合同興行で男女混合マッチ実現!新日本プロレスと女子プロレスとの接点を考える
8月23日、新日本プロレスとSTARDOMの合同興行「Hystric X-over」について記者会見が行われた。過去、女子プロレスが新日本プロレスの興行に組み込まれたことは何度もあったが、男女混合マッチが数試合も組まれるのは、50年の歴史上初めてのことである。そこで、この機会に新日本プロレスと女子プロレスのこれまでの接点を振り返って紹介したい。
提供試合から始まる
新日本プロレスと最初に接点を持った女子団体は、ジャパン女子プロレス(1986年設立)であった。秋元康がプロデュースした旗揚げ戦にはアントニオ猪木が花束を持って来場し、山本小鉄が道場で特別コーチを務めた(現役では尾崎魔弓や神取忍らが教え子にあたる)。その後、神取が藤原喜明に関節技の指導を受けるなど選手間の技術交流も生まれ、翌年に大阪城ホールで行われた猪木のレスラー生活25周年記念大会にミスAとハーレー斉藤のシングルマッチが組まれた。この大会はお祭り的意味合いが強く、ジャパン女子プロレスが猪木の25周年に花を添えたという印象であった。
北朝鮮遠征への参加
老舗である全日本女子プロレス(1968年設立)との接点では、1995年に北朝鮮で行われた「平和の祭典」の提供試合が外せない。佐々木健介と北斗晶がこの遠征で出会い、結婚したことはあまりに知られた話だが、そもそも女子の試合が組まれたのは、当時WWF(現WWE)に参戦していたブル中野にニューヨークを訪れた猪木が声をかけたのがきっかけだと言われている。また、2002年に東京ドームで行われた旗揚げ30周年記念大会の前座では堀田祐美子、豊田真奈美、中西百恵、伊藤薫の4人によるタッグマッチが観客を沸かせた。
リングで男女の対戦が実現
さて、このような提供試合に留まらず、新日本プロレスに本格参戦した女子レスラーに、米国のジョーニー・ローラーがいる。WWEではチャイナのリングネームで男子と張り合ったローラーは退団後の2002年、当時のオーナー猪木に招聘され、蝶野正洋とシングルマッチで対戦。これはWWEのスタイルを輸入した形だが、ファンにあまり受け入れられたとは言い難い。しかも、当時の新日本は混乱期にあたり、結果的にローラーは1年未満でフェードアウトしまった。彼女がザ・グレート・カブキと組んでIWGPタッグ王座に挑戦した事実を記憶しているファンは、かなり少ないはずだ。
親会社によって生まれた交流
そして時は20年飛んで、現在のSTARDOM(2010年設立)との交流に至る。2019年にブシロードがSTARDOMを傘下にして以降、東京ドーム大会では提供試合が組まれ、今年は合同興行やIWGP女子王座の設立などが発表されている。伝統を重んじるファンが、こうした流れに複雑な気持ちを抱くのは理解できるが、先に述べた通り、女子プロレスとの接点はすべて猪木がきっかけであり、伝統なのだ。今後は女子の試合が日常的に新日本の興行に組み込まれるのか?それともお祭りとしての融合となるのか?興行とは観客の欲求によって変化するものであり、こればかりは親会社が主導できるものでもない。半世紀の歴史を超えた新日本プロレスが進む方向を考える意味でも、11月20日の大会にファンがどう反応するのかを筆者は注視している。
※文中敬称略