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「一日も早く支配下へ」 来季は育成からスタートする阪神の歳内宏明投手、横田慎太郎選手

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
育成契約をした歳内投手(左)と横田選手(右)。必ず支配下へ戻ると誓いました。

 阪神はここまで19選手が来季の契約を更改しています。そして16日は鳴尾浜の虎風荘で歳内宏明投手(24)、横田慎太郎選手(22)との育成選手契約の交渉が行われ、合意に達しました。2人は育成選手として2018年シーズンを迎えます。なお新しい背番号は後日、改めて発表されるそうです。

 では歳内投手、横田選手の順にコメントをご紹介しましょう。1500→1150の数字は、今季→来季の年俸(単位は万円)、金額は推定です。

残れるチャンスをもらえたことに感謝

 【歳内宏明投手】6年目 1500→1150

 ★1軍 なし

 ★ファーム 2試合 0勝0敗 4回 防御率11.25

       安打9(本塁打1) 三振3 四球1

 沖縄キャンプに参加し、2月16日の練習試合(韓国・三星)で1イニングを0点に抑えましたが、3月に入るとファーム教育リーグでの登板になり、3試合投げています。ウエスタン・リーグでは開幕カードだった3月18日のソフトバンク戦(タマスタ筑後)で9回に登板して1失点。同23日の広島戦(マツダ)は先発で3回4失点でした。

 その後、4月5日のルートインBCリーグ・滋賀ユナイテッドとの交流試合(鳴尾浜)で、5回からの2イニングを投げて5安打3失点。この試合を最後に、以降は右肩痛などで一進一退の状態が続き、実戦に登板することなくシーズンを終えています。では質疑応答をご覧ください。

 球団からの話は?「ことしケガで1年間投げられなかったので、とにかくケガを治して来年2月のキャンプから、しっかり投げられるようにという話でした」

ことし3月18日、ウエスタン開幕のソフトバンク戦2試合目で登板した歳内投手(タマスタ筑後)です。
ことし3月18日、ウエスタン開幕のソフトバンク戦2試合目で登板した歳内投手(タマスタ筑後)です。

 来年は育成契約になりますね。「ほんっとに、ことし1年投げられていないので。正直、残れるチャンスをもらえているだけでもありがたいと思っています。球団からも早くケガを治して支配下へという話をしてもらった。本当に、とにかくケガを早く治して戻るっていう…戻るだけだと思います」

 右肩のコンディションはどれくらい上がっていますか?「もう80%、90%くらいのところまでは来ているので、来年2月までこの調子で順調にいけば、と思っています。ことし良くなったり悪くなったりの繰り返しでしたが、今はいい方向にやっと向いてきたかなという感じです」

また1軍に戻れるように

 ことしは自分でも、もどかしかった?「そうですね。やっぱりピッチャーというポジションで投げられないっていうのは悔しい気持ちがありましたし、情けない気持ちもありました。この1年を今後ムダにしないよう、また自分は一応“仕切り直し”となるんですけど、キャンプからしっかりやっていきたいと思います。また1軍で投げられるように、1軍に戻れるように」

 年俸は少し下がってしまうかと。「他の選手はちょっとわからないですが、自分の中ではもっと下がるかなっていう感じだったので、金額は言わないですけど、いい条件で契約していただいたなと思います」

これは2015年のフェニックスリーグ。キャッチボールイベントでの笑顔です。
これは2015年のフェニックスリーグ。キャッチボールイベントでの笑顔です。

 投げられないことの悔しさ、もどかしさは本人にしかわからないものでしょうね。でも言葉の端々に、上向いてきた実感というものを感じました。来年はまた1軍で投げる歳内投手が見られることを期待!楽しみにしています。

感じた野球ができる喜びを忘れない

 【横田慎太郎選手】4年目 870→870

 ★試合出場はなし

 沖縄・宜野座での春季キャンプ中だった2月11日に緊急帰阪した横田選手。翌13日に検査を受け『脳腫瘍』と診断されました。ただし公表はされず、9月3日に本人が虎風荘で会見を行って初めて、病気のことがわかったわけです。病気が判明した時の驚きと不安を語っていましたが、半年を超える闘病生活は相当つらかったはず。支えたのは「また野球をやりたい」一念だったでしょうね。

 当時の新聞記事によれば、8月下旬の最終検査で「寛解(かんかい)」と診断されたとのことでした。これは症状が消えて安定した状態になった、というものです。そして9月2日に甲子園でチームへの報告をした横田選手は、病院でなく鳴尾浜でのリハビリを志願。その日の夜に帰寮し、それから少しずつトレーニングを再開しています。

 時おり鳴尾浜で顔を合わす程度だったのですが、元気に挨拶をしてくれますし、顔が見られるだけでも嬉しいものです。ファンの皆様も今季最後の公式戦が行われた甲子園で、掛布監督に花束を手渡すところや、整列したユニホームの姿をご覧になって安心されたでしょう。「おかえり~!」という声も聞こえました。

 では、横田選手のコメントをご紹介します。最初は考えていたことを話すのに一生懸命な様子でしたが、後半はいつもの横田選手だったと思います。本当に真面目ですよね。

すべての方への恩返しは、野球で

 育成契約になって、今の心境を。「ことし病気でまったく野球ができなかったのに、来年契約してもらって本当に嬉しく思っていますし、来年は育成契約になりますが、一日も早く支配下に戻れるようにしたいです」

ことし2月8日、沖縄キャンプでの横田選手。この日の紅白戦にも出ていました。
ことし2月8日、沖縄キャンプでの横田選手。この日の紅白戦にも出ていました。

 練習メニューはどんな感じ?「最初は本当に不安しかなかったんですけど今は、全体メニューには入っていませんが、できることも増えてきたので、少しだけ手応えっていうのはあります」

 来シーズンの目標は?「今まで球団の方にもお世話になったので、あと両親にも本当に迷惑をかけたので、野球で恩返しができるよう必死にやっていこうと思います。また今、病気で苦しんでいる方々に少しでも勇気を与えられるように必死に頑張っていきたいと思います」

 マシンでのバッティング練習ができるくらいまでは来ていますか?「まだマシンはやっていないですけど、できるメニューが増えてきたので、少しずつ頑張っています」

 野球ができる喜びを感じながら?「もうほんと毎日、朝も感じています。野球ができることが本当に嬉しいので、絶対この気持ちを持ち続けたい」

 できるメニューが1つずつ増えていく中で、楽しさもあったりする?「楽しさもありますけど、やっぱりまだ不安もあるので…。自分との闘いだと思うので、絶対に負けないように頑張っていこうと思っています!」

 背番号が3ケタになりますが、やっぱり2ケタに、24番に戻したい?「最初は悔しかったですけど、一日も早く2ケタに変えられるよう、必死になってやっていきたいです」

 筋力や体重はどんな状態ですか?「少しずつ戻ってきています。まだそこまでではないですけど、少しずつ確実に戻っています」

「24番は空けておきたい」

昨年5月、遠征先のナゴヤ球場で試合前の練習に取り組む横田選手。
昨年5月、遠征先のナゴヤ球場で試合前の練習に取り組む横田選手。

 横田選手について、球団事務所で取材に応じた高野栄一球団本部長の話もご紹介します。まず育成契約となった理由から。「病気のことがあったので、焦らずやってほしいというのが球団としての一番の考えです。一度、育成枠に移行して。背番号についても当面、24番を僕は空けておきたいなと。それを目標にね。支配下でいたら“頑張らなあかん!”と、はやる気持ちが強くなるのを回避したいなと思いました」

 24番を空けておくというのは、少なくとも1年間待つということ?「あまり焦らせずに。もともと横田くんは頑張り屋さんなので、実直で一生懸命するのはよくわかっていたので、そのあたりを考慮しました」

 高野本部長としても、一日も早く戻ってきてほしい気持ちですか?「そりゃそうです。ですけども人間っていうのは、やっぱりプロ野球選手になった以上は夢を追いかけてやっているわけですから、現状のところから一歩ずつ上がってきてくれたらいいのかなと思います」

 支配下選手の枠は毎年、余裕を持っていると思いますが。「横田くんに関しては枠のことよりも本人の気持ちとか、当初からそのように私は考えておりました」

 シーズン中でも大丈夫ということになれば即、支配下に戻す?「それは当然です。動きなどを見ながらね。そうしても目標設定が高く、高くなりがちなので、そこはちょっとブレーキをかけてあげたいなと思いました」

みんな待っています。ずっと―

 球団の、また高野本部長の思いが伝わりますね。本人が頑張り屋さんだからこそ、焦らなくていいよとの配慮。そういえばルーキーイヤーの終盤に、頑張りすぎて腰を痛めてしまったことがありました。その時に山下トレーナーから「横田くんは100か0か、なんですよ。どれだけやったら行きすぎか、その頃合いがわかってくればプロになれる」という説明があり、ものすごく納得できたことを思い出します。

ことしの沖縄キャンプでの1枚。北條選手(右)と何を話して笑っているのかな?
ことしの沖縄キャンプでの1枚。北條選手(右)と何を話して笑っているのかな?

 また、寛解の診断を受けてすぐ帰寮してしまった横田選手を遠くに住むご両親が心配されているだろうということもあり、山下トレーナーらが写真を撮って送信しているそうですよ。毎日ではないみたいですけど、誰か選手とのツーショットだったり。その写真にVサインをしながら写る息子の笑顔を見つけ、ご両親はきっと安心してくださっているでしょう。

 来年2月のキャンプに参加できるよう、少しずつ練習量を増やしていっているところ。もちろん病気との付き合いはまだ続くわけで、その不安を横田選手は「自分との闘い」「絶対に負けたくない」と言い切りました。みんな待っていますからね。あわてずに、ただ近づいて来てくれればいいんですよ。一歩ずつ、少しずつ。

     <掲載写真は筆者撮影>

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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