【逃げ上手の若君】南北朝時代の武将・北条時行の謎の前半生とは?時行の幼名は?
集英社の『週刊少年ジャンプ』に連載されている漫画「逃げ上手の若君」が2024年7月6日から、アニメとして放送されます。「逃げ上手の若君」の主人公は南北朝時代の武将・北条時行です。北条義時やその子・泰時、蒙古襲来を撃退した時宗なら知っているという人も多いでしょう。時行という人名に馴染みのない方もいると思います。そこで、ここでは時行について基礎的なこと、父母や生年・幼名などを先ずは確認してみたいのです。しかし時行に関する史料は少なくその生涯も不明確な点が多いのです。
前述したように、時行は鎌倉時代末から南北朝時代の武将です。その父は、鎌倉幕府の第14代執権を務めた北条高時。母は、高時の側室・新殿と言われています。時行は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で登場した北条義時や泰時の子孫なのです。時行の生年は不明ですが、鎌倉幕府が滅亡した元弘3年(1333)にはまだ年少でした。
鎌倉時代末から南北朝時代の動乱を描いた軍記物語『太平記』によると時行の幼名は「亀寿」と記されています。一方、南北朝時代に成立した歴史書『保暦間記』には時行は「高時の息・勝長寿丸」と記載されており、その幼名は「勝長寿丸」だったとします。また『梅松論』(南北朝時代成立の軍記物)には「高時の次男・勝寿丸」と記載されています。『太平記』の「亀寿」だけが、他書の「勝長寿丸」「勝寿丸」と比べて特殊です。
史料によって異なる時行の幼名ですが、時行の父・高時の幼名は「成寿(丸)」、高時の父・貞時の幼名は「幸寿(丸)」、貞時の父・時宗の幼名は「正寿(丸)」でした。父祖の幼名に「寿」という縁起の良い文字が付けられていることが分かります。よって時行の幼名に「寿」の文字が付けられていたことは確かだと思います。父祖の幼名と(文字数なども考慮して)比較するに時行の幼名は「勝寿(丸)」だったのではと筆者は推測します。縁起の良い幼名を付けられた時行ですが、その年少期は激変する時世に巻き込まれ、悲劇に見舞われることになるのです。