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川崎殺傷事件から私たちは何を考えるべきなのかー事件は予見されていた

篠田博之月刊『創』編集長
登戸駅近くの犯行現場(6月1日筆者撮影)

 5月28日朝に川崎市の登戸駅近くで起きた殺傷事件の現場に行ってきた。事件から4日たっているが、現場にはたくさんの花や飲み物などが手向けられ、手を合わせる人が次々とやってくる。小さな子どもたちを狙ってやったと思われる犯行の凄惨さに多くの市民が衝撃を受けた。

 容疑者が現場で自殺したことで詳しい真相は明らかにならない恐れが強い。理不尽に子どもを殺され、しかもなぜそうしたかの容疑者の動機もわからないまま事件が幕引きになってしまうことに不安や憤りを感じる人は多い。

 事件現場を訪れる人が絶えないのは、社会の側のやりきれない思いの現われだと思う。

この20年ほど同様の事件が目につく

 抵抗する力の弱い子どもたちに刃が向けられたという点では2001年の付属池田小事件のイメージと重なる。社会から疎外され追い詰められてもう死んでしまおうと思った時に、自分が閉塞に追い込まれた社会に復讐して死んでやろうと考える。でも社会への復讐といっても、結局は抵抗できない子どもたちという弱いものに刃が向けられるという構図だ。

  

 同様の事件は、この20~30年、目につくが、この1~2年内にも2018年の新幹線殺人事件、今年元旦の原宿事件がある。それらの事件については、ヤフーニュースでその都度記事にしてきた。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20180616-00086575/

 新幹線殺人事件容疑者の追いつめられた末の犯行にあの事件を思い出した

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190131-00113135/

 平成最後の元旦に男が原宿で無差別殺傷を狙った事件の気になるその後

 新幹線殺害事件も今回の事件によく似ているし、原宿事件は一歩間違えるとガソリンを使った大量殺人事件になるところだった。

 さらにさかのぼれば2008年の土浦無差別殺傷事件や秋葉原事件も同様だ。この20年ほど、こうした事件が目につくのは、社会が閉塞感に覆われていることと無縁ではない。どんなに頑張っても明るい未来など訪れることはないという絶望感と閉塞感から死んでしまおうと考える人間が、死ぬにあたって社会へのある種の復讐という形態をとって事件を起こす。

 死んでしまおうと決意すると、怖いものはなく、どんな非道なことでもできてしまう。そういう人をネット社会で「無敵の人」と呼ぶ。この言葉が話題になったのは2012~13年の「黒子のバスケ」脅迫事件だった。私はこの事件に深く関わったが、逮捕された渡邊博史元被告は裁判の冒頭意見陳述でこう述べた。今回の事件を考えるうえで参考になると思われるので引用しよう。まるで今回の事件を予見していたかのような内容だ。

こういう類型の事件は増えていくという警告

 《動機について申し上げます。一連の事件を起こす以前から、自分の人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。そして自殺という手段をもって社会から退場したいと思っていました。痛みに苦しむ回復の見込みのない病人を苦痛から解放させるために死なせることを安楽死と言います。自分に当てはめますと、人生の駄目さに苦しみ挽回する見込みのない負け組の底辺が、苦痛から解放されたくて自殺しようとしていたというのが、適切な説明かと思います。自分はこれを「社会的安楽死」と命名していました。》

 《自分は人生の行き詰まりがいよいよ明確化した年齢になって、自分に対して理不尽な罰を科した「何か」に復讐を遂げて、その後に自分の人生を終わらせたいと無意識に考えていたのです。ただ「何か」の正体が見当もつかず、仕方なく自殺だけをしようと考えていた時に、その「何か」の代わりになるものが見つかってしまったのです。》

 《そもそもまともに就職したことがなく、逮捕前の仕事も日雇い派遣でした。自分には失くして惜しい社会的地位がありません。

 また、家族もいません。父親は既に他界しています。母親は自営業をしていましたが、自分の事件のせいで店を畳まざるを得なくなりました。それについて申し訳ないという気持ちは全くありません。むしろ素晴らしい復讐を果たせたと思い満足しています。自分と母親との関係

はこのようなものです。他の親族とも疎遠で全くつき合いはありません。もちろん友人は全くいません。》

 《そして死にたいのですから、命も惜しくないし、死刑は大歓迎です。自分のように人間関係も社会的地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗のない人間を「無敵の人」とネットスラングでは表現します。これからの日本社会はこの「無敵の人」が増えこそすれ減りはしません。日本社会はこの「無敵の人」とどう向き合うべきかを真剣に考えるべきです。また「無敵の人」の犯罪者に対する効果的な処罰方法を刑事司法行政は真剣に考えるべきです。》

 

 渡邊元被告はこう警告を発してもいた。

 《いわゆる「負け組」に属する人間が、成功者に対する妬みを動機に犯罪に走るという類型の事件は、ひょっとしたら今後の日本で頻発するかもしれません。》

 残念ながらその警告は、現実のものとなっている気がしてならない。

 なおここで引用した冒頭意見陳述を含め、事件の全貌については、犯人の渡邊元被告が『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』(創出版)という本にまとめている。

http://www.tsukuru.co.jp/books/2014/10/kuroko.html

'''死ぬことを覚悟した人間が生きていくための理由とは''

 私は土浦事件の金川真大死刑囚(既に執行)にも何度も接見したし、社会に絶望して死んでしまいたいという思いが動機と重なったという点で似ている2004年の奈良女児殺害事件の小林薫死刑囚(既に執行)とも深く関わった。

 死ぬ覚悟で裁判に臨んでいた彼らに対しては、死刑判決というのは刑罰になってさえいなかった。小林死刑囚は死刑判決が出た時に法廷でガッツポーズをしたし、金川死刑囚は事件後、民主党への政権交代が起きた時、死刑執行が遠のくのではないかと恐怖したという。

 そうした犯罪者と何人も接してきて、いったいこういう犯罪に対してこの社会はどう対応すべきなのか、対応するすべはあるのだろうか、と考えてきた。「黒子のバスケ」事件の渡邊君は、幸いなことに他人を殺害したりはしなかったが、それはたぶん彼のパーソナリティによるものだったろうと思う。

 そして、人を殺さなかったために、彼とはその後もつきあいを続けることができている。さらに、死ぬ覚悟をして社会に復讐しようとした人が、いったいその後どんなふうにして生きていく理由を見出すのかを考えるうえでも、いろいろなヒントを与えられた。

 ひとつだけ紹介しておこう。彼が刑務所に服役している間に何度か接見に行った。そしてある時、驚いたことがあった。面会はなるべく平日を避けてほしいと言ってきたのでその理由を訊いたところ、彼は作業所の班長になっており、部下の服役者に指示を出す立場になっていた。だからなるべく作業時間中には作業所を離れたくないと言うのだった。

 刑務所というのはある種のヒエラルキーによって成り立っているのだが、世間の人から見れば、班長といっても誇れるような立場とは思えないに違いない。でも彼はもしかするとそのささやかな境遇を得て、人生で初めて、自己肯定感を得られたのかもしれない。世間から見ればごくささいなことであったとしても、小さい頃から家庭でも学校でも否定され続けてきた彼にとって、それは貴重な体験だったのかもしれない。

 なんだ、そんなことかと思う人もいるかもしれない。でも恐らく、前述した絶望して無差別殺傷に走る人には、そのささいな体験さえなかったのではないかという気がするのだ。渡邊君も、小さい頃から親に愛されたという思いがなく、学校でもいじめられた。それは奈良女児殺害事件の小林薫死刑囚も同じだ。

 そして我々が考えるべきは、今のこの社会は、そういうささやかな自己肯定感さえ得られないような人を大量に生み出すような状況に陥っていないのか、ということだと思う。

 もちろん、「いや、それは本人の責任だ」という反論もあると思う。実際、小林死刑囚の裁判では、小さい頃母親に死なれ、父親の暴力にさらされてきた彼に同情の余地はあるとしながらも、でも同じ家庭で育った弟はりっぱな社会人になっているではないか、と裁判長が言っていた。それはその通りだと思う。裁判で、もう彼には更生可能性も少なく、死刑に処するしかないと宣告された時に、私も反論する言葉が見つからなかった。

 ただ少なくとも、この20~30年ほど、そういう犯罪が目につくという状況を考えて、この社会は、そして我々はどうすべきなのだろうかと考えるくらいのことはしてもよいのではないだろうか。今回の岩崎隆一容疑者がいったいどんなふうにして凄惨な犯行に手を染めることになったのか解明し、そういう人物を生み出さないためにこの社会がどうすべきなのか考えることだ。それを抜きにして監視カメラをいくら増やしても、それは対症療法でしかない。

 犯罪はある意味で社会に対する警告だ。不条理な凶悪犯罪が増えているとしたら、それは社会が病んでいることのシグナルかもしれない。

 今回の事件の容疑者が自殺してしまったことで、犯行動機や成育環境など、こういう事件が二度と起きないようにするために考えるきっかけが失われてしまったことは残念でならない。

 ただ不十分ながらもできることはあるし、できる限りのことはやらなくてはいけない。ジャーナリズムにも重たい課題が背負わされていることを自覚しないといけないと思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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