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東京拘置所に移送された相模原事件・植松聖死刑囚からの手紙とやまゆり園検証委員会報告

篠田博之月刊『創』編集長
東京拘置所の植松聖死刑囚から届いた手紙(筆者撮影)

東京拘置所から送られてきた手紙

 相模原障害者殺傷事件の植松聖死刑囚から5月19日付と26日付の2通の手紙が届いた。周知の通り、彼は横浜地裁で3月16日に死刑判決をくだされ、弁護人が控訴したのを30日に自ら取り下げて死刑を確定させた(31日午前零時付で確定)。そして4月7日に刑場のある東京拘置所に移送されたのだった。このあたりの経緯については以前、ヤフーニュースの下記記事に書いた通りだ。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200408-00172150/

相模原事件・植松聖死刑囚が刑場のある東京拘置所へ移送。最後に本人から届いた手紙は…

 4月8日に東京拘置所を訪ねたが既に接見禁止になっていたため、現金を差し入れた。手紙はそれを受け取ったという礼状だった。死刑確定者とは面会も手紙のやりとりも禁止になるのだが、裁判所の許可を得て一部の例外は認められる。

 4月8日の差し入れの礼状が1カ月以上経って届いたのは、手続きに時間がかかったことと新型コロナの影響だろう。緊急事態宣言下、拘置所は一般面会中止など対応に追われ、5月下旬にようやく再開への動きが始まった。

 死刑確定者と接触するのはなかなか難しいのだが、私は、連続幼女殺害事件の宮崎勤元死刑囚とは執行直前まで連絡をとっていた。植松死刑囚についても、様々な試みを考えている。真相解明が不十分なまま一気に風化しつつあるこの事件を、これで終わらせてしまってはならないと思うからだ。

 裁判が終わった後、日本列島はコロナ問題に覆われ、相模原事件など遠い昔の話のように風化しつつある。裁判が行われていた間は新聞・テレビも横浜支局の記者らを中心に取材チームを組んでいたが、終了後多くの記者が異動し、継続して事件を追っている記者はほとんどいなくなった。

 ただ障害者問題に関わってきた多くの当事者たちにとっては、この事件はいまだに深刻に語られている。決して風化させてはならない事件だ。

やまゆり園の障害者支援についての検証委員会報告

 そうしたなか、5月18日に神奈川県が「津久井やまゆり園利用者支援検証委員会中間報告」を発表した。もともと3月に出る予定だったのが、コロナ問題の影響で発表が遅れたものだ。しかも第三者委員会が検証した内容をもとに、当のやまゆり園側にヒアリングを行い、それを踏まえて最終報告が出るはずだったのが、何とそのヒアリングがコロナの影響でできなかったという。そのために「中間報告」として出されたのだが、検証委員会は改組され、やまゆり園の検証は少し違う形で今後も継続されるという。

やまゆり園検証委員会の報告書(筆者撮影)
やまゆり園検証委員会の報告書(筆者撮影)

 裁判ではほとんど触れられなかったが、植松死刑囚が、障害者を支援する立場でありながらどうしてあのような逆の考えに転化していったのか。それがこの事件の解明すべきポイントだ。その意味では、裁判で明らかになった植松死刑囚の支援のあり方や、やまゆり園で彼が何を支援しどんな体験をしていたか検証せねばならない。

 その意味でこの検証委員会報告には期待していただけにちょっとガッカリだが、この中間報告については6月10日発売の月刊『創』7月号(通常は7日発売ですが、コロナの影響と土日がかかるため10日発売になります)で詳しい分析を行っている。ここでは簡単に書いておくが、実はこの支援のあり方の検証は大事なことだ。

 裁判で事件当時の職員の調書が何通も朗読され、事件現場がどういう状況だったか明らかになったのだが、植松死刑囚が押し入った時、施錠されていた部屋が結構あって、結果的にそこの利用者が助かっていた。例えば、当時「いぶきホーム」に勤務していた職員のこういう証言だ。

《いぶきホームには合計20名の利用者がいました。そのうち、709号室の利用者については、自閉症の傾向が強く、部屋から外に出て物を壊したり、落ち着かなくなったりするので、私が部屋の施錠をしておきました。また704号室、707号室、710号室については、通常利用者が部屋の中から鍵をかけていましたので、今回の事件の時も鍵をかけていたと思います。それ以外の部屋については、施錠されていなかったと思います》

《いぶきホームでは、今回の事件704、707、709、710号室については、私もしくは利用者が施錠していましたが、その他の部屋は施錠していなかったところ、施錠していない部屋はすべて植松に刃物で切られたり、刺されたりして、殺されたり、ケガを負わされたりしました》

 

 施錠していたかどうかが犠牲者たちの運命を分けてしまったのだが、実は今回の「中間報告」にあるように、施錠は「自分の意思で開けることのできない居室等に隔離する」という行為として「身体拘束」にあたるものとされている。やまゆり園ではそれがどんなふうに行われていたのかも検証の対象項目なのだ。原則禁止である「施錠」がなされていた部屋の障害者が助かり、そうでない部屋が深刻な被害にあったというのは、何とも皮肉で痛ましい現実だ。でもこのあたりは施設における支援のあり方として検証しなければならないところだ。

 それは同時に植松死刑囚が日常的にどういう障害者支援活動に従事していたかを解明する作業にもつながっていく。

動機形成の背景として判決も「施設での勤務経験」を指摘

 3月16日に出された死刑判決は、大半を植松死刑囚の刑事責任能力についての考察に費やしているのだが、事件についてはこんなふうに認定していた。

《本件犯行の動機は、被告人自身の本件施設での勤務経験を基礎とし、関心を持った世界情勢に関する話題を踏まえて生じたものとして動機の形成過程は明確であって病的な飛躍はなく、了解可能なものである。》

 動機形成の要因として、やまゆり園での勤務経験と、トランプ大統領候補の言説のふたつをあげているのだ。ただ判決はそれについて考察することなく、「勤務経験を基礎とし」という曖昧な表現で片付けられてしまっている。

 事件解明のポイントのひとつでもある植松死刑囚の勤務経験については、もう少し細かい検証がなされ、そうした活動の中でどうして彼が障害者への差別的感情に傾いていったのか明らかにされなければならない。

 『創』では今後も、凄惨なこの事件の解明を進めていくつもりで、そのためにも植松死刑囚との接触を続けたいと思っている。自ら控訴を取り下げていることもあり、死刑執行はそう何年も経たずに行われる可能性が高い。

 なお、横浜地裁での裁判の詳細な報告や、やまゆり園の障害者支援の実情などについて、この6月に1冊の本を出版する予定だ。2018年に刊行した『開けられたパンドラの箱』は今でも多くの人に読まれているが、新刊は『パンドラの箱は閉じられたのか』という書名で、副題はこう付けた。「相模原障害者殺傷事件は終わっていない」。まさにこの事件を今のまま終わらせてはいけないと思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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