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「ドライブ・マイ・カー」とオスカー競う、難民の実録アニメが衝撃。授賞式を前に監督も「まさに今の状況」

斉藤博昭映画ジャーナリスト
『FLEE フリー』より

今年のアカデミー賞授賞式(日本時間3月28日)は、『ドライブ・マイ・カー』の受賞への期待から、例年になく日本でも注目が高まっている。メインの作品賞など4部門にノミネートされている同作だが、受賞の可能性が最も高いのが、国際長編映画賞

これまでの前哨戦も、このカテゴリーでは無敵の勢いを示しているからだ。

ただし100%確実というわけではない。今年のこの部門はハイレベルな争いで、例年なら受賞してもおかしくない傑作がノミネートに名を連ねている。そのひとつ、つまり『ドライブ・マイ・カー』のライバルが、デンマーク代表(スウェーデン、ノルウェー、フランス合作)の『FLEE フリー』。今回のアカデミー賞では3部門にノミネートされている。

注目すべきは、その部門。国際長編映画賞のほか、長編アニメーション賞、長編ドキュメンタリー賞で入っている。つまりこの『FLEE フリー』、アニメーションでありドキュメンタリーなのだ。この3部門でのノミネートはアカデミー賞でも史上初めてのケース。

アフガニスタン→ロシア→デンマークの地獄の逃避行

主人公のアミンは、父親がタリバンに連行されたことから、家族とともにアフガニスタンを脱出。モスクワでしばらく生活を送った後に、家族と別れて単身デンマークに渡る。難民としてのあまりに過酷、激烈極まる運命が展開。タイトルの「FLEE」とは「逃げる」という意味。難民が国境を越えて逃れる際にも、この単語が使われる。

ドキュメンタリーとしての題材を、アニメーションで表現したのは、アミン(名前も仮名)自身とその家族の安全を守るためでもある。しかしその選択が、『FLEE フリー』に時代や国境を超える普遍的感動と衝撃をもたらすことになった。

アカデミー賞授賞式を控え、ヨナス・ポヘール・ラスムセン監督は、アニメーションで描いた真意を次のように語り始めた。

「アミン(に当たる人物)は、当初から匿名にすることを望んでいたので、実写で作る選択は考えていませんでした。その結果、アニメで表現すると決めたことで、アミンの少年時代、つまりアフガニスタンでの思い出を描くことができたのです。彼は他人には絶対に言えなかった過去を、私の前で話してくれました。そこで起こったことを映した実写ではなく、アニメだからこそ、彼の感情とともに再現できたのではないでしょうか。その意味で、より真実に近づけたのです」

絶対に他人には打ち明けられなかった過去ーー。それを明らかにできたのは、アミンとラスムセン監督が10代の頃から友人だったからだ。2人の信頼関係は20年以上にもおよぶ。

「デンマークの私の町にアミンが来たのは、彼が16歳の時。私は15歳でした。一緒に学校に通うようになり、友人になりました。大人になってからも一緒に旅行に行ったりしましたし、年に一回は必ず会っていましたね。ただ、彼がアフガニスタンから来て、家族はヨーロッパに散らばっている事実は、高校時代から何となく知っていた程度で、この映画を作ると決め、より親密になってほぼ毎日連絡を取り合うようになるまで、過去の詳しいことは知らなかったのです」

『FLEE フリー』では、監督がアミンから過去を引き出す現在のパート(もちろんそこもアニメ)で、アミン本人の「声」だけは使われている。

ラスムセン監督のインタビューにアミンが答える状況もアニメーションで再現。声は監督とアミン(仮名)本人のものが使われた。
ラスムセン監督のインタビューにアミンが答える状況もアニメーションで再現。声は監督とアミン(仮名)本人のものが使われた。

「彼が初めて過去を告白する際、声を振り絞り、導くためのエネルギーのようなものを記録したいと思いました。もちろん私がいろいろ聞き出すわけですが、その質問に彼が耳を傾け、本当の“声”を吐き出す瞬間を録音することが重要だったのです」

振り絞るように吐き出した過去。『FLEE フリー』を観れば、その運命がいかに過酷だったかに、誰もがショックを受けるはず。基本は全編アニメながら、ポイントでニュースや日常風景の実写が挿入される点も、ドキュメンタリーらしいリアリティを喚起するが、そんなリアルをアミン当人はどう受け止めたのか。

「トラウマとなる過去を描いたわけですから、彼が映画と向き合うのは辛かったと思います。最初に私とアミン、彼のパートナーの3人で観たとき、エンドロールが流れた後も、私たちはしばらく動けずにいました。そしてアミンは言ったのです。『僕にはこれが素晴らしい映画かどうかわからない。自分の感情と切り離すことができないから』と。彼は難民でゲイという2つの葛藤を抱えて人生を送り、そんな自分の運命が観客に受け入れられるのか、心配していたのだと思います。その後、作品が公開され、多くの観客を感動させ、同じ経験をした世界中の何百万人もの難民の人たちの代弁者となったことで、今は喜んでいるはずです」

現在、研究者の職に就くアミンはパートナーと幸せな生活を続けているようで「自宅の庭に咲いた花の写真などをよく送ってきてくれる」とのこと。「宗教的に望まない人もいますが、一般的には受け入れられ、祝福されている」と、デンマークでは法律で同性婚が認められている実情も、ラスムセン監督は付け加える。

ウクライナの情勢とも重なる強烈な現実感

そして「難民」というテーマは、現在の世界情勢を目の当たりにしているわれわれに、強烈なリアリティを伴って迫ってくる。アミンとその家族がモスクワで体験したエピソードには、否が応でも現在のロシア市民が置かれた状況を重ねたくなるのだ。

「現在のウクライナ情勢とともに、この『FLEE フリー』が言及されることは、ある意味で不幸です。また、アフガニスタンでは昨年の夏、この映画が描く1990年代と同じような状況となり、ひじょうに不安定です。ウクライナといい、アフガニスタンといい、現実と映画がリンクするのは事実でしょう。人々が安全な場所にたどり着く。そんな希望を信じていれば、地球の反対側へ行ったとしても、新しい人生を築き始められるのですが……」

『FLEE フリー』のアミンは、デンマークで愛する人に巡り合うことができた。一方で、愛する故郷は失ったわけだが、もしアフガニスタンに留まり続けたら、自分らしい生き方はできなかったかもしれない。「(厳格なイスラム教の国で)宗教的マイノリティ、またセクシュアリティの少数派が声を上げることは、今も非常に困難です。ちょうど先日もアフガニスタンのそういった当事者から救いを求める声を聞いたところです」と、監督は明かす。

『FLEE フリー』では、アフガニスタンの少年時代に遡り、アミンのジャン=クロード・ヴァン・ダムへの熱い想い、同性へのときめきなども寄り添うように描かれる。これもアニメによる功績だ。

カーペットの上に横たわり、心を落ち着かせたアミンが語るアフガニスタン、ロシアでの経験は壮絶そのもの。
カーペットの上に横たわり、心を落ち着かせたアミンが語るアフガニスタン、ロシアでの経験は壮絶そのもの。

『ドライブ・マイ・カー』の美しさに感動

『FLEE フリー』は、2021年のサンダンス映画祭のワールド・シネマ・ドキュメンタリー部門でグランプリを受賞して以来、大絶賛で迎えられ、アカデミー賞ノミネートへと到達した。国際長編映画賞を競う『ドライブ・マイ・カー』について、ラスムセン監督がどのように感じているか気になるところだが……。

「ニューヨークで観ました。じつは到着した直後の上映だったので、長い作品ですし、時差ボケでちゃんと観られるか心配だったのです。物語の流れもゆったりしていたのですが、まったく飽きることがなかったことに驚きました。ひじょうに美しい映画で、撮影も、演技も含めて素晴らしい芸術作品だと受け止めました」

濱口竜介監督とは「合同の会見でお会いしましたが、濱口さんはリモート参加だったので個人的な会話はしていません」とのことで、「同じパンデミックを経験した映像作家として、製作や、観客を引きつける苦心について語り合ってみたい」と話すラスムセン監督。

難民でゲイ。その自分が生きる場所

このインタビューは、英国アカデミー賞授賞式(3/13)直前に、ロンドンとつないで行なったので、2人の会話は授賞式で実現したかもしれない。同賞では2人の作品が並んだ非英語作品賞部門で『ドライブ・マイ・カー』が受賞した。そして間もなく開催される、米アカデミー賞でも彼らは顔を合わせることになる。

ラスムセン監督は「尊敬する数多くの監督や俳優が集まる、世界最大のステージです。パンデミックのために作品の成功を一緒に祝えなかったチームと、共に喜びを分かち合える場所になりそうで、とにかく楽しみです」と目を輝かせる。

2015年、多くのシリア難民がデンマークにたどり着いた。その光景を間近で目にしたラスムセン監督は「彼らの顔に光を当てる必要性を痛感した」という。そして、ロシアを離れたユダヤ系移民である自身の祖母の一家にも思いを馳せた。

15歳で出会った友人の過去と現在に興味を抱いたことが製作のきっかけになった『FLEE フリー』だが、そこには監督のさまざまな思いが宿っているのだ。

過去やセクシュアリティも含め、自分が誰なのか。それを知ることのできる場所を見つける、一人の人間の物語なのです

世界の現実を突きつけつつ、パーソナルな物語として共感させる『FLEE フリー』。アカデミー賞の何かの部門で受賞することになれば、ヨナス・ポヘール・ラスムセン監督のスピーチに、ぜひ耳を傾けてほしい。

ヨナス・ポヘール・ラスムセン監督
ヨナス・ポヘール・ラスムセン監督写真:ロイター/アフロ

『FLEE フリー』

6月、新宿バルト9、グランドシネマサンシャイン 池袋ほか全国ロードショー

配給:トランスフォーマー

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映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、スクリーン、キネマ旬報、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。連絡先 irishgreenday@gmail.com

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