追悼 元WBAヘビー級チャンピオン
1月12日、南アフリカから誕生した元WBAヘビー級チャンピオン、ゲリー・コーツィーが亡くなった。
アパルトヘイト全盛だった1970年代から1980年代に、白人からも黒人からも愛されたファイターだった。享年67。
元チャンピオンのマネージャーを務めたティヌス・ストライドによれば、コーツィーは肺癌と診断されてから、僅か1週間後の木曜日にケープタウンで亡くなったとのことである。
白い肌を持っていたコーツィーは、アフリカ人として初めて世界ヘビー級タイトルを獲得した男だ。彼は、1983年9月23日にオハイオ州リッチフィールドでマイケル・ドークスを10ラウンドでKOし、WBAのベルトを奪取した。
以後、コーツィーは20年以上もの間「世界ヘビー級タイトルを獲得した偉大なる白人の希望」と称されたが、本人はそうした扱われ方に嫌悪感を示した。
コーツィーは言った。
「私は、黒人も白人も関係なく、ファンの皆様のために戦っていると感じています。私が嬉しいのは、人々が、人種を問わずにファイターである私を受け入れてくれることです」
当時の南アフリカの常識を覆す、そんな姿勢が評価され、2003年に南アフリカ政府からイカマンガ勲章(ブロンズ)を授与された。この時、同政府は「何百万人もの南アフリカの黒人が、彼の戦いを見詰めながら、アパルトヘイトの誤った論理を打ち破ったコーツィーを応援していたのです」とアナウンス。無論、ボクシングファンであるネルソン・マンデラも高く評価していた。
コーツィーは1979年6月24日、モハメド・アリとの再戦に敗れたばかりの元チャンプ、レオン・スピンクスを初回KOで下して世界戦線に躍り出る。この時の戦績は22戦全勝。しかし4カ月後、アリの引退で空位となったWBA王座決定戦で判定負け。1980年10月25日の2度目の挑戦では13回KO負けを喫した。
WBA王座は3度目の正直での戴冠であった。が、タイトルを獲得したドークス戦でコーツィーは右の拳を骨折。その後も度々、このケガに泣かされることとなる。1984年12月1日の初防衛戦に失敗。8回KO負けで王座から転落した。
コーツィーのラストマッチは、1997年6月8日。WBBというボクシング関係者でも殆どの人間が知らない団体のスーパーヘビー級王座決定戦で、元3階級制覇の王者、アイラン・バークレーに10回TKOで敗れた。生涯戦績は、33勝(21KO)6敗、1引き分けであった。
人種の壁を越えて熱い声援を受けたコーツィー。冥福をお祈りいたします。