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「エゴイストと言われ悩んだ時期も」清水エスパルスFW鄭大世、家庭を持って変化した人生観とサッカー観

金明昱スポーツライター
鄭大世と妻のソヒョンさん、息子、娘の4人家族(写真提供・鄭大世)

 とてものどかな場所だった。静岡市清水区の住宅街。

 歩いていると駐車場に止まっている黒のスポーツカーのベンツが目に飛び込んできた。

 清水エスパルスのFW鄭大世の愛車だ。

 彼が川崎フロンターレにいたころは、「HUMMER(ハマー)」に乗っていて、力強いイメージにぴったりと思っていたが、黒のベンツも案外お似合いだ。

 J1リーグ第11節で、川崎フロンターレと戦った翌日。練習で疲れているにも関わらず、鄭大世は家に招待してくれていた。

 彼が韓国Kリーグの水原三星でプレーしていたとき、インタビューで自宅に招いてくれたことがあったが、当時と状況が違うのは、彼が独身でないこと。今は立派な家庭を持つ2児の父親でもある。

 在日コリアンとして生まれ、Jリーグでプロデビューを飾り、北朝鮮代表として南アフリカワールドカップ(W杯)にも出場。ドイツや韓国でもプレーした特異な経歴を持つ。

 2013年に韓国人の妻と結婚し、2人の子どもにも恵まれ、今はサッカーと子育てを楽しみながら、プロサッカー選手として生きている。

 人生いろいろ――である。今、新たな幸せを感じながら生きている鄭大世の人生観、家族の在り方、これからの生き様に迫った。

うまくいかない理由

 鄭大世に招かれて家に入れてもらうと、最近、家族の一員になったドーベルマンの子犬が出迎えてくれた。

「嫁さんがずっと前から飼いたいって言ってて。かわいいでしょ。トイレさせないと自分で行かないんですよ」

 すると韓国人の妻、ミョン・ソヒョンさんと息子のテジュくん(4歳)と娘のソアちゃん(3歳)が、幼稚園のあとのスイミングスクールから帰ってきた。

 髪型や風貌が父親そっくりの息子の登場に場が和む。お父さんにすり寄ってくると「サッカーもスイミングもやってるんだよ」と自慢げだ。

「ボールは投げるものではなく、蹴るものと教えています(笑)」と鄭大世。

 将来、鄭大世のようなサッカー選手になっているのかを想像する。ただ、親の思う通りにいかないのが子育ての難しいところかもしれない。

「サッカーをさせたいとは強く思ってはいませんけれども、サッカーやっている姿を見るとうれしいですね」と笑う。

 今は家族と共に目の前にある穏やかな日々を楽しんでいる姿が垣間見られる。

 しかし、プロサッカー選手としての鄭大世の胸中は穏やかではない。家族の話の前に、どうしても聞いておかねばならないのが、現在のチーム状況と個人のサッカーに関する話だ。

 清水エスパルスは2勝3分7敗の18位で最下位。チームだけでなく、自身のパフォーマンスに納得が行かない日々に苛立つこともある。

 今季のリーグ戦で鄭大世は先発出場が5試合、途中出場が5試合で2ゴール。2016年にJ2からJ1に昇格を決めたときは37試合で26ゴールを決めているストライカーとしては、現状がもどかしいに違いない。

 ただ、うまくいかない理由について、彼は自分でもよく分かっていた。そういう時期をこれまでいくつものクラブを渡り歩いて、経験してきたからだ。

「体のキレが良くて、ガンガン前に出ていけたのは26歳くらいまでなんですよ。川崎フロンターレから、2010年南アフリカW杯のあとにドイツのボーフムとケルンでプレーしましたけれど、記憶をたどるとそれくらいまででした。もちろんフィジカル的なところもあるんですけれど、メンタル的な面での変化も大きかったんです」

今季は先発が5試合、途中出場が5試合で2得点の鄭大世(写真提供:S-PULSE)
今季は先発が5試合、途中出場が5試合で2得点の鄭大世(写真提供:S-PULSE)

ジレンマに揺れた時期

 鄭大世が続ける。

「当時は若かったから怖いものなしで、自分は誰になんと言われようともシュートを打つんだというこだわりを持っていました。パスを出せと言われて、パスを出す選択肢を持つようになって、自分の感覚が狂ったらどう責任をとってくれんだとも思っていましたから(笑)」

 FWとしての強いメンタルが前面に出ていて、なおかつゴールを貪欲に狙う姿勢が必要なストライカーの言葉だけに、決して違和感はなかった。

 しかし、勢いだけでどうにか通じていた部分も、年を重ねるごとに思い通りにならないことのほうが多くなった。

 チームや周りの選手が変わることで、サッカーに対する考え方やプレースタイルを変えなければならないことを鄭大世は学んだ。

「川崎時代は先輩も多かったので、そんな若い自分を許してくれていた部分はあったかもしれません。やっぱりどこのチームも1点を争う試合をしているなかで、自分勝手なプレーは“エゴイスト”に見えてしまうんです」

 ドイツに行ったときのある試合後の記者会見で、鄭大世は監督から「彼はエゴイストだ」と言われたこともあったという。

 この時から悩むことが多くなった。

「正直、どうすればいいかわかりませんでした。周りを使ったら自分の良さが消えるし、強引にシュートを打っても状況は変わらなかった。そういうジレンマに揺れていました」

 ドイツで結果を残せなかった鄭大世が、次に選んだのは韓国のKリーグだった。ここで転機が訪れる。

「シュートを打たなくなったら周りが決めだした」

 2013年に韓国の水原三星ブルーウィングスに移籍し、3シーズンプレーした。ここで妻のソヒョンさんと出会い、13年12月に結婚している。

 1年目は23試合で10ゴール、2年目は28試合で7ゴール、3年目は在籍半年で10ゴールとそれなりの結果を残している。

 それに元北朝鮮代表という肩書は、韓国でも大注目だった。さらに饒舌な彼が、サッカー以外の面で韓国でブレイクをするのはある程度想像できた。

 バラエティ番組やCMにも出演し、サッカーと私生活にも大忙しだった。

「1年目から試合には出ていましたけれど、プレーに関してはまったくダメで、2年目はレギュラーから外れました。3年目はポジションを争っていた選手が放出されて、自分が出るようになったんです。ただ、自分がボールを受けて、強引にターンをしてシュートを打つというプレーはほとんどできなくなっていました」

 従来のプレースタイルが通用しなくなり、悩んでいたころ、韓国生活3年目に息子のテジュくんが生まれた。

「大事な宝を授かって父親になった。これを何かのきっかけにしようと思って、サッカーでは真逆のプレーをしてみたんです」

 エゴの強いプレーではなく、周りを生かすプレーに徹するようにした。すると状況がガラリと変わった。

「そのときはまったくシュートを打たなかったんです。シュートがゼロの試合も多くて、それでも監督は使ってくれていました。自分が打たなくなったら、他がめっちゃ点を取りだしたんですよ(笑)。それでいてチームも勝つ。前線へのクリアボールを必死にマイボールにするのが自分の役目でしたね。むしろそのほうが点が取れたし、得点率も高かったんです。これが大きな転機になりましたね。韓国に行ってからはゴール数だけでなく、アシストを数えるようになりましたから」

 実際、Kリーグ3年目は在籍した半年で10ゴールで9アシストと好成績を残している。

ドイツや韓国では「周りを生かすプレーに徹した」ことでプレーの幅が広がった(写真提供:S-PULSE)
ドイツや韓国では「周りを生かすプレーに徹した」ことでプレーの幅が広がった(写真提供:S-PULSE)

”答え”を探すために

 “鄭大世らしさ”とは何なのだろうか。川崎時代はガンガン前に出て相手を蹴散らす“人間ブルドーザー”という愛称まであったFWだ。

 エゴが抜け、シュートを打たなくなった姿に少し物足りなさを感じるファンがいてもおかしくはない。

 鄭大世は自分でも「周りがボールを要求しているのに、シュートを打つことができなくなったってことですかね。まるくなったというか」と笑う。

 プレーヤーとして確実に成長している証だろう。プレーの幅は確実に広がった。

 むしろ、エゴが強かった当時のままでは、35歳になったいま、日本最高峰のJ1の舞台でプレーできていないかもしれない。

「これまでもずっとそうでしたけれど、どのチームでもシーズンを過ごしながら“絶対的な答え”っていうのがたまに出るんです。『これは間違いない!』っていう確信が。ただ、それが時代の流れとともに正解だったり、不正解だったり、真逆になったりするんです。自分ではいいと思っていても、チームが求めているものが違っていたりもします。チームが変わっても、監督が代わってもそうです。だから今もその答えを探すために前に進むしかないんです」

 一度、熱い想いを語り始めると止まらない。サッカーが好きで、相変わらず自分が大好きなところは、出会ったころから変わっていなかった。

 そんな姿を見て少し安心した。鄭大世は悩みながらも現状を打破していくのだろう。そんな気がしてならなかった。

元北朝鮮代表と大統領専用機CAの恋の結末

 ここからは、鄭大世の家族の話だ。隣に静かに座って話を聞いていた妻のソヒョンさんは旦那の話に聞き入っていた。

 ソヒョンさんは2013年に鄭大世と出会って5カ月で結婚。結婚前までは韓国の大統領専用機に搭乗するキャビンアテンダント(CA)の仕事をしていた。

 日本ではピンとこないかもしれないが、少し考えてほしい。

 元北朝鮮代表のサッカー選手が、韓国の大統領専用機に乗るCAと付き合う。

 鄭大世が日本で生まれた在日コリアンとはいえ、分断された国家間の肩書きを持つ者同士が付き合うわけである。

「ロミオとジュリエット」と言ってはおおげさだが、結婚までには目に見えない高い壁が存在した。

 結婚して子どももいる今では笑い話だが、当時は結婚までに紆余曲折があったという。

「世界で僕とだけ結婚をしなかったら、妻はずっと大統領専用機に乗れたんです。自分からしたら絶対にありえない話ですけれど、例えば韓国の大統領のスケジュールが、北朝鮮代表の自分にもれたりしたら……、というリスクが生じるわけです。それで付き合えないと一度は振られたんです(笑)」

 だが、最終的にソヒョンさんは、大統領専用機を降りた。

「テセさんが好きだったんで」。もちろん鄭大世の強い押しもあっただろうが、ソヒョンさんは愛を選んだということだ。

 そんな彼女の鄭大世に対する第一印象はこうだった。

「今でも忘れないですが、初めて出会ったときにウィンクしてきたんですよ(笑)」

 そこはお茶目な鄭大世“らしさ”とでも言おうか。

「最初はW杯に出場した“北朝鮮代表の鄭大世”ということくらいしか知りませんでした。でも日本語が話せることを知り、私も日本の中学、高校を出たので日本語で会話しました。テセさんが日本生まれの在日だということも、出会って初めて知りました。在日コリアンの日本での国籍が様々なことも、日本に住み初めてわかったことです」

2013年に結婚し2児の父親の鄭大世。「家族は癒しの場所」と語る(写真提供:S-PULSE)
2013年に結婚し2児の父親の鄭大世。「家族は癒しの場所」と語る(写真提供:S-PULSE)

「日本のニュースはほぼ見ない」

 一つ気になっていたのは、二人が日本に住みながら、政治的なニュースを話題にするのかということ。すると「ほとんどしないですね」と口をそろえる。

 鄭大世が語り始める。

「そもそもテレビを見ないんです。真実を報じているニュースってないと思うし、そこには何かしら意図があると思うので見ないようにしています。あ、でもバラエティ番組は見ますよ。『水曜日のダウンタウン』とか(笑)」

 決して政治的な話に目を背けているのではなく、ムダな情報を無理に詰め込む必要はないというスタンスなのだろう。

 ソヒョンさんにも日本に住んで思うことがたくさんある。特に子どもの教育だ。

 やはり日本に住みながらも、自分が何者であるかについては、しっかりと教えたいという。

「やっぱり日本に住んでいると息子がこう言うんです。『テジュは日本だよ』って。だから『テジュは韓国なんだよー』って教えています。日本人ではないので、そこはしっかりと教えていますね」

 日本に住みながらも、流れる血がコリアンであることを親が教えるのは至極当然のこと。ましてや、鄭大世も日本で生まれたコリアンとしてのプライドが人一倍強い人間だ。

 子どもたちには自身のアイデンティティーや生き様を背中で見せたいと思っている。

「練習が終わったらすぐ家に帰る」

 そんな鄭大世がいい意味でサッカーにおいても“まるくなった”のは、家族を持ち、子供が生まれたからなのではと思っていた。

 すると間一髪「イライラを家に持ち込むことはないですよ。本当たまに、1年に1回ぐらいはさすがに落ちこんで帰ってくることはありますけれど」と鄭大世。

 すると笑いながらソヒョンさんが口を開く。

「子どもが産まれてすごく変わりました。もっと優しくなりました。なんというか、以前は機嫌が悪くても自分にはあまり見せないようにしていました。今はそれを我慢していない感じがあります。落ち込んでいるのは見ればわかるので、自然体になってきたんだと思います」

 鄭大世は練習や試合が終わると、すぐに家に帰るという。「家族が力に変わるというよりも、そこで癒されるというのが大きいです」。

「今年、後輩をご飯に連れていったのはまだ2回くらいしかありません(笑)。子どもができて、家に帰ってくるのが毎日楽しみなんです。外で時間をつぶして帰る人も多いけれど、僕は一目散に家に帰ります。毎日家に帰りたい人です(笑)。だから今はサッカー以外に、一つの幸せが生まれたなと思います。独身のときはサッカーでしか幸せを得られるものがないから、サッカーがうまくいっている時はよかった。でも考えすぎる性格もあって、うまくいってないときは地獄(笑)。去年と今年も中々結果が出ずに、しんどかったとしても家に帰ってきたら忘れられる。これは自分にとってめちゃくちゃでかい」

「長くサッカーをやりたい」

 ソヒョンさんもこんな風になるとは想像もしていなかったという。子どもの面倒見のいい鄭大世はとてもありがたい存在だろう。

「家庭的なのもうれしいですが、やっぱりピッチでゴールを決めている姿が一番好きですね。いつまでも必死にボールを追いかけてほしいです」

 サッカーをする姿をいつまでも見ていたいという家族の思いは、鄭大世が一番よく知っている。だからこそ、このままでは終われない。

「子どもはかわいいし、家にもちゃんと帰る。でも自分が幸せになりたいし、いい生活を送りたいし、尊敬もされたい。それにサッカーに対する情熱は、子どもの頃から何も変わってないんですよね。昔は親の仕送りでサッカーをやっていたけれども、今はサッカーで飯を食わせてもらっている。こんなに体に染み付いているものが、日常からなくなることは考えられないんです。なので、できるだけサッカーを長くやりたい」

 ポロっと素が出たと思ったのは、結局のところ「自分が一番大好き」だというところだろうか。

 幸せの形は様々だ。

 鄭大世には、自分の将来がまだぼんやりとしか見えていないかもしれない。それでも今がとても幸せそうに見えた。

 これからもピッチに立ち、ゴールする姿を家族に見せることが、より大きな幸せにつながっていくに違いない。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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