島原大変肥後迷惑 津波は地震によるものだけではない
「津波」とは、「津」すなわち港を襲ってくる「波」の意味です。
津波の多くは、地震による断層のずれによって海底が隆起や沈降するという、海底の変形に伴って海面が変動することで生じます。
この他、火山活動で海底が変動したり、大量の土砂が一気に海に流入して津波が発生することがあります。
島原大変肥後迷惑
寛政4年4月1日(1792年5月21日)の肥前国、現在の長崎県・島原の雲仙岳噴火では、東端の前山(現在の眉山)が大崩壊して多量の土砂が有明海に流入し、発生した津波が対岸の肥後国、現在の熊本県を襲っています。
死者は1万5000人以上という、日本最大といわれる火山災害となっています。
熊本県では、この災害を「島原大変肥後迷惑」として伝承しています。
同じような事例は、ほかにもあります。
寛永17年の噴火湾の津波
北海道南部の噴火湾では、寛永17年6月13日(1640年7月31日)に津波が発生し、500人以上が死亡しています。
北海道駒ヶ岳で噴火があり、山体崩壊によって大量の土砂が噴火湾に流入して発生した津波です。
平成の雲仙普賢岳噴火時の最大の懸念
平成2年(1990年)11月17日より始まった噴火は、翌年5月20日より溶岩が噴出し始め、溶岩ドームの形成や
火砕流が発生するなど、噴火による災害が拡大してゆきます。
この時、防災担当者が懸念していた最悪のシナリオは、噴火に伴って眉山が崩壊して島原市の市街地を呑み込み、遠浅で大きな津波が発生しやすい有明海に大量の土砂が一気に流入することでした。
しかし結果的には眉山は崩壊せず、むしろ眉山によって噴火で発生した火砕流から島原市の市街地が守られています。
火砕流と土石流
平成2年からの雲仙普賢岳の噴火では、多量の火山灰が放出され、降り積もった火山灰は雨が降ると土石流が下流域を襲っています。
また、粘りけのあるマグマによる噴火であったため、山頂付近に溶岩ドームができ、桃のような形で成長しています。この溶岩ドームが自分の重みで斜面に崩落するという火砕流を引き起こしています。
平成3年6月3日には火砕流で43名が亡くなるという大災害が発生しています。
噴火が収まるにつれ火砕流は生じなくなりましたが、土石流は長期間続いています。
特に、普賢岳から東へ流れて有明海に注ぐ水無川の土石流入が顕著で、平成5年4月下旬から6月下旬にかけ、大きな土石流被害が発生しています。
火山が噴火すると、噴火が収まっても形を変えての災害が続きますので、暫くは気象情報など、火山以外の情報も入手し、十分な注意が必要です。
ちなみに、自衛隊の災害派遣は、平成7年12まで1653日間という史上最長でした。雲仙普賢岳の噴火では、自衛隊が出動するような深刻な災害がこれだけ続いたのです。