凱旋門賞での武豊との再会を待ちわびるO・ペリエ。若き日の2人の逸話を紹介
大親友の日仏の名手
「ユタカさんが日本のダービー馬で凱旋門賞に来るって?!」
先日、オリビエ・ペリエからそう連絡が入った。
最近、競馬を始めた若いファンの皆さんは「ペリエ」と聞いてもピンと来ない人もいるかもしれない。彼は凱旋門賞(GⅠ)3連覇をするなどしたフランスの名騎手で、一時期は毎年冬になると短期免許を取得して日本の競馬に参戦。2002、03年とシンボリクリスエスで有馬記念(GⅠ)連覇、その翌04年にはゼンノロブロイとのタッグで天皇賞(秋)(GⅠ)→ジャパンC(GⅠ)→有馬記念(GⅠ)をコンプリートするなど、大活躍。ついに凱旋門賞に手が届いたかと思えたオルフェーヴルを、ソレミアに乗ってゴール寸前差し切った(12年)のも彼だった。明るいキャラクターもあいまって日本にも多くのファンがいた個性派の名ジョッキーだ。
そんなペリエと武豊は、互いに口を揃えて「親友」と言い合う仲。武豊騎手は言う。
「プライベートでも仲良くしています。昔からフランスへ行った際は、家に招待されたり、食事に行ったり、本当に親友です」
ペリエもこの度の連絡に『久しぶりの再会が今から楽しみでならない』という様子がうかがえた。
今回はそんな2人の、印象に残っている話を少しだけ紹介しよう。
怪我した時の2人の同じ思考とは
話は丁度20年前。2002年にまで遡る。この年の2月、武豊は中山競馬場で騎乗していた。絶好の手応えで3コーナーを回り「好勝負になる!!」と思った次の刹那、鞍下のパートナーが何の前兆もなく故障を発症。天才ジョッキーは馬場に叩きつけられた。
結局、骨盤骨折の大怪我で、休養を余儀なくされた。
「沢山の仲間がお見舞いに来てくれました。当時、短期免許で来日していたオリビエも来てくれました」
その時、ペリエはDVDのソフトに加え、DVDプレーヤーまで持参して病室を訪れたという。
怪我の癒えた武豊は結局、この年の日本ダービー(GⅠ)をタニノギムレットに騎乗して勝利する。そして、その前後には予定通りフランスへ渡り、かの地をベースにしてレースに騎乗したのだ。
そんな折り、今度はペリエが落馬してしまう。武豊は言う。
「たまたま同じレースに乗っていました。ひどい落ち方をしたので心配したのですが、不幸中の幸いにも、鎖骨骨折だけで済みました」
落ちた瞬間を振り返ったペリエは、当時、武豊と次のような会話を展開した。
「結果的に鎖骨だけで済んだので間に合ったけど、落ちた瞬間は『凱旋門賞までに復帰出来るかな?』という事がすぐに頭に浮かんだよね」
これに対し、日本のトップジョッキーは首肯して答える。
「自分も全く同じです。2月に落ちた時は『ダービーに間に合うかな?』『凱旋門賞は大丈夫だよな……』って、そんな事が真っ先に頭を過ぎりました」
ダービーや凱旋門賞を基軸として時計の針が回っているのは、2人が共にトップジョッキーであるという証だろう。
2人の秋に期待
それから20年が過ぎ、武豊は53歳、ペリエは49歳になった。2人共、さすがに騎乗数は以前より抑えているが、現在でもトップジョッキーである事には変わりない。
ペリエは言う。
「残念ながら今年の日本ダービーはまだチェックしていないけど、日本馬のレベルの高さは充分に判っているし、ましてユタカさんが乗るならノーチャンスのわけはないでしょう。僕が何に乗るにしても手強い相手になるのは間違いないだろうね。好勝負が出来るように頑張るだけだけど、まず現在はユタカさんとの再会を楽しみにしているよ」
世界を舞台に日仏の名手が叩き合う。秋には是非、そんなシーンを見させていただきたいものだ。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)