独立リーグ史上初!元選手が立ち上げた新球団「福井ネクサスエレファンツ」を福井県民に愛されるチームに
■独立リーグ球界初の元独立リーガーが作った球団
「エレファンツ」が、福井の地に帰ってきた。
かつて福井県民に愛された福井ミラクルエレファンツが消滅して2年。このたび、BCリーグから分離した新リーグ(日本海オセアンリーグ)が創設されるとともに、福井ネクサスエレファンツが誕生した。
新球団のオーナー、そして球団社長はなんとBCリーグで5年間、主力として活躍した元独立リーガーたちだ。独立リーグでプレーした選手が独立リーグで球団を興すというのは、日本の独立リーグ史上初である。
■杉山慎(2010~14信濃グランセローズ)
球団オーナーの杉山慎氏は千葉県出身で、市立船橋高校から日本大学国際関係学部に進み、全足利クラブで3年、主戦としてプレーした。その後、新たなチャレンジとして2010年、NPBを目指して信濃グランセローズ(以下、信濃球団)に入団。
「1年で区切りをつけようと思っていたけど、まだ優勝したことない信濃をどうしても優勝させたい」という思いから続けることにし、2012年7月には月間MVPを獲得するなど、先発として活躍した。
「もう年齢的にNPBは無理だな」と2013年に退団し、オーストラリアでの野球に挑戦した。その後、大塚晶文氏が信濃球団の監督に就任することになったと聞き、「大塚さんのもとで学びたい」との意欲から復帰した。
「大塚さんってすごく行動力があって、『これがいい』と聞いたらもう、いてもたってもいられなくて行っちゃう。朝早く起きて一緒にトレーニングに連れていってもらったりした」。
ともに過ごす中でさまざまなことを教わり、2014年に引退した。
そして家業に就くことを決めた。杉山家では先代の父の跡を継いだ長男が、建築業やスクラップなどの売買、居酒屋、デーサービスなど手広く事業を展開している。「建築のほうで新しい部門を作りたいので帰ってこいと言われて、戻った」と、三男にあたる杉山氏もセカンドキャリアを歩み出した。現場を経験するために他社にも3年間修行に赴き、現在は自身で建築設備の会社を経営して4年になる。
■もう一度、地域の人たちと盛り上がりたい
日本海オセアンリーグの代表、黒田翔一氏とは同い年で、高校時代にはお互い県のチャンピオンとして関東大会に出場している。その後、再会を果たし、親交を深めてきた。
昨年、黒田氏がオセアン滋賀ブラックス(来季から滋賀GOブラックス)の球団社長に就いた際には、いちスポンサーとして自社で応援もした。「滋賀にも4~5回、足を運んだ」と言い、引退はしてもBCリーグは身近にあった。もちろん古巣の成績は気にかけていたし、OBたちのグループLINEでは常日頃、情報交換もしてきた。
そんな折、黒田氏が新リーグを立ち上げることになり、福井を再興しなければならないという話になった。2年前に設立された福井ワイルドラプターズが経営危機に陥っていたからだ。
そこで声がかかったのが杉山氏だった。「杉ちゃん、やる?」と。「独立リーグ出身で経験もあるし、本業も安定していると僕のほうで判断したから。やってみてくれないか」と黒田氏から持ちかけられた。独立リーグで実際にプレーした経験は大きい。元選手ならではの視点や人脈など、これほどうってつけの人物はいないと見込まれた。
杉山氏も昔から「いつかは野球界に恩返ししたい」という思いは抱いていたという。「地元千葉でクラブチームとか作りたいなというのはあったけど、いかんせん本業に腰を入れて取り組まねばならなかったから」と、当初はおぼろげな遠いビジョンだった。
しかし、現在は自社も軌道に乗ってきた。機が熟したのと同時に、自身が信濃球団でプレーしていたときの体験を思い起こした。「地元の方々に熱心に応援してもらっていると肌で感じていた年代」で、相手チームとしての福井球団の盛況ぶりも目の当たりにしていた。
「もう一度、地域の人たちと密着して盛り上がりたいな」―。そんな思いがふつふつと湧いてきた。
意を決し、黒田氏のオファーを快諾した。ただし、一つだけ条件を出した。「球団社長は篠田にお願いしたい」と。信濃球団で4年間、チームメイトとしてともに戦った篠田朗樹氏のことだ。
本業も疎かにできない杉山氏にとって、ひとりですべて取り仕切るのは物理的に不可能だ。自身の右腕として、絶対的に信頼できるパートナーが必要であり、それが篠田氏だったのだ。その篠田氏を口説き落とし、球団オーナーと球団社長として福井球団を立ち上げることとなった。
■篠田朗樹(2011~14信濃グランセローズ、2015武蔵ヒートベアーズ)
杉山氏の4学年下になる篠田氏は、春日部共栄高校を卒業後、武蔵大学から信濃球団に入った。ルーキーイヤーの2011年は先発、中継ぎ、抑えとすべてのポジションを経験し、翌年からはクローザーとしてチームの勝利に貢献するとともに、なんとしてもNPBに行きたいという思いで必死に腕を振った。
「スカウトはけっこう見にきてくれてたけど、やっぱりドラフト指名されるのは難しくて…」。
十二分に成績は残してきたが、4年間悔し涙に暮れた。ラストイヤーだと決め、背水の覚悟で2015年に武蔵ヒートベアーズに移籍し、先発に挑戦した。が、その年も指名はなかった。
だが、その制球力を評価され、東北楽天ゴールデンイーグルスから打撃投手としてのオファーが舞い込み、1年間務めた。そのあと、とうとうユニフォームを脱いだ。
その後、保険の代理店の営業や広告営業などを経験したあと、ベンチャーの人材業界で働いているときに杉山氏から「球団社長をやってほしい」と声がかかった。
絶大なる信頼を受ける篠田氏もまた、信濃球団に入団した当初から杉山先輩をリスペクトしている。「もう、めちゃくちゃ練習をする。僕も大学のときすごくやっていたけど、こんな人いるのかと思うくらいやっていた」とすぐについていった。そして引退後の今もなお、酒を酌み交わし、忌憚なく話ができる仲なのである。
また、「チームを持ちたいという思いはあった。どういうカテゴリーでというのは明確ではなかったけれど」と自身も青写真を描いていたこともあり、杉山氏の申し出を引き受けることにした。
篠田氏も同じく、「ファンのたいせつさとか、めちゃくちゃ実感している」と、現役時代に感じたことが今も自分の中に生きているという。
「大学4年で(BCリーグの)トライアウト受けたとき、リーグ代表の村山(哲二)さんがいきなり『この中でNPBだけを目標にしているやつは、ここから立ち去れ!』って言った。みんなそうだろって思っていたけど、シーズンが始まるとその意味がよくわかった。あぁ、独立リーグって地元の人に愛されて存在してるんだなぁって」。
だからこそ今一度、地域に根差した球団を確立したいと思ったのだ。
こうして志を同じくする元独立リーガーがタッグを組んで設立したのが、福井ネクサスエレファンツというわけだ。
■「エレファンツ」はマスト
球団名を決めるとき、まず「エレファンツにしよう」とすんなり決まった。「エレファンツは戻したいねっていうのは、ずっと言っていた」。
さらにスタッフの奥田涼氏も交えて協議し、「地元に結びつくとか、地域との繋がりとか、絆とかっていう意味を込めてネクサスをつけた」と明かす。「福井ネクサスエレファンツ」という、その響きも大事にした。
ユニフォームも黄色をモチーフにネイビーを配すると決定し、カラーリングもミラクルエレファンツがなつかしく思い出される。「エレファンツ」という名前とともに、オールドファンへの訴求力も高いに違いない。
■西村徳文 会長兼GMと南渕時高 監督
会長兼GMには元千葉ロッテマリーンズで日本一監督に輝き、昨年までオリックス・バファローズでも指揮を執った西村徳文氏(ロッテ―千葉ロッテ―オリックス)を招聘した。「完全に僕のわがままです(笑)。元々西村さんが大好きで…」と、マリーンズファンである杉山氏が働きかけたという。
「福井を現在の状況から立て直すって考えたときに、やはりNPBで1軍監督をやられていたくらいの大きな“看板”がないとダメだなと思った。たまたま西村さんに繋いでくださる方がいて、すぐに電話したら『興味あるよ』って言ってくださった」。
西村氏は「自分の持ってるものをすべて伝えたい」と、福井に移り住んで尽力してくれるという。
監督は南渕時高氏(天理高―青山学院大―ロッテ―千葉ロッテ―中日―オリックス)に決まった。
「独立で5年やられているので、よくわかっておられるし、直近でも2年で3人、NPBに出している。指導も親身になって熱心にされている。まだまだトップダウンの野球界にあって、新たな指導というか、選手のいいところを引き出すのがすごくうまいんだと思う」。
今季まで信濃球団で野手総合コーチとして5年にわたって発揮されたその指導力には、杉山氏、篠田氏ともに敬服している。
■夢に出てくる
現在、バックアップしてくれるスポンサー探しの営業活動に奔走している。地元企業に応援してもらいたいという思いで、アポなしの飛び込みでお願いすることもあるという。先日は訪問先で強豪大学の野球部OBという社長に遭遇し、意気投合した。野球が繋ぐ縁に感謝する日々だ。
「独立出身っていうことですごく共感をいただけたり、『エレファンツに戻るんだったら、もう一回応援しようかな』って離れていた企業さんが戻ってくださったりというのもある。やはり『エレファンツ』という名前への共感がすごく大きい」と、嬉しい反応に頬を緩める。
しかし、スタートしたばかりでまだまだ資金繰りが順調とはいえない。「毎日、夢に出てくる、経営大丈夫かなって(笑)」と頭を悩ませるが、「運営面は、1年目はリーグのサポートにも甘えさせてもらって、2年目3年目には結果出していきたい」と意気込んでいる。
■感謝の気持ちと恩返し
二人の思いは共通だ。福井の人々に応援してもらいたい、地元に根づかせたい、それに尽きる。そこでなにより大切にしているのが、「感謝の気持ち」と「恩返し」だ。「応援してもらって当たり前だと思ったら終わり」と二人は口をそろえる。
「県民のみなさんの支えがあってこそ、野球ができる。野球をやらせてもらってる福井に恩返しするという気持ちでやりたいし、福井県の野球も盛り上げていきたい。福井の子どもたちが県外に出るのは淋しい。『エレファンツに行ったらNPBに行ける』って、そういう踏み台でもありたい」。
「『地域のために』っていうのは、これまでも口では言ってきた。それをどれだけ形にできるかが勝負だと思う」と、試合だけでなく福井県全域での野球教室や小学校での登下校時の挨拶など計画を練る。「我々は現役のとき、放課後クラブみたいなところで小学生と遊びに行ってた経験もある」と、できる限り地域に還元することを考えている。
半数近くは福井にゆかりのある選手がそろった。これから一緒に戦う選手たちにも「思いっきり野球をさせてあげる環境を作りたい」と多方面での整備を進めているところだ。杉山氏、篠田氏からは選手たちにメッセージを送る。
杉山慎 球団オーナー
「勘違いせずに、目指すものをハッキリ明確にして、何をやりたいのか尋ねられたときにちゃんと答えられる選手でいてほしい。NPBを目指すのは当たり前のことで、その中で福井県のために頑張ってほしい。また将来、社会に出ても恥ずかしくない人間力をつけてほしい」
篠田朗樹 球団社長
「僕の好きな言葉に『足るを知る』というのがある。たしかに独立リーグって給料が少ないとかいろいろあるとは思うけど、いろんな面でめちゃくちゃ満ちているし、多くの愛情を受けている。それを選手にはわかってもらいたい。辞めたあとに後悔するようなことだけはしてほしくない」
独立リーガーとして体力も精神力も鍛錬してきた二人である。野球を通じて築いてきた人脈は幅広く、その絆は強固だ。プレーヤーだったからこそ見えること、わかること、できることがきっとある。
若きオーナーと社長の目の前には今、希望しかない。
(本文中の写真提供:福井ネクサスエレファンツ)
【杉山慎*BCリーグ年度別成績】
2010〔信濃〕26試合 148.2回 9勝11敗 防御率3.15
2011〔信濃〕26試合 136.2回 11勝4敗1S 防御率3.23
2012〔信濃〕23試合 135.2回 8勝8敗 防御率3.71
2013〔信濃〕28試合 107回 9勝6敗 防御率3.87
2014〔信濃〕29試合 115.2回 9勝6敗 防御率2.90
【篠田朗樹*BCリーグ年度別成績】
2011〔信濃〕36試合 82.1回 3勝1敗5S 防御率2.40
2012〔信濃〕41試合 57.2回 3勝敗18S 防御率1.25
2013〔信濃〕39試合 42回 1勝2敗19S 防御率3.21
2014〔信濃〕41試合 45回 1勝2敗13S 防御率2.40
2015〔武蔵〕25試合 147回 12勝5敗 防御率1.84