吹き替え版『あん』に見る、スペインと日本の距離
スペインでも11月6日から公開されている『あん』を見に行った。こちらでは吹き替えが普通で残念ながらオリジナルではなかったが、そのおかげでわかったこともあった。
題名は『Una pasteleria de Tokio』(ウナ・パステレリア・デ・トーキョ)。『ある東京の御菓子屋』というほどの意味だ。舞台が東京であることの必然性は物語にはないが、東京、大阪、京都あたりまではこちらでも知られているし、小津安二郎の『東京物語』も有名だから、日本映画の代名詞的に入れられたのだろう。
ちなみに、同じ小津作品の『秋刀魚の味』はスペイン語版では『El sabor del sake』(酒の味)と改題されている。サンマはスペインでは獲れないし、飲食のシーンはたくさんあるのにサンマが出て来ない(主人公が舌鼓を打つ魚はハモだ)のに、なぜサンマなのかという諸説ある題名の由来をはしょって、わかり易さを優先させたからだろう。Sakeならこちらでも誰でも知っている。
スペインでどら焼きは大変有名
『あん』の主人公が作る「どら焼き」が、吹き替え版でもそのままDorayakiで通用するほど有名なのは、ほぼ連日リピート放送されているアニメ『ドラえもん』のおかげである。日本ファンに日本で何を食べてみたいかと尋ねると、「どら焼き」という答えが返って来ることは珍しくない。マドリッドにはどら焼きを出すファーストフードチェーンもあるくらいだ。こちらの日本料理レストランで寿司と並ぶ2大エース、「天ぷら」は、もちろん“衣を付けた揚げ物”などの説明抜きでTempuraと呼ばれていた。
主人公の調理シーンでは材料や鍋の中よりも手が大写しになることが多く、“もっと料理をよく見せてくれ”と不満を感じたが、すぐにこの物語における手の重要性に気づいた。“煮て潰して砂糖を入れればできる”くらいに思っていた、あんこ作りがあんなに大変なのか、と驚いたのはスペイン人ではなく日本人の方だったのではないか。40年以上前、夏休みに預けられていた祖父母の家では味噌や羊かんも手作りしていたが、あんこだけは市販の粉末を使っていた理由が、この映画を見てよくわかった。
物語にアクセントを付ける四季
2時間近くの長尺だが長く感じなかった。“テンポが遅い”という定評がある日本映画なのだが、スペイン人たちの映画評を読んでもリズムの良さを指摘する評が目に付いた。物語にアクセントを付けていたのは、日本ならではの季節感だろう。私の住む南部アンダルシアには日本のような明確な四季がない。長い夏とあっという間の春と秋、少しも寒くない冬があるだけだ。12月の今もパティオ(中庭)の木が青々としている場所に住む者の目には、春の桜、夏の緑、秋の紅葉、冬の落ち葉という移り変わりはとても懐かしく映った。木々の色でわかる四季があるのはスペインではごく一部、北部カンタブリア、アストゥリアス地方くらいだろうか。
物語のテーマは暗く登場人物も社会的に疎外されている者ばかりだが、だからこそなのか、風景としての日本は非常に魅力的に映像化されていた。日本の桜の美しさとその下で開かれる宴会はよく知られOhanamiは日本通の間では有名だが、彼らの関心は秋へ向かおうとしている。先日こちらのクオリティペーパー、『エル・パイス』紙上で紅葉をめでるリポートを見つけたばかり。そこで使われていたMomijigariという言葉も次第に知られるようになっていくのだろう。
作品が異国に残した意外な印象
スペイン、バジャドリーの映画祭で河瀬直美監督が最優秀監督賞を受賞したことからもわかるように、『あん』はこの国で受け入れられている。興行成績も好調なようで、私が見に行った映画館では公開後5週目に突入した『あん』の上映回数は、同時に公開された『007 スペクター』と同じだった。作品が提示する問題が、実はスペインでは日本以上に身近でより深刻であることが、共感を呼んだのかもしれない。
その一方で、鑑賞後に日本へ行きたい、どら焼きを食べたいという想いを強くしたスペイン人も少なくないだろう。舞台にもスポットが当たるのは異国ゆえだが、それがネガティブだとは思わない。好奇心なくして理解はない。『あん』が日本とスペインとの距離を縮めてくれていることを高く評価したい。