ウクライナ、黒海の飛行をしないよう航空会社に勧告。クリミアに集まるロシア艦隊:空の安全の責任者は?
ウクライナは2月13日(日)に、翌日14日(月)から19日(土)まで、黒海の公海上空を飛行しないよう、航空会社に勧告した。
AFP/ル・モンドやロイターを始め、複数の欧州メディアが報道した。
月曜日以降、航空会社はこの地域上空を飛行せず、現在の状況を考慮して最適なルートを計画するようとの勧告であると、航空交通当局は述べた。
ロシア国営通信(RIA)の13日の報道によると、30隻以上のロシア艦船が、海軍訓練の一環として、クリミア半島付近で演習を開始したという。この演習を警戒してのものだと思われる。
参考記事:クリミアに向けてバルチック艦隊と北方艦隊がボスフォラス海峡を渡る。退避勧告を出さない仏独
ただ、ウクライナ政府は、同国の領空を避けるべきだという勧告は出していない。
「ウクライナ上空は開放されたままであり、国は航空会社のリスク防止に努めている」とインフラ省はFacebookで声明を出している。
また「領空閉鎖はウクライナの主権的権利であり、この意味での決定はなされていない」とも、大統領府、空港、ウクライナの航空会社の当局者が参加した会議後に、同省は述べた。
ウクライナ政府高官は13日(日)に、オランダの航空会社KLMオランダ航空(エールフランスの一部)がウクライナへのフライトを停止し、ドイツのルフトハンザ航空もフライト停止を検討しているように、ロシアの軍拡に対応してウクライナが領空を閉じるのは意味がないのだ、との見解を示した。
ほとんどの航空会社は運航を続けており、現在、国際線航空会社29社・34カ国からフライトを運航していると同省は述べている。
こんなに危険が声高に叫ばれているのに、なぜ上空のフライトを続けるのだろう。
ウクライナは、広い領土をもっている。ウクライナ領空を閉鎖すると、1日300本から350本程度に影響を及ぼすという。
欧州と東南アジア・南アジアの間のフライトには、重要で人気のあるルートなのだ。ウクライナ上空を通るのが最短ルートとなることが多く、通らなければ距離が長くなり、燃料費がかかるし、時間もかかる。特に燃料費が問題なのだという。
多くのヨーロッパ人には、忘れがたい事件がある。
クリミアが併合された年の夏、2014年7月に、アムステルダム発クアラルンプール行きのマレーシア航空が、ウクライナ東部の紛争地域の上空で撃墜、乗客283名、乗員15名の全員が死亡という、大変ショックな事件があった。
乗客の過半数はオランダ人で、日本人の犠牲者はいなかったので、日本では記憶に薄いかもしれない。
当初は、ウクライナと、親ロシア派の分離主義者の双方が、相手のせいだと非難していた。しかし、オランダ検察は、ミサイルは分離主義者が支配する地域から発射され、ミサイルと発射台はロシアから運ばれてきた物とする予備調査結果を発表した。国際捜査当局も、ミサイルはロシア軍の物であると、同じ結論に達した。
空の安全は誰が責任をもつのか
「空の安全の責任者」というのは、難しい問題である。
マレーシア機撃墜事件では、「誰に責任があるのか」が論争となった。
クリミア併合が起きてから事件が起きるまでの間、航空会社の4分の1はこのルートを避けることを希望していたが、4分の3は距離的な理由、つまり節約のためにこのルートを好んでいたのだという。
それではまず、空の安全の責任について、航空の国際機関で規則はないのだろうか。
自国の空域に責任を持つのは国家である。
国際機関は存在する。1944年に結ばれた「国際民間航空条約」、通称「シカゴ条約」というものがあり、これに基づいて設立された、国際民間航空機関(ICAO)という組織がある。193カ国が加盟している(2020年7月)。
しかし、この国際機関は勧告しかできない。国家が責任をもつのだと、シカゴ条約第1条に書かれている。
海の場合「無害通航権」というものがある。どこの国の領海も、どこの国の船舶も通過できる権利があるのだ(ただし、安全と平和を守り、国際法と沿岸国の法律を守った上で)。
しかし、空にはこの権利はない。条約締結国は、各国がその領域上空を、完全にかつ排他的に主権をもっているのだ。航空機は、船と異なり、その国の上空を知られずに飛行する権利がない。
国家は、自国の領土の一部、または全部の上空飛行を禁止することができるが、上空飛行に伴う危険性を国際機関ICAOに通知することになっている。
それでは事故が起きたウクライナの責任なのか。
2014年3月にロシアによってクリミア併合、ウクライナ東部で紛争が始まった。
ウクライナ政府は、同年7月1日にウクライナは8500メートル(28000フィート)以下の上空を飛行しないよう勧告し、3日後の7月14日には9800メートルまで警告を上げた。
撃墜されたマレーシア機が飛んでいたのは、上空1万メートルで、ウクライナ政府の勧告よりも200メートル上空を飛んでいた。
たとえ勧告を守っていたとしても、マレーシア航空機が撃墜されたので、マレーシア政府の責任は追及された。
国際機関ICAOによると、ドンバスは「安全とみなされる」地域とされていたという。そのためマレーシア首相は「ICAOが、同機の通過地域はいかなる制限も受けていないと示していた」と述べた。つまり、自分たちは国際機関のいうことを守っていたという反論である。
事故の翌年の10月、事故機の出発国であるオランダが主導した国際調査では、「ウクライナが予防的措置として、東部を閉鎖するべき十分な理由があった」とした。つまり、閉鎖しなかったウクライナには責任があるとしたのである。
しかし、ウクライナは辛い立場である。
国際社会でロシアのクリミア併合は認められていないし、ウクライナ自身も自国の領土だとしている。事件のあった東部上空も同様である。しかし、実効支配しているのはロシアである。支配できないのに、責任は問われるのだ。
もし北方領土で事件が起きたら、どうなるのだろう。
では、発着国には責任はないのだろうか。
事件の翌年の2015年4月、ドイツのメディアは自国の不備を報道した。
ドイツ外務省が出した外交文書には、高度6000メートル以上の地域で軍用機が撃墜されたとして、「心配だ」と記されていた。それなのに、その懸念を航空会社に知らせなかったという。この点がメディアによって明らかにされ、批判されたのである。
事件が起きたその日、ルフトハンザの3機もこの地域を飛行し、そのうちの1機は、撃墜機のわずか20分前に飛行したのだという。
この事件では、ドイツは発着国ではないが、この話は国内の連絡によって問題が起きる可能性があることを示しているだろう。
それでは、航空会社には責任はないのか。
これは大変難しい問題である。国によっても航空会社によっても事情は異なるだろう。
ただ飛行しないことを決める自由はあるという。
クリミアが併合されて、ウクライナ東部で紛争が始まって以来、韓国の大韓航空とアシアナ航空、台湾のチャイナエアライン、オーストラリアのカンタスは、東部を飛行していなかったという。
ルフトハンザや米国のデルタは飛行し続けていた。エールフランスは東部は飛行し続けたが、クリミア上空は飛行していなかった。
また、英国のブリティッシュ・エアウェイズは、ウクライナの上空飛行をロンドン-キエフ間の1日1便に限定していて、他の便は同国上空を飛んでいなかった。
ワシントン・ポストの記者は、毎日数千機の民間航空機が不安定な地域の上空を飛んでいると指摘した。もし、マレーシア航空機が撃墜されていなければ、それまでの実績から判断して、内戦が続いていたアフガニスタン上空を通過していたはずであると語った。
実際、2014年3月にクリミアが併合された後の4月初め、クリミアの上空を、欧米の航空当局が率先して制限、あるいは禁止する動きがあったのだ。それでも、各国・各航空会社で、対応は分かれたのである。
この事件には一つの謎がある。
事件にあったアムステルダム−クアラルンプール便がこの地域を通過するのは、少なくとも2週間ぶりだった。もっと南を通過するルートを取っていたのに、事件の日は、日課を変更して東部を通過したのだ。理由はわかっていない。
ただ、ニューヨーク・タイムズによると、墜落の数時間前、ロシアは墜落機が利用するはずだったウクライナ国境に近い4つの航空路を、閉鎖していたのである。そのため、事件の航路を取らなかった場合、どのように旅を続けることができたのかは不明であるというのだ。
このような過去の事件を考え合わせて、今回ウクライナが黒海上空を飛行するのを避けるべきだと勧告を出した意味を考えるべきだろう。
紛争リスク保険の問題
ウクライナの勧告があるか否かにかかわらず、ウクライナ上空の飛行中止を検討する航空会社が増えているという。
実際には、飛ぶ飛ばないは、保険が大きな要素の一つとなるようだ。
以下は、英デイリー・メールの報道である。
Avianewsは、ウクライナは近いうちに民間航空機の「飛行禁止区域」になる可能性があると警告した。
同国のインフラ省と、国際的な保険会社や航空会社との間で合意が成立しない限り、ウクライナは次第に航空交通が遮断されることになるという。
ウクライナのシュミハリ首相は、政府は領空を通過するフライトの継続を保証するために、166億フリヴナ(約681億円)を割り当てたと発表した。用途は発表していない。
首相は、この資金が「保険会社やリース会社にとって、ウクライナの飛行安全を確保する」と述べた。「この決定は、旅客航空輸送の市場の状況を安定させて、現在外国にいる我が国民のウクライナへの帰還を保証する」のだという。
ウクライナの保険会社Expoの代表であるAnatoliy Ivantsiv氏は、インターファクス通信に、保険大手のロイズ・オブ・ロンドンが、14日(月)からウクライナ領空上の、すべての紛争リスク保険を一時的に停止すると発表したことを明らかにした。
このような決定は、敵対行為勃発のリスク増大と関連するという。
保険の適用を取りやめるということは、ほぼすべての航空機をリースしているウクライナの航空会社は、ウクライナ上空を飛ぶことができなくなることを意味する。
ロイズが一時的に手を引いたことが、ウクライナの航空会社と、同国上空を飛ぶ航空会社、そして他の保険会社にどのような影響を与えるのか、注視が必要だ。
ウクライナ政府は、侵略の恐れと、国内に入ろうとする殺し屋や破壊工作員の脅威から、ロシア国民の入国を禁止したと報じられている。
何だか色々とわからなくなって頭が混乱してきたが、それは別の稿に改めることにする。
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最後に余談だが、この原稿を書いていて筆者が一番胸をつかんだのは「ウクライナ国民の母国帰還」である。
戦争が起こるかもしれないのだから、同国から逃げるとか、外国にいるなら危険だから帰らないと考えるのが普通かもしれない。でも、自分の国で戦争が起こりそうだから祖国に帰るのだ。それは、滞在国で永遠に合法的に住めるかわからないといった、実務的な問題以上のものだろう。
『風と共に去りぬ』で、スカーレット・オハラが、激戦が行われた場所のすぐ近くにある実家タラに、「私は家に帰るの! 邪魔する奴は殺してやる!」と叫んで、本当に帰ったように。
自分の位置と、私が出会った数々のウクライナ人たちの顔を思い出して、胸が苦しくなった。