ビジネス書の書評やレビューはすべきではない! 自分を成長させる「ビジョナリー読書」について
高度情報化時代が「評論家マインド」を醸成する
私は企業の現場に入って目標を絶対達成させるコンサルタントです。本業はコンサルティングですが、セミナー講師や講演を依頼されることも多くあり、過去6年以上、年間100回以上、人前で話す機会があります。
金融系シンクタンクや研修機関でセミナー講師をするとき、だいたい決まってセミナー後は受講者がアンケートを書く決まりとなっています。これは、その講師が満足のいくレベルの講義をしたかどうか、主催者側がチェックするためのものです。
しかし、企業研修や講演をするときもアンケートをとられるケースがあります。5段階評価でこの講師の話はためになったか。今回のセミナーは自分の仕事に役立つか、と受講者に書かせるのです。
主催者側がそのような視点を持つのはかまいません。しかし講師本人もしくは講義の内容の「品定め」をする思考になるため、セミナー受講者たちがアンケートを書くのはできる限りやめたほうがいいと私は考えています。
よほど講師選びを間違えたとしても、たとえ90%以上が参考にならない話であったとしても、受講者にとって何か気付きはあるはずです。その気付きを言語化して、今後の自分にどう活かすかは本人の捉え方次第。そのことを宣言させたほうが有意義なのです。
セミナーや講義の内容が自分にとってプラスかどうかではなく、今回の講義内容に触れてどう活かすかを考えること、そのプロセスそのものが有意義である、ということです。批評家の視点でばかり物事を考えていると、主語を「私が……どうするか」という視点で考える思考パターンをなくしていってしまうからです。
巷にあふれるニュースソースに対しても、自己流で批評する人が増えました。ネットに投稿できる仕組みがたくさんあるのでついつい口を出したくなる気もわかりますが、プロの評論家ならともかく、素人がやり過ぎると「評論家マインド」が醸成されていくだけです。これは高度情報化時代の弊害だと言えます。
なぜ書評やレビューをアウトプットすべきでないのか?
読書も同じことと言えます。
対外的に「書評家」を名乗っているのならともかく、読んだ本のレビューや書評ばかりしていると「評論家」「コメンテーター」の思考パターンが身につくおそれがあります。
客観的に物事を分析するスキルはビジネスにおいて重要です。しかし比較対象をふんだんに知っていたり、その書籍が書かれた前提、背景、類書の系統、現在の出版業界の特徴などを知らないで評論すると、穿(うが)った見方がクセになります。
典型的な例は、「以前から知っていることしか書かれてなかった」「他の本にも書かれてあることばかりで新鮮味に欠けた」というレビューです。プロの書評家の視点で語るのなら、このレビューは正しいのですが、一般的なビジネスパーソンがこういう評論家マインドを持つことはおススメしません。
上司に、
「この本を読んでみろ。すごく役立つことが書いてあるから」
と勧められて読み、
「読みました。でも、目新しいことはあまり書かれてませんでしたね」
と部下がコメントしたらどうでしょうか。
「確かにそうかもしれないが、その本に書かれていることを、君はできているのかね?」
と上司は言い返したくなるかもしれません。批評するクセが身についてしまうと、何のためにその本を勧められたのか、相手の「意図」を理解できなくなるのです。
ビジョナリー読書とは?
自己研鑽するのに、本は素晴らしくリーズナブルなツールだと私は考えています。よほどのことがない限り、(比率はともかくとして)どんなビジネス書を読んでも自分の人生やビジネスに参考になることは書かれているものです。
将来の展望や、自分のなりたい姿を明確化し、夢をかなえるため、自分を成長させるために読書を積極的にしてもらいたいと私は考えています。このようにビジョン実現のためにする読書を、私は「ビジョナリー読書」と呼んでいます。
「ビジョナリー読書」のやり方は、マッキンゼー流フレームワーク「空・雨・傘」を使います。「事実」→「解釈」→「行動」の手順で思考のメンテナンスをするのです。
具体的には「引用」→「気付き」→「宣言」の構成です。
たとえば大ベストセラー『嫌われる勇気』を読んだとしましょう。書評やレビューであれば、全体を読んだうえで要約文を記し、書籍の価値、誰のために役立つかなど書評家の視点で批評することでしょう。しかし「ビジョナリー読書」では、自分の成長、ビジョン実現のために本を読むので、引用する箇所は限定されていいのです。
たとえば、こうです。
・劣等感は、主観的な思い込み
・自慢する人は、劣等感を感じている
・健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく「理想の自分」との比較から生まれるもの
・「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない
と『嫌われる勇気』には書かれています。
――ここまでが「引用」。
そして「引用」から「気付き」を記します。
私はついつい他人と比較して劣等感を覚えてしまうが、自分のなりたい姿とのギャップに意識を向けて「自分の理想の姿と比較してまだまだ自分は足りない、劣っている」と受け止めるべきだと思いました。
――ここまでが「気付き」。
そして最後に「宣言」です。「気付き」だけでは、何も変わりません。せっかくですから、抽象的でもいいので、今後どのようにこの「気付き」を活かしていくのか「宣言」として言語化します。
そのため、まずは自分の「なりたい姿」「理想の姿」といったビジョンを明確にし、手帳に書いてたまに見返していこうと決めました。
――ここまでが「宣言」
実務書であれば、実務に「役立つ/役立たない」がハッキリします。しかし現代の大半のビジネス書は「自己啓発的ファクター」が多分に含まれているため読んで「自分にとって何ひとつ気付きがなかった」ということはないはずです。
「相手の立場に立って考えましょう」「お客様には真心をもって接しましょう」などと、使い古された言葉であったり、他の本にも書かれていることしかなかったとしても、「やはり大事なことだな」「自分にはまだ足りないところがある」などと肯定的に受け止める。この思考のメンテナンスが重要です。
積極的に本を読み、自分の成長のため、ビジョン実現のための「ビジョナリー読書」を私は勧めます。「ビジョナリー読書」に馴れれば、本の選び方、読み方、アウトプットの仕方が変わってくることでしょう。