日産はR35 GT-Rで最後のレース!SUPER GT人気を支えてきた名車の14年間を振り返る
国内で最大の人気を誇る「SUPER GT」の2021年シーズンが静岡県の富士スピードウェイで最終戦を迎える(11/28決勝)。
それを前に日産自動車は来年2022年からGT500クラスを戦う車両を変更すると発表。次期ベース車両は未発表であるものの、日産GT-R(R35)でのレースは今回の最終戦が見納めとなる。
2008年にデビューして以来、SUPER GTの人気を支え続けてきたR35 GT-R。最終戦を前にその戦いの歴史を簡単に振り返っておこう。
衝撃的なデビューだった2008年開幕戦・鈴鹿
全日本GT選手権の時代から日産のGTカーといえば、「スカイラインGT-R」だった。GT500クラスのベース車両としてR32(1994年〜95年)、R33(1996年〜1999年)、R34(1999年〜2003年)が使用され、スカイラインGT-Rは90年代の全日本GT選手権のアイコンとして多くのファンを獲得してきた。
スカイラインGT-Rの生産終了に伴い、2004年〜2007年はベース車両が「フェアレディZ」に変更されるものの、2007年に「日産GT-R(R35)」が発売されたのを契機に2008年からSUPER GT/GT500クラスに同車をベースにしたレーシングカーを参戦させたのだ。
そのデビュー戦となった鈴鹿での速さは衝撃的だった。予選では上位3台をR35 GT-Rが占め、前年のチャンピオンマシンであるホンダNSX、前年にデビューしたレクサスSC430を1秒以上も引き離す圧勝ぶりだった。その決勝レースではエースカーの23号車「ザナヴィニスモGT-R」(本山哲/ブノワ・トレルイエ)が優勝し、22号車「MOTULオーテックGT-R」(柳田真孝/ミハエル・クルム)が2位に入る1-2フィニッシュを達成。翌日の新聞朝刊に日産はGT-R復活のデビューウインを伝える一面広告を掲載するなど、「GT-R旋風」が吹き荒れた。
2008年は23号車「ザナヴィニスモGT-R」(本山哲/ブノワ・トレルイエ)の3勝を含む全9戦中7勝を飾る圧倒的な強さを見せつけたR35 GT-R。当時のGT500クラスは各自動車メーカーが独自のノウハウで製作したマシンを性能調整して戦わせていた時代であり、デビュー当初のマシンが有利になる条件が整っていたとはいえ、日産のレース活動を通じ、独自のノウハウを積み上げてきた「NISMO(ニスモ)」の技術力が活かされた結果だったと言える。
当時のSUPER GTは海外での知名度はほとんど無かったが、レースゲーム「グランツーリスモ」に「ザナヴィニスモGT-R」が収録されるなどしたため、今はグローバルな人気を誇るレーシングカーとなっている。
ミシュランと共に成功したR35 GT-R
2008年にデビューしたR35 GT-Rだったが、その後はしばらく苦戦を強いられる。2009年からSUPER GTはフォーミュラニッポン(現スーパーフォーミュラ)と共通の3.4リッターV8エンジンを使用する規定に移行したものの、リーマンショックの経済危機が重なり、日産勢は新エンジンの投入が間に合わず、性能調整されたマシンでの参戦になった。
レクサス(トヨタ)とホンダはフォーミュラニッポンにもエンジン供給という形で参戦していたが、日産は市販車ベースのGTカーを中心とした活動を主軸にしており、フォーミュラニッポンには参戦しなかった。その分、エンジン開発では遅れを取ることになるが、フランスのタイヤメーカー、ミシュランと共にマシンのパフォーマンスアップを図っていくことになる。
ミシュランはフランス最大の自動車レース「ル・マン24時間レース」に勝利することを最大の目標としている側面があり、四季があり、レース中の天候変化が激しい日本のレース環境はル・マンのタイヤ開発に最適な環境と捉えていた。2011年、12年にはミシュランタイヤを装着したGT-RがGT500クラスを2連覇。獲得ポイント数が多い鈴鹿1000kmなどの長距離レースで効率よくポイントを稼ぎ、王座に返り咲いたのだ。
これでミシュランとの共闘体制は強固なものになり、DTM(ドイツツーリングカー選手権)と共通部品を用いる2014年のレギュレーション変更以降はそのアドバンテージがさらに増していくことになる。それ以前は各社独自の哲学に基づいて開発していたGT500マシンだが、車体開発の幅が狭くなったことにより、タイヤの重要性がさらに増していった。2014年、15年はミシュランタイヤを装着した「MOTULオーテックGT-R」(松田次生/ロニー・クインタレッリ)がGT500クラスを連覇。2015年以降、ミシュランはGT500では日産のみに独占供給する状態になっている。
近年は苦戦もチャンピオンの可能性を残す
GT500クラスでは年を追うごとにエンジンの年間使用基数制限が行われ、空力開発の制限も厳しくなり、シーズン中にマシンの開発ができる部分は狭まっている。そんな中、2014年以降の日産勢はボディ下面の空力開発にも成功し、特に高速コースの富士スピードウェイでアドバンテージを発揮してきた。
しかし、2020年からGT500クラスの車両規定が世界統一規格の「クラス1」に以降すると、ライバルのホンダがFR化したNSXを、トヨタがスープラをベース車両に投入。ベース車両のデザインが大幅に変わってはいない日産GT-Rは空力面で厳しい立場に追い込まれる。
通常であれば、2020年から始まった現行規定は3年間据え置きになるため、新車投入は2023年以降になるはずだが、このタイミングでの日産の車両変更はやはり空力面の改善を余儀なくされたという判断であろう。日産勢は2015年以降、チャンピオンから遠ざかっているからだ。
今季もシーズン序盤から苦戦が続いていたが、夏に延期された第3戦・鈴鹿では「MOTULオーテックGT-R」(松田次生/ロニー・クインタレッリ)が優勝、第5戦・菅生では「カルソニックIMPUL GT-R」(平峰一貴/松下信治)が優勝。最終戦では「カルソニックIMPUL GT-R」がトップから17点差で逆転チャンピオンの可能性も僅かながら残している。
2008年のデビュー以来、日産のレースアイコンとして君臨し続けてきたR35 GT-R。スカイラインの名前が消えた状態での復活に当時は往年のファンから残念がる声も聞かれたが、圧倒的な強さでのデビュー、その後SUPER GTで41勝を飾ってきた活躍によって、R35 GT-Rはファンに愛される存在になっていった。
それだけにR35 GT-Rの引退、SUPER GT/GT500クラスからGT-Rの名前が再び消滅するのはファンにとっては寂しい限りだが、1960年代のスカイライン2000GT-R(通称、ハコスカ)の時代から数多くの勝利を重ねてきた富士スピードウェイで有終の美を飾ることができるかどうか、GT-R最後のレースに注目したい。