お騒がせシャイア・ラブーフが、暴れん坊マッケンローを演じた心境は?
これ以上のはまり役が、果たしてあるだろうか。シャイア・ラブーフがジョン・マッケンローを演じると聞いた時は、目の前に誰もいないのに、思わず立ち上がって拍手しそうなほど、そのキャスティングの妙に感激してしまった。
80年代に大活躍したテニス選手マッケンローと、“スピルバーグの秘蔵っ子”として10代の頃からハリウッドの大作に抜擢されてきたラブーフは、どちらもアメリカ人で、貧しい家の生まれ。並外れた才能を持つのは誰もが認めるところながら、ふたりとも、お騒がせ行動でメディアの注目を浴びることが多かった。マッケンローは、試合の途中、怒ってラケットを地面に打ちつけたり、審判に言いがかりをつけたりするなどして、このスポーツの品格を重視する人々に嫌われたし、ラブーフは近年、酔っ払ってブロードウェイの劇場に入り込んでは騒いだり、奇妙なパフォーマンスをしたりして、正気の沙汰を問われたりしている。
昨年のトロント映画祭でオープニングを飾り、本日、日本公開となる「ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男」のマッケンロー役を、ヤヌス・メッツ監督がラブーフにオファーしたのは、もちろん、そんな共通点があったからだ。そして、そう思ったのは、メッツが初めてではない。ラブーフが映画祭での会見で明かしたところによると、彼は以前にも、別の企画で、マッケンローを演じないかと言われたことがあったのである。
「その映画は、皮肉を込めて彼を描くものだった。彼は、やたらと叫ぶだけの男になっていて、そこに敬意をまったく感じなかったんだ。でも、今作の脚本を読んで、僕は感動した。ロンニ・サンダールが書いたその脚本に、僕は、何か詩的なものを感じたんだよね」。
舞台は、1980年のウィンブルドン決勝戦。だが、メッツに言わせると、「今作はスポーツ映画ではなく、心理スリラー」だ。4時間弱にも及ぶこの大接戦を戦い抜いたのは、“氷の男”こと、感情を外に出さないスウェーデン人選手のビヨン・ボルグ(スヴェリル・グドナソン)と、“炎の男”こと暴れん坊マッケンロー。映画は、彼らの過去や、内面の苦悩を、フラッシュバックを混ぜつつ語り、この対局のふたりが、奥底ではそう違わないことを見せつけていく。
映画の中に、記者会見でマッケンローが記者たちに対して、テニスをしないお前らにはわからないというような答をする場面があるが、それは、その事実をさりげなく伝えるシーンのひとつ。ラブーフも、「その人のことを本当に理解できるのは、ネットの向こうにいる人だけ」と語る。彼はまた「マッケンローは誤解されていた」とも言う。ラブーフに言わせれば、マッケンローは暴れん坊ではなく戦術家なのだ。
「マッケンローは、ただ怒って暴れていたわけじゃない。彼は、そうすることで場に緊張感を与えていたんだよ。そうやって彼は自分自身を盛り上げていたのさ。その意味で、彼はアーティストだったとも思う。だけど、当時、それはただ漫画っぽく見えるだけだったんだよね。善人(ボルグ)と悪者(マッケンロー)の戦いとして、単純に括られてしまった」。
マッケンローは「ずっと誤解されていた」と信じるラブーフは、この役をやることで癒しの効果を得たと認める。
「彼と僕の間にはいくつかの共通点がある。それは脚本を読んだ時にも思ったし、演じている時にも感じていた。映画が完成した今、僕は、これをとても誇りに思っている。これは、僕の中にあることを表現してくれる映画だよ」。
グドナソンによると、ロケ中、ラブーフは、彼に、自分より良いホテルに泊まるべきだと言ったそうだ。ボルグはすでに大スターだったが、マッケンローは新進で、宿泊ホテルにも差があったはずだと主張したのだそうである。そんなところにも、ラブーフの真の人柄とプロフェッショナリズムが見え隠れする。
過去のインタビューで、ラブーフは、彼の家が「君が想像できないくらい」貧しかったこと、子供時代にパフォーマンスを始めたのもお金を稼ぐ目的だったこと、勉強しなかったために公立高校を退学処分になったことなどを、率直に語ってくれた。そんなところから急にのし上がった彼は、ほかの人には想像できないさまざまなことに直面してきたはずだ。「スポーツ選手と同じで、俳優は、とてつもない野望を持った普通の人が、人前に自分自身をさらけ出す仕事なんだ」と、ラブーフ。ネットの向こう側ではなくても、理解し合える人は、いるのかもしれない。
「ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男」は本日より日本全国公開。
写真/AB Svensk Filmindustri 2017