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山ちゃんはあきらめなかった!名人候補・山崎隆之八段(39)順位戦史上最長23期を経て初のA級昇級決定

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成・写真撮影:筆者)

 2月4日。東西の将棋会館にわかれてB級1組順位戦12回戦がおこなわれました。

 昇級争い1番手の山崎隆之八段は久保利明九段に敗れました。

 しかし3番手の郷田真隆九段が松尾歩八段に敗れたため、山崎八段の昇級が決定しました。

 2月14日の誕生日で40歳となる山崎八段は、史上最長の順位戦参加23期目にして、初のA級昇級を決めました。

山崎隆之八段(9勝2敗)●-○久保利明九段(5勝6敗)

 勝てばA級昇級の山崎八段。なんと初手に端9筋の歩を突きます。対して残留を目指す久保九段。2手目に端歩を突き返します。漫画ではなく、プロの公式戦が端歩の突き合いから始まる例はほとんどありません。しかし両者の前回の対戦では、その異例のオープニングが見られました。それがまた本局でも再現され、大一番の幕が開きました。

 序盤の駆け引きの中、振り飛車党の久保九段は向かい飛車に振ります。対して山崎八段は玉を右へ移動し、さらには三段目へと押し上げ、上部へと盛り上がっていきます。なんともロマンあふれる構想でした。もちろんそれは山崎八段の腕力があればこそで、普通の人が指せば、あっという間に空中分解して終わってしまうかもしれません。

 夜戦に入って、久保九段は鋭く攻めていきます。久保九段ペースかとも思われたところから山崎八段も盛り返し、勝敗不明の終盤戦へと入りました。

 99手目。山崎八段は決断を迫られます。寄せ合うか、それとも自陣に龍(成り飛車)を引きつけて粘るか。持ち時間6時間のうち、残りは両者ともに30分。時間が切迫する中で、山崎八段は2分考え、粘る順にかけました。しかしこの選択は運命の分かれ道だったようです。

 久保九段は切れ味抜群の攻めで山崎玉に迫っていきます。山崎八段が銀を打って粘ろうとするところ、久保九段は5分の考慮で飛車を切り捨て、あっという間に寄せ形を作りました。ネット中継を見つめる全国の山崎ファンからは、悲鳴とため息がもれるような場面でした。

 最後は山崎玉に受けはなく、久保玉に詰みはない。万策尽きた山崎八段は投了し、124手で久保九段の勝ちとなりました。

 本局が終わる前に、山崎八段の競争相手である永瀬拓矢王座は行方尚史九段に勝っていました。

 また郷田真隆九段は松尾歩八段を相手に優勢。山崎八段の昇級は最終13回戦に持ち越され、郷田-山崎戦が昇級者決定戦になるのではないか、とも思われました。

郷田真隆九段(7勝4敗)●-○松尾歩八段(5勝6敗)

 郷田九段はA級復帰、松尾八段はB級1組残留を目指しての戦いでした。

 山崎八段とともに松尾八段はB級1組の在籍期間が長く、「B1の番人」とも呼ばれています。

 山崎八段、松尾八段ともにA級へ昇る実力は十分。昇級候補として、何度その名をあげられてきたか、数え切れないほどでしょう。しかし両者ともに昇級を逃し続け、B1に留まり続けてきました。

 今期B1。松尾八段は「番人」の名にふさわしく、開幕から6連勝と破竹の進撃を続けていた永瀬王座を止めました。また前節11回戦の松尾-山崎戦。これは今期順位戦全クラスを通じて、屈指の名局の一つに数えられるでしょう。

 郷田九段と松尾八段は過去に16回対戦し、郷田九段7勝、松尾八段9勝。拮抗した成績が残されています。

 松尾八段先手で、立ち上がりは矢倉模様。松尾八段が早い段階で積極的に動いたあと、両者互いに自陣を整備しながら序中盤が進みました。

 郷田九段が押さえ込みを目指したところで松尾八段が反発。それを見て郷田九段がカウンターで反撃し、本格的な戦いとなります。

 終盤戦。郷田九段は飛車を切って角と刺し違え、松尾玉を寄せにいきます。形勢ははっきり、郷田九段優勢となりました。

 しかし松尾八段は粘って中段へと逃げこし、決定打を与えません。日付が変わり、両者ともに持ち時間が切迫する中、勝敗のゆくえは混沌としていきます。

 全6局のうち、最後に残ったのがこの郷田-松尾戦でした。山崎八段は敗れたものの、競争相手の郷田九段が敗れれば昇級が決まります。ネット中継を見つめる全国の山崎ファンは、松尾八段の応援へとシフトしていたでしょう。

 筆者はZoomを通じて、山崎八段を応援する熱烈なファンの方たちと観戦していました。

「もちろん山崎先生が勝って昇級するところを見たかった。でもこの際、どんな形でもいいからA級に上がってほしい。松尾先生、お願いします!」

 そんな声も聞かれました。

 深夜の順位戦。最後はもう、指運(ゆびうん)の勝負だったというべきでしょう。

 132手目。郷田九段が盤上中央の桂を成り捨てて王手をしていたら、郷田九段の勝ちで終わったかもしれません。しかし郷田九段は遊んでいる自陣一段目の桂を跳ねて活用します。いかにも郷田九段らしい格調高い指し手でしたが、本局の場合は逸機となりました。

 松尾八段は郷田九段の失着をとがめます。逆に中央の桂を取った手が、鮮やかな逆転劇を演じました。

 145手目。松尾八段は取った桂を郷田玉上部の歩頭に打ちます。これが見事な決め手で、郷田玉の死命を制しています。

 松尾八段は郷田玉を、きれいに詰ませました。

 深夜0時39分、すべての戦いが終わりました。そしてこの瞬間、山崎八段のA級昇級が決まりました。「B1の番人」の一人・松尾八段が、もう一人の番人・山崎八段の昇級をアシストする。作ったようなドラマチックな幕切れでした。

山ちゃんはあきらめなかった

 才能あふれる多くの棋士の中にあって、「名人候補」の呼び名はごく限られた天才にしか与えられません。西の山崎隆之、東の渡辺明は、その双璧でした。名人戦七番勝負の舞台で両者が頂点を争う未来を思い描いた人は多かったでしょう。

「名人候補が連勝中の対局だから、たとえC級2組であろうと、大阪に行って中継します」

 筆者は順位戦の中継を担当し始めた2003年、そうして初めて山崎八段(当時五段)の対局姿を間近で見ました。当時の山崎さんは最終的に22連勝という快進撃を記録します。しかし山崎さんはC級2組に6年も留まっていました。当時のインタビュー記事には、次のような言葉が残されています。

「この5年間、6年になりますが、正直何をやってきたのか、渡辺君(明五段)にも追い抜かれ、松尾さん(歩五段)にも追い抜かれ、どんどん後輩が出てきて、(苦笑しながら)僕は同じ位置にいて。何してるのかな」

(出典:『将棋世界』2003年10月号)

 このときの『将棋世界』誌のグラビアには、19歳で王座挑戦を決めた渡辺明五段、そして竜王戦本戦で勝ちを逃し、文字通り後ろにひっくり返っている山崎五段という、両天才の対照的な写真が掲載されています。

 山崎八段は将棋が強いばかりではなくイケメンです。ふてぶてしい面構えの渡辺現名人とは対照的で「西の王子、東の魔王」ともいわれ「この差はなんだ」と渡辺名人を嘆かせたこともあります。

 2006年の名人戦七番勝負第1局。山崎六段、矢内理絵子女流名人(肩書はいずれも当時)のコンビがNHK衛星放送の大盤解説を担当した際、今にまで伝わる名言が生まれました。

(次の手を予想しながら)

山崎「これで当たらなかったらもう・・・」

矢内「・・・なんなんでしょう」

山崎「矢内さんをあきらめます」

矢内「・・・なんかよくわかんない」(苦笑)

 筆者は現場に居合わせて「なんなんだ」と爆笑しました。番組中、矢内さんに本気で告白しようというわけではなく、サービス精神でそういうセリフが出たのでしょう(たぶんですが)。山崎さんはその後、ずいぶん経ってからも「全然知らない人から『あきらめないでください』って声をかけられるんですよ」とこぼしていました。

 山崎八段はC級2組を6年で抜けたあと、今度はB級1組で13年もの長い月日を過ごすことになります。その間に才能あふれる後輩はどんどん現れ、山崎八段を追い抜いていきました。

 羽生善治九段を中心とする黄金世代が長く君臨し続ける将棋界にあって、新世代は渡辺明現名人ただ一人が孤軍奮闘する形で対抗し続けます。

 山崎八段は棋戦優勝8回など、これまでに多くの実績を積み重ねてきました。しかしタイトル獲得、A級昇級には届きませんでした。 

 渡辺、山崎と同世代の橋本崇載八段は、山崎、松尾、阿久津、橋本の4人を「残念四天王」だと自嘲しました。羽生世代に対抗すべき逸材と思われたこれら4人の中で、山崎八段は「残念」と思われた筆頭かもしれません。

 山崎八段は昨年のB1、ついに降級のピンチをも迎えました。棋戦で優勝し、タイトルを争うような名棋士であっても、A級に昇級できなかった例はいくつもあります。山崎八段のA級昇級も、もう現実には難しいのではないか。そう思っていた人もいたかもしれません。

 そうした上での、今回の悲願達成でした。

 山崎八段は2月14日の誕生日で40歳を迎えます。そして史上最長の順位戦参加23期を経て、初めてA級に昇級することが決まりました。

 山崎八段のA級が決まった瞬間、深夜にもかかわらず、Twitter上にはファンからの祝福の声があふれました。それは2019年、木村一基九段が王位を獲得した時と同じような光景でした。

 藤井七段(当時)が史上最年少の17歳で初めてタイトルを獲得したこと。木村九段が史上最年長の46歳で初めてタイトルを獲得したこと。これらはどちらも大変な偉業です。

 将棋界には加藤一二三九段の18歳A級という、空前絶後の大記録があります。

 そしてもしかしたら藤井王位・棋聖は来年、19歳でA級昇級を決めるのかもしれません。

 しかしたとえそうなったとしても、順位戦参加23期を経て、四十代でのA級初昇級は、十代でのA級昇級に優るとも劣らない偉業だと筆者は考えます。

 山崎さん、A級昇級おめでとうございます。そして名人挑戦もあきらめないでください。筆者も一将棋ファンとして、あきらめない山崎さんを応援し続けます。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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