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大震災後も日本に留まることを決意した中国人 「日本人の底力を信じていますから」

中島恵ジャーナリスト
震災後、がれきを撤去する人々(写真:ロイター/アフロ)

 東日本大震災から10年という節目が過ぎた。多くの報道から、あの日、自分が取った行動を思い出した人は多かっただろう。当時、日本に住んでいた中国人の中には、「日本人の犠牲の精神に感動した」という人が多かった。

大震災から10年 中国人が今も感動している、日本人が自然に取った「ある行動」

 彼らの中には、大地震と原発事故を受けて、家族から「一刻も早く帰ってきて」と強く訴えられ、日本に留まるべきか、帰国するべきか、悩んだり、戸惑ったりした人が少なくなかった。

4日かけて日本を脱出した人もいた

 10年前、私が取材した中には、こんな人がいた。

「中国に住む両親が、『お願いだから、とにかく一度、中国に帰ってきて、安心させて』と強くいうので、フライトを探したのですが、成田や羽田から中国への直行便はすでに完売。そこで、羽田から関空へ飛び、関空→ソウル、ソウル→北京へと乗り継ぎ、北京から国内線に乗って実家のある河北省の町に着いたのは、東京を出発してから4日後の深夜でした。これまでにないくらい疲労困憊しました」

 大震災の混乱の中、とにかく東京から逃げ出さなければ、と思い、行動に移した外国人は多かった。外国人だけに限らないが、東京から関西方面に一時的に避難したという人もいた。当時の取材メモによると、入国管理局には再入国ビザを申請する外国人が殺到して、長蛇の列ができていた。

「もう日本はおしまいだ。逃げなくては……」と、アルバイト先に何も告げずに帰国してしまい、その後も電話1本すら掛けてこなかった無責任な中国人もいれば、大震災を機に、日本人のすばらしさを見直し、日本人の底力に希望を託し、日本人とともにここで生きることを選んだ中国人もいた。

暗闇の中、帰宅者に総菜を売り続けた

 10年前のあの日、大手チェーンの飲食店で社員として働いていた男性(当時28歳)は、大震災が起きた瞬間、店内で接客をしていた。そのあと、まず店内にいたお客さんを避難所まで誘導すると、2人の中国人アルバイトとともに「とにかく、今できることを一生懸命やろう」と約束した。

 チェーン本部との電話はつながらなかったが、停電で真っ暗な中、やっと用意できた白いご飯とサラダなど数種類の総菜を、店頭に出したテーブルの上に並べ、徒歩で帰宅する人々に向かって、声をからして販売した。帰宅難民も大勢いたが、何時間もかけて家路に着こうとする人々が「ありがとう。家に帰って食べるものがあって、ほっとした」と暗闇の向こうで微笑んでくれた。

 一段落した夜中には、手伝ってくれた近所に住む日本人のアルバイトが、その晩、店に泊まり込むアルバイトのために、わざわざ布団を運んできてくれた。

 この男性はいう。

「彼らとは、『怖いね、心配だね』という話はしましたが、早く逃げようという言葉は一度も出なかった。むしろ、心配して何度も電話を掛けてくる中国の両親に、今の日本の状況をきちんと説明して、理解してもらわなきゃいけないね、と話し合って、一緒に店内で寒さをしのぎました」

純粋に、日本という国が好き

 同じとき、大手企業への就職が内定していた留学生の男性も、帰国しようとは思わなかった。一時帰国した友だちから「おまえ、日本にいて怖くないのか?」といわれたが、意に介さなかった。当時、付き合っていた彼女の祖父母が東北地方に住んでいたこともあって、彼女と一緒に心配し、ずっとテレビにかじりついていた。

「自分はただ純粋に、日本という国が好き。震災で改めて、自分の気持ちがよくわかった。日本がかつてない危機に直面しているときこそ、自分は逃げちゃいけない。日本に残って、何かしなくちゃいけないと思った。日本に恩返ししたい気持ちなんです」と、当時、彼は話してくれた。

 友人と一緒に、被災地にボランティアで何度も出かけた。被災地では、混乱している最中でも、地元のおばあちゃんが湯呑みに白湯をいれてくれて、感激したという。

 震災で逃げた中国人、逃げなかった中国人の境界線はどこにあったのか。当時、雑誌のインタビューで、ある中国人留学生の男性は私にこう答えてくれた。

「個人的な意見ですが、あのとき逃げ出した人は、留学先が日本じゃなくても別によかったのかもしれません。ただ、どこかに留学したいと思って、たまたま日本にきただけだから、無我夢中で逃げてしまったのかも……」

「逆に日本に残った人は、本当に日本のことが好きで、日本でやりたい明確な目標があったから、それを投げ出してまで帰国することはなかった。それに、こんなときこそ、日本人の底力を見ることができる。絶好の機会だと思います」

日本の青い空を恋しく思う

 前述した、4日間かけて中国の両親の元に帰った女性は、こうもいっていた。

「3日目に北京空港に降り立ったとたん(ちょうど3月だったので)、北京はひどい黄砂で、地面から砂ぼこりが巻き上がっていて大変でした。数日前、関空で見上げた真っ青な空がもう恋しくなっちゃいました」

 10年経ち、今は中国の状況もだいぶ変わってきているし、情報量も格段に増えた。当時は、両親の意見には絶対に服従しなければならない、という留学生が多く、この女性もやむなく帰国したのだが、取材の際、彼女が私に言い残した言葉は今も耳に残っている。

「本当のことをいうと、すぐに東京に帰りたくなっちゃったんです。人間はどこに住んでいたって、100%安全だなんてことはないんですから」

ジャーナリスト

なかじま・けい ジャーナリスト。著書は最新刊から順に「日本のなかの中国」「中国人が日本を買う理由」「いま中国人は中国をこう見る」(日経プレミア)、「中国人のお金の使い道」(PHP新書)、「中国人は見ている。」「日本の『中国人』社会」「なぜ中国人は財布を持たないのか」「中国人の誤解 日本人の誤解」「中国人エリートは日本人をこう見る」(以上、日経プレミア)、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」「中国人エリートは日本をめざす」(以上、中央公論新社)、「『爆買い』後、彼らはどこに向かうのか」「中国人富裕層はなぜ『日本の老舗』が好きなのか」(以上、プレジデント社)など多数。主に中国を取材。

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