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イングランド代表はロシアW杯をボイコットするか―元スパイ襲撃事件の余波

六辻彰二国際政治学者
W杯ロシア大会公式マスコットと警官(ロストフアリーナ、2018.3.31)(写真:ロイター/アフロ)
  • 元スパイ襲撃事件を受けて、英国ではW杯ロシア大会のボイコットが議論となっている
  • ボイコットには「制裁の本気度」を示す効果があり、逆に「ボイコットしないこと」は外交上のリスクとなる
  • しかし、英国がこれを実行すれば、国際的孤立やFIFAからの制裁などのリスクが大きい

 3月4日に英国で発生した、ロシアの元スパイへの襲撃事件をめぐり、英国政府が頭を痛めている問題の一つが、今年6月に開催されるFIFAワールドカップ(W杯)のロシア大会をイングランド代表がボイコットするかです。

 事件後、欧米諸国は相次いでロシア人外交官を国外に退去させ、事件への関与を否定するロシア政府は、これに対抗して同様の措置を取りました。この外交的な対立のなかで浮上したボイコット案には賛否両論がありますが、英国にとってリスクが大きいとみられます。

ボイコットの賛否

 事件直後の3月6日、英国のジョンソン外相はW杯ロシア大会にイングランド代表が「通常の形で」参加することを想像できないと発言。ボイコットの可能性を示唆しました。

 これを受けて各社が世論調査の結果を発表。スカイニュースのウェブサイトでは52パーセントが「ボイコットするべき」と回答していますが、同じくスカイニュースのツイッターでは44パーセントが「ボイコットは何も生まない」と回答。アイリッシュ・エグザミナ紙の調査でも、ボイコットに賛成が48パーセント、反対が52パーセントと拮抗しています。

「ボイコットしないこと」のリスク

 国民の賛否は分かれるものの、英国政府にとってボイコットはロシア制裁の有力な選択肢です。

 2014年のクリミア危機以降、英国は国連などで再三ロシアを批判。要人の個人資産の凍結や移動の制限などの制裁を課し、さらに今回は外交官の国外退去まで行っています。

 冷戦時代の1980年、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議した西側諸国は、モスクワ五輪をボイコット。この際でも、各国は外交官の国外退去にまで踏み切りませんでした(モスクワの米国大使館改築工事中に盗聴器が仕掛けられた疑惑が浮上した1985年、米国はソ連外交官を退去させた)。外交官の国外退去には、それだけの重みがあります。

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 今回、ロシア外交官を退去させたのは国連加盟国193ヵ国中29ヵ国だけ。西側諸国がさらに「ロシアの孤立」を印象付け、国際的な圧力を強めるなら、モスクワ五輪と順序は逆ですが、ビッグイベントへの不参加しかありません。

 逆に、外交官の国外退去まで行ったのにW杯だけ参加すれば「制裁の本気度」を疑わせ、ロシアに足元をみられることになりかねません

ボイコットに効果はあるか

 ただし、ボイコットには3つのリスクが付きまといます。第一に「効果があがらない」可能性です。

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 ロシア外交官を国外退去させた国は、ロシア大会出場国の約3分の1を占めます。これらが全てボイコットした場合、グループCをペルーが不戦勝で勝ち抜けることになるなど、大会の盛り上がりという意味でロシアのダメージは免れません。

 ただし、モスクワ五輪と比べて、そのダメージは限定的とみられます

 競技数が多い五輪は、国力がより反映されやすくなります。1980年当時、ソ連など一部を除くとスポーツ大国の多くは西側にあり、これらが揃ってボイコットしたことは大きなインパクトとなりました。

 一方、W杯の場合、ラテンアメリカやアフリカにも強豪国はあり、それらはボイコットを考えていません。また、1980年当時の五輪と異なり、W杯はビッグビジネス。TV中継も予定通り世界中に配信されます。

 つまり、仮にヨーロッパの強豪が揃って出場しなければ、その影響は小さくないものの、それなりに大会は成立するとみられるのです。しかもそれが西側でも放送されれば、気まぐれな世論が「なぜボイコットした」と一気に自国政府への批判に転じることもあり得ます

他の国がつき合ってくれるか

 これに対しては、「世界の強豪国にはやっぱりヨーロッパが多く、これが結束すればロシア大会は失敗する」という強気の反論もあり得るでしょう。実際、FIFAランキング上位30ヵ国中、ロシア外交官に国外退去を命じた国は13ヵ国で、このうちヨーロッパの10ヵ国がW杯ロシア大会の本番に出場権を得ています。

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 しかし、これが第二の点ですが、多くの出場国が英国に同調してボイコットするかは大いに疑問です。

 英国政界からは「英国がボイコットすれば同盟国もこれにつき合うべき」という論調が聞かれ、ボイコットの議論はオーストラリアでも生まれています。

 しかし、ロシア外交官に国外退去を命じているその他の出場国では、ボイコットの気運までは高まっていません

 もともとヨーロッパの大国フランスとドイツは、米英と同盟関係にあっても、これらと常に歩調を揃えてきたわけではありません。両国とも米英による2003年のイラク侵攻には協力せず、2014年のクリミア危機後は強硬路線の米英と対照的にロシアとウクライナの調停を試みました。英国がEUからの離脱交渉に入っていることもあり、ヨーロッパ諸国が全面的に英国に協力することは考えにくいのです。

 これに加えて、米国がロシア大会に予選落ちしていて、そもそも出場できないことも重要です。つまり、「他国の方針によく口を出す」米国でボイコットが話題になりにくい以上、米国以上にサッカー人気が高いそれ以外の西側諸国は、この問題にさほど熱心にならなくて済んでいるといえます。

 言い換えると、英国には「ハシゴを外される危険」があります。結局フタを開けてみれば英国だけボイコット、となった場合、制裁の効果はゼロに近く、ただ出場機会を棒に振っただけで終わりかねません。

2022年も諦められるか

 第三に、それでもボイコットした場合、英国はFIFAから制裁を受けます。

 FIFAの規定では「出場国は全ての試合に参加しなければならない」とあり、これに違反した国は「その次の大会に参加できない」ことを含む制裁を課されます。

 つまり、ロシア大会をボイコットすれば、2022年カタール大会の予選にすら出場できないことを覚悟しなければならないのです。

 さらに、大会開始1ヵ月以上前に不参加を決めた場合は25万スイスフラン(約2800万円)、開始直前の1ヵ月以内の場合はその2倍の罰金が科されます。

 FIFAは外交問題に関わらない方針で、ボイコットすればこれらのルールが適用されます。

 先述のように、今はボイコット支持派が英国民の約半数を占めます。しかし、これらの措置が実際にとられた場合の世論の反応は不透明。英国政府にとっては悩ましいところです。そのため、メイ首相はロシア大会の開会式に閣僚や王族が出席しないと強調していても、ボイコットに関しては明言していません。

窮地で問われる英国の身上

 リスクの多さに鑑みると、現状では英国政府はボイコットしない公算が大きいとみられます。多少うがった見方をすれば、W杯のボイコットにともなうリスクを避けるため、各国はモスクワ五輪の時と順序を逆にして、外交官の国外退去を先にすることで「制裁をした」というアリバイを作ろうとしたともみえます。

 しかし、いずれにしても、このゲームはロシア有利といえます。先述のように、ボイコットした場合のダメージは、ロシアの国際的ダメージと同等か、それより大きいと見積もられます。逆にボイコットしなければ、「ビッグビジネスの誘惑に敗れた」という印象をもたれかねません。

 それは裏を返せば、英国の苦しい立場を意味します。英国外交は「転んでもタダでは起きない」しぶとさが身上ですが、その真価がこの窮地で問われているといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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