あなたが「禁煙」できない理由がまた一つわかったかも
タバコを吸うことがこれだけ社会的に批難され、受動喫煙の害が声高に叫ばれても、街頭の喫煙所に蝟集する人々を見ればわかるとおり依然として喫煙者は多い。また、禁煙を何度、繰り返してもなかなかタバコを止められない人も珍しくはない。
タバコを止められない理由はいろいろあるが、身体的にはタバコに含まれるニコチンの中毒症状が大きいだろう。もちろん、習慣化した嗜癖行動という意味で心理的な依存も無視できないが、やはりニコチンという物質が直接的には禁煙を妨げている。
否定されていた線虫での研究
この禁煙を妨げるニコチン依存のメカニズムに迫る研究論文(※1)が、米国の科学雑誌『Cell』の「Cell Reports」に出た。米国ミシガン大学の研究者によるもので、従来、すでに研究し尽くされた結果、ニコチンの作用機序はそこにない、とされていたメカニズムの解明をした。線虫(C. Elegans)と先端的な遺伝子技術を使ったところがこの研究のミソだ。
無脊椎動物の線虫は、一般的によく使われる実験動物だが、我々ヒトと同様、ニコチン依存になる。線虫とヒトによく似た受容体があるというわけだが、受容するそもそもの物質はニコチンではなくアセチルコリンだ。
アセチルコリンは多細胞動物に共通の神経伝達物質で、副交感神経や運動神経の末端から放出される。線虫や我々ヒトにはあるが、ゾウリムシなどの単細胞動物にはない。
アセチルコリン受容体は、五量体といって5つのサブユニットが合体した形になっている。細胞膜から花が咲くように突き出して5つの中心が筒状の通路になっていて、アセチルコリン受容体(AChR)がアセチルコリンを感知することで神経刺激を伝え、筋肉を収縮させたり脈拍を遅くしたり唾液を出したりする、というわけだ。
このアセチルコリン受容体には、ニコチン性(タバコ毒)の受容体(nAChR)とムスカリン性(キノコ毒)の受容体もある。ニコチン性のアセチルコリン受容体は、五量体の中心通路がゲートのように開閉することでナトリウム陽イオン(Na+)を細胞外から細胞内へ入れ、細胞を刺激する。本来ならアセチルコリンを受容するためのシステムだが、喫煙することによって少量のニコチンを体内へ入れると、脳の中枢神経細胞にあるニコチン性アセチルコリン受容体を刺激してドーパミンを出し、依存症になる、というわけだ(※2)。
これまでの研究では主に、ニコチンが受容体を刺激してドーパミンを出し、その後どうやって依存性が獲得されるのか、という代謝の部分に注目が集まっていた。また、いわゆる「小さなRNA(リボ核酸)」と言われるmiRNA(マイクロRNA)がニコチンと受容体の関係に深く関わっているのはわかっていた。だが、ニコチンが受容体を経由する過程に、一体どんな遺伝子が作用しているのかについての報告はなかった。
この論文の研究者は、どのmiRNAが重要かという仮説を立て、まずその標的として実験動物の線虫をニコチン依存にさせている「ACR-19」という受容体から探っていく。このACR-19受容体を作り出しているメカニズムを解明した結果、「miR-238」というmiRNAとACR-19のmRNA(メッセンジャーRNA)の関与を明らかにした。つまり、miR-238という遺伝子が、ニコチン受容体を発現させるタンパク質の増加過程に重要で機能的な役割を果たしていた、というわけだ。
線虫(C.elegans)がニコチン依存になる作用機序を今回の研究で説明した図。喫煙によりニコチンが体内へ入ると五量体のニコチン性アセチルコリン受容体(ACR-15)と結合し、miRNA-238により転写されて別のニコチン性アセチルコリン受容体(ACR-19)を構成するタンパク質の阻害効果を和らげ、その結果、線虫(左上)にニコチン依存行動をさせる。Via:Manish Rauthan, et al., "MicroRNA Regulation of nAChR Expression and Nicotine-Dependent Behavior in C. elegans." Cell Reports, 2017
ニコチン依存解明の新たな可能性
小さなRNAには、このmiRNAのほか、低分子のsiRNA(短い干渉RNA)やshRNA(短いヘアピンRNA)などがある。2000年代に入ってから確立された「RNAi(RNA干渉)」という現象を利用した技術によって明らかにされ、従来は「ゴミ」と呼ばれていて顧みられなかった領域だ。
このRNAiは、不可逆とされてきた遺伝子のセントラルドグマに逆らうような現象で、最初に線虫で発見され、2006年には発見者がノーベル生理医学賞を受賞している。この研究では、線虫とRNAiの技術を使い、ニコチンの慢性暴露からタンパク質、そのタンパク質を制御しているmiRNAという具合にターゲットの遺伝子を探り当てた。
アセチルコリン受容体とニコチン依存との関係の研究は、せいぜい1990年代でほぼ終えてしまい、解明され尽くした、というのが従来の学会での定説になっていた。しかし、遺伝子技術は日進月歩だ。RNAiという現象も、2000年代に入ってから原理を利用した技術が開発され始めた。最新の技術で改めて受容体とニコチン、依存との関係を調べてみた結果、新たな手掛かりがわかった、というわけだ。
線虫という無脊椎動物にあるニコチン依存の遺伝子のメカニズムだが、哺乳類にもこれらの遺伝子が関与している、と研究者は言う。線虫のACR-15とACR-19は、哺乳動物における「α7-nAChニコチン性受容体」に関係しているからだ。
実はニコチン依存もまだよくわかっていない生理現象であり、その炎症の促進性や抵抗性、神経変性疾患との関係など、ニコチンという物質に解明すべきことは多い。今回、miRNAがニコチン依存に機能的に関わっていることが示唆されたことで、依存のメカニズム解明に一歩近づけたとも言える。
また、ニコチンの受容体は、GABAやグリシン、セロトニンといった脳内伝達物質とタンパク質がよく似ていることが知られている。今回のように改めて線虫を用い、RNAiなどの先端技術を使うなどすることで、ニコチンの作用以外の脳内伝達物質にも新たな研究成果が出てくるかもしれない。
※1:Manish Rauthan, Jianke Gong, Jinzhi Liu, Ahaoyu Li, Seth A. Wescott, Jianfeng Liu, X. Z. Shawn Xu, "MicroRNA Regulation of nAChR Expression and Nicotine-Dependent Behavior in C. elegans." Cell Reports, Vol.21, 1434-1441, 2017
※2:Julie M. Miwa, Robert Freedman, Henry A. Lester'Correspondence information about the author Henry A. Lester, "Neural Systems Governed by Nicotinic Acetylcholine Receptors: Emerging Hypotheses." Cell, Neuron, Vol.70, Issue1, 20-33, 2011
※3:A K. Jones, D B. Sattelle, "Functional genomics of the nicotinic acetylcholine receptor gene family of the nematode, Caenorhabditis elegans." BioEssays, Vol.26, Issue1, 39-49, 2004