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センバツ第4日、大阪桐蔭登場。柿木蓮への思い入れ

楊順行スポーツライター
2年だった昨年も、センバツVメンバーだった柿木蓮(右端)(写真:岡沢克郎/アフロ)

 防御率0.60は、36チームのエース中2位。1位は0.00の齋藤礼二(東海大相模)だが、齋藤は故障で、各県の強豪が集う関東大会の登板がないから、近畿大会2完封の柿木蓮もほとんど1位くらいの価値がある。

「相手が点がほしいところで与えない投球ができたのが、夏からの成長だと思います」

 昨秋近畿大会、智弁和歌山との決勝だ。強力打線に7安打を許しながら8三振など要所を締めて完封し、優勝を決めたあと、柿木はそういった。根尾昂の中堅弾で1対0とリードし、9回表最後の守りも2死。柿木の頭には「あのときがよぎった」という。"あのとき"とは、夏の甲子園だ。甲子園初先発だったこの試合、柿木は仙台育英(宮城)打線を5安打に抑え、9回も2死走者なし。そこからヒットと四球で一、二塁のピンチを招いたが、最後の打者はショートゴロで8強進出……とだれもが思った。

 だが、急造一塁手の中川卓也がベースを踏みそこねるミスで、試合終了のはずが一転、2死満塁の大ピンチに。「整理できなくて、なにが起きたのかわからなかった。気持ちが整理できなくて……」という柿木は、ストライクを取りにいった棒球を次の打者に中前にはじき返され、サヨナラ負けを喫することになる。悪夢のような敗戦だった。

佐賀・東松ボーイズ時代の会話

 実は2014年、佐賀・東松ボーイズ時代の柿木を取材したことがある。中学2年になったばかりながら、東京・大田スタジアムでの春季全国大会で125キロを計時し「まっすぐをもっと高めて、140キロを出したい」と話してくれたものだ。大田スタジアムのスピードガンはもともと表示が遅めで、実質は130キロに達していただろう球速は翌年、すぐに大台に突入。ボーイズ日本代表などのキャリアを積んだ柿木は、大阪桐蔭に進むことになる。

 そういう経緯があるから、背番号2でセンバツに出場したとき、柿木とはよく試合後に雑談をしていた。曰く、「1年の夏に有鉤骨を骨折したので、その間はポール間走、ランジ、土手ダッシュ……とか、いろいろやりました。おかげで下半身が鍛えられた」「背番号2は、正捕手の岩本(久重)さんがケガをして、急きょ登録されたから。それなのに記者の人からは、"背番号2なのに、なぜピッチャー?"とよく聞かれます」……。だが夏、悪夢のような育英戦のあとで肩を落とす柿木には、さすがに気軽に声をかけられなかったものだ。

 いわば"鬼門"ともいえる、9回2死走者なし。だが秋の近畿大会では、智弁和歌山最後の打者をレフトフライに打ち取り、柿木は自らの成長を実感したという。

「ピンチでも点をやらない投球ができるのは、夏のふがいなさがあったからです。今日は、変化球でストライクを取れたのが大きい。変化球でカウントを取れるとこんなに楽なんだ、と感じました。それでも、課題は多いです。たとえばいつも立ち上がりがよくないので、今日の初回はこの1イニングだけのつもりで投げました」

 球速は148キロに達し、キレのいいスライダーも主武器。西谷浩一監督は、エースの好投をこう評価した。「打線がつながらず、もどかしい試合でしたが、柿木がよく踏ん張ってくれました」。その近畿大会では、京都翔英との1回戦も2安打9三振で完封(7回コールド)しており、大阪大会決勝の9回からの無失点は、神宮大会の準決勝まで23回続くことになる。

 ただ神宮大会では、創成館(長崎)との準決勝に先発して3回4失点(自責1)で敗退。 

「無敗でいこう、が合言葉なのに、途切れさせてしまった。夏も結局僕で負けています。大阪桐蔭の1番をつけている以上は、勝てるピッチャーになりたい」

 勝てる投手。そういえば12年に春夏連覇した先輩エース・藤浪晋太郎(現阪神)も、下級生時代に同じ言葉をよく口にしていたものだ。

 その先輩に並ぶ春夏連覇へ、そして史上3校目の春連覇へ向け、大阪桐蔭は明日、伊万里(佐賀)との初戦を迎える。ちなみに柿木は、背番号2だった昨センバツ、そして「11」だった夏と合わせて、甲子園では3試合11回3分の2を投げ、いまだに自責は0だ。つまり、防御率0.00。背番号「1」が自責0を延ばせば延ばすほど、大会ナンバーワンの座が近づく。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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