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文禄の役に際して、浅野長政が豊臣秀吉を諫めようとした真意とは

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
豊臣秀吉。(提供:イメージマート)

 大河ドラマ「どうする家康」では、豊臣秀吉の朝鮮出兵を実行に移したところ、浅野長政が急に諫めるような発言をした。長政の真意はどこにあったのか、考えることにしよう。

 天正20年(1592)4月、秀吉が名護屋城に着陣した際、自ら朝鮮に出陣すると宣言した。この話はウソではなく、西笑承兌の書状にも書かれている(「等持院文書」)。徳川家康と前田利家はこれに反対したが、石田三成は秀吉の出陣により全軍の士気が上がるので賛意を示した。

 家康と利家が反対したのは、秀吉に万が一のこと(戦死など)があれば、日本国内が乱世に陥ると考えたからだった。結局、秀吉は家康らの言い分に従い、渡海を翌年の3月に延期することにしたのである。

 実は、この件に関しては、『常山紀談』や江戸幕府の公式記録『徳川実紀』にも書かれている。秀吉は前田利家、蒲生氏郷とともに、30万の軍勢を率いて朝鮮に侵攻し、その後は明に攻め込むことを表明した。留守は、家康に託そうとしたのである。

 この話を聞いた家康は驚き、「日本に残るのは不本意なので、自分も朝鮮に出陣して先陣を務めたい」と申し出た。加えて家康は「ほかのことならともかく、合戦については後代に残ることなので、いかに殿下(秀吉)の仰せであっても引き受けられない」と述べたのである。

 この話を聞いた長政は「中国・四国の人々が朝鮮に出兵して人が少ないのに、秀吉がさらに北国や奥州の人々を連れて出陣すると、ますます国内の人が少なくなる。その隙に異国から攻められたり、一揆が勃発したりしたら、家康だけで鎮圧することができるのか」と発言したのである。

 この発言は微妙なもので、家康の能力を疑うかのような意味にも受け取ることができる。

 続けて長政は「最近、殿下(秀吉)が怪しい言動をされるのは、野狐などと御心が入れ替わっているからではないでしょうか。人々は何事もなく過ごそうとしているのに、罪もない朝鮮を討伐しようとなさり、財を浪費して人々を苦しめるとはどういうことでしょうか。殿下(秀吉)がなぜ、こうなってしまったのかといえば、野狐に入れ替わっているとしか思えず、そう申し上げたのです」と述べた。

 すると、座は大いにざわめき、列席した諸大名は長政に退去するよう命じたが、一向に聞かなかった。逆に、「命など惜しくない」という始末だった。結局、家康が場を収めるべく、配下の者に命じて長政を次の間に連れ出すことで、事なきを得たのである。

 当時、野狐は人々をたぶらかしたり、驚かしたりするといわれていた。「野狐憑き」という言葉もある。とはいえ、長政の発言はいかにも無礼である。

 また、家康が「朝鮮に出陣して先陣を務めたい」との発言は、西笑承兌の書状の内容と異なっている。この点は、どのように考えるべきだろうか。

 『徳川実紀』がいかに江戸幕府の公式記録とはいえ、正しいことが書かれているのかどうかは別問題である。実際、家康は朝鮮に出陣せず、留守を任された。

 おそらく『徳川実紀』は、家康が本当は出陣を希望していたことにしたかったのだろう。また、長政は関ヶ原合戦で豊臣家を離れ、家康に従って活躍したので、この頃から秀吉から心が離れていたことをアピールしたかったのかもしれない。

 つまり、朝鮮出陣を希望した家康、秀吉から心が離れた長政の諫言を後世に残したかった可能性があろう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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