ポケモン25周年 日本発の“怪物”コンテンツが世界を席巻するまでの軌跡
「ポケモン」の愛称で知られる「ポケットモンスター」が誕生して、きょう“25歳”を迎えました。ゲームソフトの世界出荷数は3億6800万本以上、ポケモンカードは304億枚以上。そしていまだに成長し続ける“怪物”コンテンツの軌跡を振り返ります。
◇ゲームボーイ人気復活の立役者
「ポケットモンスター」シリーズは、不思議な生き物「ポケモン」を集め、冒険するRPGで、ポケモンを交換・対戦できるのが特徴です。
「ポケモン」が世に送り出されたのは、任天堂の携帯ゲーム機「ゲームボーイ」用ソフト「ポケットモンスター 赤・緑」(1996年2月27日発売)です。当時のゲーム市場は、グラフィックの豪華な据え置き型ゲーム機が人気を集めていた時代で、白黒モニターの「ゲームボーイ」(1989年発売)は発売から7年が経過したこともあり苦戦していました。
「赤・緑」も、発売前はファンの注目を集めていたとはいえませんでしたが、子供たちの間ですぐ人気となります。可愛らしいポケモンのデザイン、ゲームとしての面白さはもちろん、交換・対戦の要素が当時の子供たちには新鮮だったのです。このヒットをきっかけにゲームボーイの人気が復活。「赤」と「緑」のいずれも国内で各400万本以上を突破し、改めてソフトの魅力の重要性と、携帯ゲーム機の可能性が再認識されたのです。
◇誕生から2年でアニメ&ゲームの米国展開
特筆するのは、ゲームのヒットだけでは終わらせなかったビジネス展開の速さです。半年後の1996年10月には「ポケモンカードゲーム」が発売。さらに半年後の1997年4月からテレビ東京系でテレビアニメの放送を開始。約1年後の1998年7月にはアニメ映画「劇場版 ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」が公開されます。ゲーム頼みにせず、複数のメディア(媒体)でコンテンツの魅力を増幅したのです。
ゲームとアニメの双方を展開するのは、メディアミックス戦略の一つですが、アニメとゲームの双方を大ヒットさせて、継続的に展開するのは至難です。ゲームがヒットしても、テレビアニメをこれだけ長期間放送を続けるのは並大抵ではありません。逆にアニメが人気になっても、ゲームでブレークさせて継続的に出すことも大変です。ポケモンは、アニメとゲームのどちらも大ヒットしているレアなコンテンツなのです。
さらに恐ろしいのは、ポケモンが世界で通用するコンテンツと判断し、米国へも即座に展開したことでしょう。1998年9月には111局で放送し、同時に海外バージョンのソフトも出して、世界展開の礎(いしずえ)を築いています。ゲームの発売からたった約2年半で世界展開をして、おまけに1999年にはシリーズ続編の「金・銀」を出しています。
ちなみに「赤・緑」の国内出荷数「822万本」という数字は、2000年3月時点の数字に過ぎません。株式会社ポケモンの広報室に問い合わせると、数字はその後も積み上げており、現在は単体の数字は開示していないそうです。
なお「赤・緑・青・ピカチュウ・金・銀・クリスタルバージョン」を合わせた世界出荷数は約7600万本(2020年3月末時点)となります。「あつまれ どうぶつの森」との国内出荷数の“最高峰争い”は気になるところですが、いずれにしても驚きの数字なのは間違いありません。
◇20年前に着目したコンテンツのプロデュース
ヒットしてからのスピード感……「先見の明」には驚かされますが、既にいくつものインタビューで「タネ明かし」がされている通り、「ポケモン」の海外展開、そして新作の開発を命じたのは、当時任天堂の社長だった故・山内溥さんです。そのスピードとヒットをかぎあてる嗅覚に関係者さえも戸惑うほどだったそうですが、その「無茶な命令」を実行に移して実現させたキーマンの一人が、山内さんの後を継いで後に任天堂社長になる故・岩田聡さんでした。岩田さんは当時から天才プログラマーとしても知られており、「赤・緑」のソースコードを1人で全部読んで、海外向けに出す筋道を立てたそうです。
また岩田さんは、ポケモンのプロデュースをする「株式会社ポケモン」の誕生にも一役買っています。2000年ごろに世界でポケモンの人気が爆発すると、あまりの数に、任天堂の手でさえライセンスのコントロールができなくなったそうです。そこで岩田さんは窓口の一元化を目指し、難解だった各社の権利関係を整理、巨大コンテンツ「ポケモン」をプロデュースする「株式会社ポケモン」への道を作りました。
・【岩田 聡氏 追悼企画】岩田さんは最後の最後まで“問題解決”に取り組んだエンジニアだった。「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」特別編(4Gamer)
・ポケモン20年目の挑戦 株式会社ポケモン代表取締役社長・石原恒和氏インタビュー(インサイド)
今でこそコンテンツをプロデュースする概念はあっても、20年も前にその重要性に着目し、しかも1社が一つのコンテンツを徹底的に見る……というのは極端に思うかもしれません。ですが「良質なコンテンツ(ゲームやアニメ)を作るチーム」と「コンテンツの魅力を管理して拡大させるチーム」という分担制を取ったことは、その後の結果をみても大成功と言えます。コンテンツの出来も大切ですが、同じだけ関連商品の質を保つことは重要です。2月27日は「Pokemon Day」で、日本記念日協会の認定を受けている通り、細かい部分のブランディングにも手が届いており、だからこそ多彩な企画が展開されてファンは楽しめるわけです。
なお「ポケモン」について報道関係者が問い合わせるとき、株式会社ポケモンではなく、任天堂に質問しようとするケースもあるほどです。コンテンツのプロデュースという業務が意外に知られてないわけですね。
◇「ポケモン GO」で知名度さらに拡大
テレビアニメで知名度を高めてファンを囲い込み、ゲームソフトで高収益を稼ぐことで、長期安定のビジネスモデルを確立したポケモン。「X・Y」で世界同時発売が実現し、「サン・ムーン」で遊べる言語は9つの言語になるなど、今やその知名度が世界屈指であることに異論を唱える人はいないでしょう。
ですが、ポケモンが恐ろしいのは、専用ゲーム機の枠に留まろうとせず、さらなる進歩を模索し、かつ大成功に導いたことです。2016年7月から世界で展開し、日本でも社会現象になったスマートフォン用ゲーム「ポケモン GO」です。
基本無料の上、幅広い層に課金を促す同作の登場で、ポケモンの知名度はさらに広まり、家庭用ゲーム機とは層の異なる年輩の層にも人気になったことも話題になりました。
同作を手掛けたナイアンティック社ですが、位置情報ゲーム「イングレス」を開発した実績が高く評価されました。そこに「ポケモン」の要素が“融合”した結果、10億ダウンロード以上という驚異的な結果に結びつき、そのヒットを受けて、同じタイプのスマホゲームが生まれることになりました。2019年に「ポケモンGO」の売り上げが過去最高になったという記事も出ました。
・登場4年の「ポケモンGO」が年間1000億円売上、過去最高に(Forbes JAPAN)
ナイアンティック社は、元々はグーグルの社内ラボとして誕生。将来性は高く評価され、独立するときもポケモン、グーグル、任天堂の3社が計3000万ドル(約31億円)を投資したことは話題になりました。その見立ては大正解で、「ポケモンGO」は地域振興にも活用されています。
◇社長が語るポケモンが売れた理由
これだけの世界的大ヒットコンテンツとなれば、「どうしてポケモンはこれだけ売れたのか」という疑問は誰もが抱くでしょう。株式会社ポケモンの石原恒和社長が、同社のホームページで「『収集・育成・交換・対戦』といったポケモンの普遍的な仕組みが我々の強み」と語っています。
RPGは文章があるため文字の壁、それに伴う文化の差もあり、ある国で受けたものが他の国で受けるとは限らない難しさがあります。「ポケモン」も当然ながらその危惧をしたそうですが、ふたを開けてみると、国や地域を越えての共感を得られたわけですね。昆虫採集や植物栽培、動物飼育のような体験で感じる面白さは、万国共通だったということになります。
新作の「New ポケモンスナップ」(4月30日発売)も、ポケモンの魅力を最大限に引き出すような内容ですね。
またポケモンの25周年に合わせて、さまざまな施策がありますね。「ポケモンカフェ」(東京・日本橋、大阪・心斎橋)では2月27日~3月12日、記念メニューが登場。またたいやき屋「くりこ庵」で「コイキング焼き」(店舗限定)を販売しています。
さらに「ダイヤモンド・パール」(2006年発売)のリメーク「ポケットモンスター ブリリアントダイヤモンド・シャイニングパール」の2021年冬、世界同時発売も発表されました。
「ポケモン」がに人気作になったのは、コンテンツの出来もさることながら、ビジネスチャンスを逃さない驚異的なスピード展開、社会的な盛り上がりという「思い出」も含めての総合的な力といえます。そして、ポケモンを全世界へ広げる仕組みを構築した「創業」、コンテンツを継続・拡大させる「守成」。この二つがあったからこそ、ポケモンは25年間も輝き、今後も人気であり続けるのでしょう。
(C)2021 Pokémon. (C)1995-2021 Nintendo/Creatures Inc./GAME FREAK inc.ポケットモンスター・ポケモン・Pokémonは任天堂・クリーチャーズ・ゲームフリークの登録商標です。Nintendo Switchのロゴ・Nintendo Switchは任天堂の商標です。