたのは南北朝期で、作刀した長谷部国重は、山城国(京都)の刀工として活躍した。名工の一人である。
「へし切」には、織田信長にまつわる有名なエピソードがある。ある日、茶坊主の観内という者が、安土城(滋賀県近江八幡市)内で信長に無礼を働いた。そこで、信長は観内を手討ちにしようとしたが、観内は逃げ出して膳棚の下へ隠れたのである。
そこで、信長は観内を「へし切」(刀を振り下ろすことなく、膳棚ごと刀で押し切った)にしたので、この刀は「へし切」と名付けられたという。相当な切れ味だったことがわかるが、実際にそこまで切れたのか、また観内の話は史実なのか不詳である。
のちに羽柴(豊臣)秀吉が黒田長政に「へし切」を与えたといわれているが、『名物三作』には後世の付箋が付いており、次のように記されている(現代語訳)。
「へし切」は、小寺政職(御着城主で官兵衛の主家だった)の使いとして、孝高公(=官兵衛)が信長に面会したとき、中国計略の恩賞として与えられたものであって、秀吉から長政公が拝領したものではない。
この付箋の記述によると、羽柴(豊臣)秀吉が黒田長政に「へし切」を与えたという説は誤りであると指摘されているが、いったいどちらが正しいのだろうか。黒田家旧蔵の『黒田家御重宝故実』には「へし切」の由来について、信長が如水(=官兵衛)に与えたと書かれている。
つまり、『名物三作』には秀吉が長政に与えていないと書かれているので、実際は信長が官兵衛に与えた可能性が高いといえるだろう。なぜ、秀吉が長政に与えたことになってしまったのかは不明である。
黒田家では「へし切」を「圧切御刀」と称し、「へし切」に豪華な打刀拵を施したうえで、後世に伝えたのである。現在、「へし切」は国宝に指定されており、福岡市博物館に所蔵されている。