2020年問題と“異端”コミケの会場問題30年
2020年問題とコミケ
今年もあとわずかですね。皆様いかがお過ごしでしょうか。dragonerです。
さて、年末の大イベントといえば、コミックマーケットことコミケが迫っています。今回で93回目となるコミケは夏冬の年2回開催され、それぞれ3日間で約50万人が参加する同人誌即売会で、今年も明日29日から31日まで東京ビッグサイトで開催されます。
ところがここ最近、コミケ界隈を騒がせている問題があります。いわゆる「2020年問題」と呼ばれるもので、東京オリンピックが開催される前後にビッグサイトがメディアセンターとして利用されるため、その利用に大幅な制限が課せられるためです。特にビッグサイトで最大面積を持つ展示棟である東棟は20ヶ月にわたり使用出来ません。
ビッグサイトがダメなら他の展示場を使えばいい、と思われる方もいると思います。しかし、ビッグサイトに次いで大きい幕張メッセもオリンピックで競技会場となるため使えません。ビッグサイトが使えなくなった場合、そのキャパシティを補える展示会場が東京周辺に無いのです。ビッグサイトでは年間300の展示会が開かれ、3兆円の商談が成立しており、ビッグサイトの使用不能による経済的損失は大きいと、様々な団体がこの2020年問題の解決を訴えています。
もちろん、コミケも2020年問題の影響を受けるイベントの最たるものです。しかし先日、コミケの2020年問題について、コミケを運営するコミックマーケット準備会が、東京ビッグサイトを利用する他の同人誌即売会・キャラクターコンテンツ展示即売会と連名で以下のリリースを発表しました。
それによると、2020年のゴールデンウィークに「DOUJIN JAPAN2020(仮)」プロジェクトの一環として「コミックマーケット98」を開催し、また同プロジェクトに関連したイベントを2019〜2020年に日本各地で行うということです。つまり、夏開催のコミケをGWにズラして開催するということです。詳細はまだ公表されていませんが、これを受けコミケの会場問題が決着したとする報道もあります。
この発表に対して、会場が分割されるのではないかといった懸念も散見されますが、今後公表される詳細を待ちたいと思います。
こういった会場問題が懸念されていたコミケですが、2020年問題以前にも会場問題が深刻だった時期があり、会場の変更や開催期間の延長、果ては開催中止といった事態にまでなっています。今回は日本を代表する大イベントになったコミケの移り変わりについて、急成長を遂げた1980年代中盤以降に焦点を絞ってご紹介したいと思います。
“エデンを追われた”コミケ
今でこそ参加者50万人を数えるコミケですが、1975年に始まった当初は参加サークル数32、参加者数推定700名と、今から見ればこぢんまりとしたイベントで、参加者の9割は女子中高生だったそうです。また、始まった当初は春夏冬の年3回開催でしたが、1984年に春が中止になり現在の夏冬の年2回開催が定着します。
さて、小さなイベントとして始まったコミケでしたが、その後も参加サークル・参加者共に増加し続けます。1980年5月のコミックマーケット14の参加サークル380、参加者数6,000人だったものが、1989年12月のコミックマーケット37では参加サークル11,000、参加者数12万人にまで増加するなど、80年代に爆発的成長を果たします。この結果生じたのが会場問題でした。
急増するコミケの参加者に加え、当時はバブル経済の最中。企業の展示会も頻繁に開催されており、展示場の確保も難しい状況でした。1986年12月のコミックマーケット31(C31)では、晴海の東京国際見本市会場を取ることが出来ず、平和島の東京流通センター(TRC)で開催されました。これが不本意なものだったかは、C31のカタログに記された準備会の米沢代表(当時)のあいさつから窺えます。
このようにエデンから追われたコミケですが、TRCはエデンと比べて会場スペースが十分でないことから(注:TRCは当時日本で2番目に広い展示会場でしたがそれでも足りなかった)、2日に分けて開催されるようになりました。これまでも突発的に2日開催が行われたことはありましたが、このC31以降は複数日開催が定着します。しかし、それでも会場スペースの減少と、参加者の増大はコミケの運営に深刻な問題を引き起こします。
この時の状況について、現コミックマーケット準備会の市川共同代表、里見広報室長にお話を伺う機会がありました。それによれば「事故のようなもの」だったそうで、当時はキャプテン翼と聖闘士星矢の初期のブームが到来していた頃で、女性が大勢来ることは予想していたそうですが、始まってみれば会場の中はいっぱいで動けず、行列が平和島駅を超えて大森駅にまで伸びてしまい、米沢代表が警察に呼ばれる事態にまでなりました。参考までにヤフー地図でTRCから大森駅までの徒歩ルートを確認したところ、現在でも2.55kmありました。この事件があった次のC32での代表あいさつは、色々と行間からにじみ出るものがあります。
また“約束の地”を追われるコミケ
1988年8月のコミックマーケット34では、2年ぶりに晴海会場に戻ることが出来ました。しかし、1988年の冬コミは会場の確保が出来ず、中止となり、代わりに1989年は春夏冬の年3回開催となるなど、依然として会場問題は解決していませんでした。しかし、1989年10月に当時「東洋一のコンベンションホール」と謳われた幕張メッセが開業し、以降は幕張メッセでコミケが開催されることになり、これで会場問題は解決することになります。最後の晴海開催と思われたコミックマーケット36カタログの代表あいさつで、米沢代表は幕張メッセを「究極の会場」と表現しています。そうなるはずでした。
ところが、1991年8月に予定されていたコミックマーケット40は、有害コミック騒動を受けて、幕張メッセからコミケの開催を拒否されることになり、幕張でのコミケ開催は3回で終わりを告げました。また約束の地を追われたコミケでしたが、なんとか会場を晴海に戻してC40は開催に漕ぎ着けました。幕張メッセが使えなくなった今、晴海もキャパシティ的に不安はありますが、1996年には有明に東京ビッグサイトが開業するまでの辛抱となりました。
遂に約束の地(ビッグサイト)へ
そして1996年4月、東京国際展示場こと東京ビッグサイトが開業し、晴海の東京国際見本市会場は閉場となります。これに伴い、1996年8月のコミックマーケット50から東京ビッグサイト開催となり、現在まで続いています。
ビッグサイトでの開催中も参加者数は増大を続け、1997年8月のコミックマーケット52から夏コミの3日開催が定着し、冬コミも2006年のコミックマーケット71以降は3日開催がデフォルトになるなど、開催期間の延長が行われました。現在の参加者は、コミックマーケット72以降、およそ50万人前後で推移している状況です。
1975年から2017年までのコミケの歴史の中で、半分の期間がビッグサイトで開催されており、まさに“約束の地”と言えるでしょう。そして、2020年問題はこの約束の地を脅かす問題だったのです。
“異端”から“メインプレイヤー”へ
もっとも、冒頭に述べたように、2020年問題はコミケのみならず、展示会が商談の機会となっている様々な産業に影響する重大問題で、コミケの開催が出来そうだと言っても、2020年問題自体は解決していません。2020年問題の報道を見ても、各展示会が開けない問題は報じられても、見出しにイベント名が載っているのはコミケだけでした。東京ビッグサイトの一利用団体でしかないコミケが、明らかに注目度が他と違っている状況です。
ところが、この状況は皮肉にも、コミケの置かれた立場の変化も表しています。かつて、コミケが晴海を押さえられず、やむなくTRCで開催した際の、米沢代表の次の代表あいさつは、今から見ればとても印象深いものになっています。
かつては企業の見本市に会場を取られてしまう立場で、一般を巻き込む影響力も無いと代表自身が自嘲していたコミケ。それが31年後の今、各産業の展示会を差し置いて2020年問題のキープレイヤーとみなされるまでになり、もっとも注目される存在になっています。
もちろんコミケにばかり注目が集まる状況は良いものではなく、2020年問題そのものの解決が望まれますが、こんなところでコミケの影響力拡大を垣間見ることになろうとは思いませんでした。なにはともあれ、2020年問題の解決と、コミケの無事開催(あまり制約が無い形でね……)を望みたいところです。