サッカーはプレビューよりレビューの方が面白い。4−2−3−1の興隆が示す、歴史を知ることの重要性
ブラジルW杯に出場する32ヶ国の半分以上が、メインの布陣として4─2─3─1を採用している。オプションとして考えている国を含めれば、その使用率は全体のおよそ3分の2に膨れあがる。
98年フランスW杯で、4─2─3─1を使用したのはオランダわずか1チーム。4─2─3─1はこの16年の間に、マイナーから世界のトップへ駆け上がったことになる。
98年のオランダ以前にも、これに似た布陣を見ることはあった。ベンゲル時代の名古屋グランパス(95〜96年)も4─2─3─1に近い布陣だった。が、当時は、メディアに布陣を4分割で言い表す習慣がなかった。
「ウチの布陣は4─2─3─1です」と、初めて自ら公言したのは、98年W杯のオランダ代表監督、フース・ヒディンク。彼自身が、誰よりも先に4分割表記で言い切ったところに大きな意味があった。その結果、ヒディンクは4─2─3─1を最初に提唱した人物として位置づけられることになった。
ちなみに、名古屋グランパスが、最初に手を伸ばしたのはベンゲルではなく、ヒディンクだった。彼との交渉が最後の最後で破算になり、ベンゲルに落ち着いたという話だが、もしその時、ヒディンクが名古屋の監督になっていれば、4─2─3─1は日本を発信源とした布陣になっていた可能性がある。
この記事は有料です。
たかがサッカー。されどサッカーのバックナンバーをお申し込みください。
たかがサッカー。されどサッカーのバックナンバー 2014年4月
税込550円(記事3本)
2014年4月号の有料記事一覧
※すでに購入済みの方はログインしてください。