「ここはモナコ、絶対に抜けない!」あの名実況を生んだセナのF1マシンが高速道路PAに!
「ここはモナコ、モンテカルロ、絶対に抜けない!」
このフレーズの主はフジテレビの朝の顔、三宅正治アナウンサー。今から28年前=1992年のF1モナコGPで、テレビ中継の実況を担当していた三宅アナが、アイルトン・セナとナイジェル・マンセルの壮絶なバトルを興奮気味に伝えた。
何気ないシンプルな言葉だが、レース史上に残る名実況として、今も多くのファンの心に刻み込まれている。
そんな歴史的名勝負で優勝したアイルトン・セナのF1マシン「マクラーレンMP4/7A」が4連休を前に高速道路のパーキングエリアに展示されることになった。
92年、セナが苦しんだ1年
日本がF1ブームに沸いていた1990年代、赤と白のツートンカラーのF1マシンは「速いF1マシンの代名詞」として今も記憶の中に刷り込まれているかもしれない。
確かに赤と白のマクラーレン・ホンダ、そしてそれに乗るアイルトン・セナは速かった。
しかし、圧倒的な速さを見せつけたのは1980年代の後半のことであり、90年代のマクラーレンは絶対王者の地位から引きずり下ろされ始めていた。ホンダが巨大なパワーのエンジンで他を圧倒したのは80年代までで、90年代になるとF1は車体の性能が重視され、コンピューターを多用したハイテク技術の投入が必須の時代へと変化していく。エンジンの力だけでは勝てない時代になったのが1992年だ。
この年、ウィリアムズ・ルノーが電子制御の力で走行中の車高を一定に保つ最新技術、アクティブサスペンションを完成形に導いた。ウィリアムズはそれまで最強のコンビネーションだったマクラーレン・ホンダをついに凌駕することになったのだ。
ナイジェル・マンセル(ウィリアムズ・ルノー)が開幕5連勝。誰がどう考えても、ウィリアムズとマクラーレンには大きな差が生まれ、日本のファンは「音速の貴公子」アイルトン・セナがライバルに追いつけず、苦悩する姿を初めて目の当たりにすることになった。
そんな中でアイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)が奇跡的に勝利を飾ったのが第6戦・モナコGP。レース終盤に、トップ独走のナイジェル・マンセルが緊急ピットインし、代わってトップに立ったセナが逃げる。しかし、マシンの速さは歴然であっという間にテールトゥノーズの接戦に。しかし、セナはマンセルを意地で、魂の走りで抑えこみ、逃げ切ったのだった。
ホンダとセナの最後マシン
圧倒的に不利な状況でも、最後まで諦めてはいけない。そんなセナの走りに感情移入してしまったファンは多いのではないだろうか。
苦しみながら、もがきながら戦ったセナだったが、ホンダが92年限りでのF1撤退を発表し、セナは共にワールドチャンピオンを勝ち取ったホンダの撤退を悲しむあまり、テレビカメラの前で本当に涙を流したのだった。
セナが渾身の走りを見せたマシン、「マクラーレン・MP4/7A」は7月22日から、新名神高速道路の鈴鹿パーキングエリア「PIT SUZUKA」のエントランスで展示されている。
【展示場所】
E1A 新名神高速道路 鈴鹿PA
(三重県鈴鹿市山本町)
普段は栃木県のホンダ・コレクションホールで生態保存されているマシンであり、実はイベントの展示などでコレクションホールを出て展示されるチャンスは多くはない。ましてや今回は博物館やイベント会場ではない普通のパーキングエリアで、貴重なF1マシンが見られるという滅多にない機会だ。
今年のF1日本グランプリは新型コロナウィルス感染拡大の影響で中止になってしまったが、新名神高速を通るチャンスがあれば、休憩や食事でモータースポーツの街・鈴鹿に立ち寄ってみてはいかがだろうか。