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【熊本地震】被災地を訪れて〜いざというときの砦・庁舎の建物を守ろう

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
宇土市役所

市民体育館が市役所に

宇土市役所は、14日夜の地震での損傷を受け、耐震診断結果の低さを理由に、翌日、別館に庁舎機能を移していました。その後、16日未明の地震で4階が崩落し、別館にも危険が及んだため、市役所裏の駐車場で業務を継続した後、18日から市民体育館に機能を移動したそうです。早期に待避したことで、一人の犠牲者も出なかったことは幸いでした。

臨時市役所となっている市民体育館は、幸い、地震前に耐震補強を終えており、天井も撤去してありました。また、コンピュータのサーバー類は無被害の別館にあったそうで、パソコンを利用した業務は滞りなく行われていました。とは言え、庁舎を失った市役所では、業務が遅滞し、被災市民の救済業務が停滞してしまいます。

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建て替えを予定していた宇土市役所

市役所は、特徴的な構造形式の建物で、耐震補強も難しいとの判断で、建て替えを前提に、前震当日の14日昼に庁舎建て替えに関する市民アンケートを発送したところだったそうです。まさにそのときに、強い地震の揺れが襲いました。敷地内にある防災科学技術研究所の地震計は、本震の882ガルの加速度を記録していました。

市役所周辺の建物の被害は小さく、唯一、市役所だけ大きな被害を受けていました。崩落した4階には建設部局が入っていたそうです。このため、復旧に必要となる重要な資料が取り出せなくなっています。万一、16日の地震が昼間に発生し、前震も無かったとしたら、多くの市役所職員が犠牲になっていたと想像されます。

遅れる市庁舎の耐震化

宇土市では、小中学校や体育館など、市民が利用する施設を優先して耐震補強をしていたそうで、市職員が利用する築50年の市役所庁舎については、市民感情を考え後回しにしていたそうです。また、予定していた合併話が頓挫し、合併特例債が利用できなかったことも、建て替えが遅れた理由のようです。

消防庁の調査によると、地方公共団体が所有又は管理する防災拠点となる公共施設等の耐震率は、2014 年度末の時点では88.3%でした。施設別では、文教施設(校舎・体育館)が94.6%に対し、庁舎 は74.8%に留まっています。耐震化が進んでいる都道府県は、東京、静岡、三重、愛知、神奈川、遅れているのは、広島、北海道、愛媛、山口、奈良です。

文教施設に対する国の補助の手厚さに比べ、市庁舎の耐震化に対する補助が無いことも原因の一つだと思われます。国土強靱化や地方創生が叫ばれる中、安全な地域作りは最重要課題のはずです。自治体の庁舎耐震化に対する国の補助を考える必要がありそうです。

官庁の耐震安全性

官庁施設に対しては、2007年に官庁施設の総合耐震計画基準が定められました。ここでは、施設の重要度に応じて、I類、II類、III類に分類し、それぞれ、建築基準法に定める耐力に対して、1.5倍、1.25倍、1倍の強さにすることを求めています。市役所の本庁舎などはI類とすべき官庁施設だと思われます。

なお、地域によって、地震地域係数が定められており、東京、大阪、愛知などは1.0、新潟、島根、高知、熊本の一部、大分の一部、宮崎は0.9、山口、福岡、佐賀、長崎、鹿児島、熊本の一部、大分の一部などは0.8、沖縄は0.7となっています。静岡だけは、静岡県建築構造設計指針により独自に1.2と定めています。

ちなみに、宇土市の地震地域係数は0.8です。建設当時には重要度係数もなかったと思われます。実は、1981年の新耐震基準では、建物の上層階の揺れを大きくすることを求めるようになりました。宇土市役所のような5階建の建物だと、4~5階では、地震力を1.5~1.8倍割り増すことになります。現行の耐震基準では、壊れていない建物を前提に設計をしており、強い揺れに対しては、多少の損傷はしても建物が倒壊せず、人命を守れば良いことになっています。前震で損傷を受けた後に強い本震の揺れを受けるようなことは想定していません。

こういったことを換算すると、50年前の設計である宇土市役所の場合には、最近の庁舎建築に比べ、1/3程度の荷重で設計をしていたことになります。宇土市役所は、正面側は柱が多く、裏側は壁の多いコアとなった平面計画のため、捩れやすい構造になっており、さらに連続する強い揺れが襲い、上層階の崩落へと繋がりました。

耐震診断では、このようなことをチェックし、耐震改修により、最近の庁舎と同等の安全性に向上させることを目指します。官公庁施設の耐震化を急ぎたいと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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