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凱旋門賞での武豊との再会を待ちわびるO・ペリエ。若き日の2人の逸話を紹介

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
武豊騎手とO・ペリエ騎手(2008年撮影)

大親友の日仏の名手

 「ユタカさんが日本のダービー馬で凱旋門賞に来るって?!」

 先日、オリビエ・ペリエからそう連絡が入った。

 最近、競馬を始めた若いファンの皆さんは「ペリエ」と聞いてもピンと来ない人もいるかもしれない。彼は凱旋門賞(GⅠ)3連覇をするなどしたフランスの名騎手で、一時期は毎年冬になると短期免許を取得して日本の競馬に参戦。2002、03年とシンボリクリスエスで有馬記念(GⅠ)連覇、その翌04年にはゼンノロブロイとのタッグで天皇賞(秋)(GⅠ)→ジャパンC(GⅠ)→有馬記念(GⅠ)をコンプリートするなど、大活躍。ついに凱旋門賞に手が届いたかと思えたオルフェーヴルを、ソレミアに乗ってゴール寸前差し切った(12年)のも彼だった。明るいキャラクターもあいまって日本にも多くのファンがいた個性派の名ジョッキーだ。

12年凱旋門賞で、オルフェーヴルをゴール寸前指し切ったソレミア(手前)に乗っていたのもペリエだった
12年凱旋門賞で、オルフェーヴルをゴール寸前指し切ったソレミア(手前)に乗っていたのもペリエだった

 そんなペリエと武豊は、互いに口を揃えて「親友」と言い合う仲。武豊騎手は言う。

 「プライベートでも仲良くしています。昔からフランスへ行った際は、家に招待されたり、食事に行ったり、本当に親友です」

ペリエもこの度の連絡に『久しぶりの再会が今から楽しみでならない』という様子がうかがえた。

 今回はそんな2人の、印象に残っている話を少しだけ紹介しよう。

中央で座っているのが武豊とペリエ。フランスでジョッキーが集まってホームパーティーをした時の一葉(2002年撮影)
中央で座っているのが武豊とペリエ。フランスでジョッキーが集まってホームパーティーをした時の一葉(2002年撮影)

怪我した時の2人の同じ思考とは

 話は丁度20年前。2002年にまで遡る。この年の2月、武豊は中山競馬場で騎乗していた。絶好の手応えで3コーナーを回り「好勝負になる!!」と思った次の刹那、鞍下のパートナーが何の前兆もなく故障を発症。天才ジョッキーは馬場に叩きつけられた。

 結局、骨盤骨折の大怪我で、休養を余儀なくされた。

 「沢山の仲間がお見舞いに来てくれました。当時、短期免許で来日していたオリビエも来てくれました」

 その時、ペリエはDVDのソフトに加え、DVDプレーヤーまで持参して病室を訪れたという。

 怪我の癒えた武豊は結局、この年の日本ダービー(GⅠ)をタニノギムレットに騎乗して勝利する。そして、その前後には予定通りフランスへ渡り、かの地をベースにしてレースに騎乗したのだ。

フランスでの2人(2009年撮影)
フランスでの2人(2009年撮影)

 そんな折り、今度はペリエが落馬してしまう。武豊は言う。

 「たまたま同じレースに乗っていました。ひどい落ち方をしたので心配したのですが、不幸中の幸いにも、鎖骨骨折だけで済みました」

 落ちた瞬間を振り返ったペリエは、当時、武豊と次のような会話を展開した。

 「結果的に鎖骨だけで済んだので間に合ったけど、落ちた瞬間は『凱旋門賞までに復帰出来るかな?』という事がすぐに頭に浮かんだよね」

 これに対し、日本のトップジョッキーは首肯して答える。

 「自分も全く同じです。2月に落ちた時は『ダービーに間に合うかな?』『凱旋門賞は大丈夫だよな……』って、そんな事が真っ先に頭を過ぎりました」

 ダービーや凱旋門賞を基軸として時計の針が回っているのは、2人が共にトップジョッキーであるという証だろう。

勝って戻ってきたペリエとそれをチェキで撮影する武豊(左手前)(2005年撮影)
勝って戻ってきたペリエとそれをチェキで撮影する武豊(左手前)(2005年撮影)

2人の秋に期待

 それから20年が過ぎ、武豊は53歳、ペリエは49歳になった。2人共、さすがに騎乗数は以前より抑えているが、現在でもトップジョッキーである事には変わりない。

 ペリエは言う。

 「残念ながら今年の日本ダービーはまだチェックしていないけど、日本馬のレベルの高さは充分に判っているし、ましてユタカさんが乗るならノーチャンスのわけはないでしょう。僕が何に乗るにしても手強い相手になるのは間違いないだろうね。好勝負が出来るように頑張るだけだけど、まず現在はユタカさんとの再会を楽しみにしているよ」

 世界を舞台に日仏の名手が叩き合う。秋には是非、そんなシーンを見させていただきたいものだ。

フランス、クレールフォンテーヌ競馬場での2人
フランス、クレールフォンテーヌ競馬場での2人

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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