【名古屋市】賑わいの東海道、往時の情緒を残す。近世の名古屋に思いを巡らす歴史スポット3選
江戸・日本橋から京・三条大橋に至る全長492kmの「東海道」。名古屋もその道中、宿場町や物流網として栄え、その軌跡が今でも点在しています。
近世以降の名古屋の歴史は"街道の歴史"と言っても良いほど、文化や産業などの面で現代までつながる影響を残しました。
今回はそんな、東海道の情緒を今に残す歴史スポットを3つご紹介!どのスポットも訪れると、往時の賑わいが頭に想起されるようです。
有松の町並み(緑区)
旧東海道の情緒を今に残す「有松の町並み」。池鯉鮒宿(ちりゅうのしゅく)と鳴海宿(なるみしゅく)の間に設けられ、間の町(宿場町の間にある町のこと)として栄えました。
江戸時代には尾張藩の庇護下のもと、有松絞(ありまつしぼり)という伝統工芸が興(おこ)り、大きな商家が軒を連ねるように。かつて東海道有数のお土産として一世を風靡し、歌川広重の東海道五十三次にもその様子が描かれています。
有松の魅力は、江戸時代の町並み景観が今なお受け継がれているということ。一度、天明の大火(1784年)で町が焼失してしまいますが、それによって、なまこ壁や瓦を使用するなど、防火対策を施した建物からなる現在の景観ができ上がりました。
今では、有松絞りの商家の数軒が有形文化財に認定され、その歴史的・伝統的価値が再認識され、2019年5月には日本遺産に登録されています。
<有松の町並み>
住所:愛知県名古屋市緑区有松809
アクセス:名鉄名古屋本線・有松駅からすぐ
笠寺一里塚(南区)
江戸時代初期に幕府が主要街道を整備した際、一里(約4km)ごとに塚を築き、その上に木を植えて道しるべとした「一里塚」。旅人に距離を示しただけでなく、荷物の運賃計算と基準ともなりました。
「笠寺一里塚」は、愛知県内に現存する5つの一里塚のひとつで、名古屋市内では唯一の残存事例として知られています。かつては、道を隔てた南側にムクノキが植わった1基があり、2つで1つの塚だったのですが、その1基は宅地造成のために撤去されました。
笠寺一里塚は、東海道のうち江戸から88里目にあたり、塚の上にエノキの大木が植えられています。旧街道の道標の役割を終えてなお「ここにいるぞ...!!」と言わんばかりの迫力。塚の上に大きな根を張って、圧倒的な存在感を醸し出しています。
かつての東海道の繁栄が偲ばれる場所。当時生きていたわけではないのに、なぜか人の活気を感じてしまいますね。
<笠寺一里塚>
住所:愛知県名古屋市南区笠寺町下新町
アクセス:名鉄名古屋本線・本笠寺駅から徒歩約10分
宮の渡し公園(熱田区)
東海道で41番目の宿場にあたり、最大級の規模を誇っていた「宮の渡し公園(旧・宮宿)」。42番目の宿場である桑名宿までは海上のルートになっていました。
そこで伊勢湾につながる堀川沿いに船着場が設けられ、桑名まで渡し船が運行されていたのです。その距離は当時の単位で七里(約27.5km)。そのため「七里の渡し」とも呼ばれていました。
かつての船着場は今は公園として整備されており、散策をすることができます。当時の面影を残していて、手軽に歴史情緒に浸れる公園です。
公園の象徴といえる施設が、時の鐘です。こちらは尾張徳川家2代目藩主・徳川光友の命によって作られたもの。熱田の住民や東海道をゆく旅人に時刻を知らせる役目を担っていました。
江戸時代に使われていた鐘は、今も熱田区の蔵福寺に保管されています。かつてこの鐘の周囲に集い、船の時間を待っていた旅人の姿を連想できますね。東海道で唯一の海路ということで、きっと海をわたる緊張感もあったことでしょう。
<宮の渡し公園>
住所:愛知県名古屋市熱田区内田町
アクセス:名鉄名古屋本線・熱田神宮伝場町から徒歩約7分
いかがでしたでしょうか。今回は旅情たっぷりの東海道の歴史スポットをご紹介しました。今の名古屋とは少し趣を異にする、古き良き名古屋に出会えるので、ぜひ訪れてみてください。