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ウクライナ紛争は「自由」を守る戦いではない~「ウクライナ疲れ」から考える欧米が戦闘を支持する理由

亀山陽司元外交官
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

紛争当事者ではないアメリカとNATOが紛争の長期戦に備える奇妙

ウクライナ侵攻から5カ月以上が経過した。これは、筆者がこの紛争に類似すると考えている1939年から1940年にかけてのソ連とフィンランドの戦争(ソ・フィン戦争)の約3カ月という期間を大きく上回っている。これは、ウクライナの粘り強い抵抗もさることながら、アメリカからの兵器供給が功を奏しているからである。アメリカやNATOは、この紛争が長期化するとして、長期戦に備えようとしている。

しかし、よくよく考えてみると、そもそもアメリカやNATOは紛争の当事者ではないのである。紛争には直接参加することなく、武器の供与という形でウクライナをバックアップし、経済制裁という形でロシアに圧力を加えているに過ぎない。その意味では、アメリカやNATOが長期戦に備えるというのは奇妙なことである。とはいえ、ウクライナをバックアップし、対露制裁を継続することには、大きなコストがかかっている。西側諸国はそうしたコストを長期的に払っていくことを覚悟しようと言っているのである。もちろん我が国も西側の一員としてそのコストをいやおうなく支払っている。というよりも、ウクライナ紛争は世界経済全体に影響を及ぼしているため、どちらの側につこうが、あるいは中立を保とうが、物不足や物価高から逃れるすべはない。

対露制裁は一体誰を苦しめているのか

8月1日、国連やトルコの関与もあり、ロシアとウクライナはオデッサ港からのウクライナ産穀物輸出に関する合意に基づく穀物出荷が再開された。オデッサはまだウクライナ支配地域に残されているが、ロシア軍による攻撃は続いているようである。しかし、このウクライナ産穀物輸出に関する手続きを協議する中で、オデッサなどの輸出港にウクライナ軍が設置した機雷が除去されることになった。これはロシア側にとって好都合なことである。また、ウクライナ産穀物だけでなく、ロシア産の穀物や肥料の輸出に実質的にかかっていた制限も撤去されることになった。これはロシアを利することにもなるが、同時に世界の食糧安全保障にとっても有益なことである。ロシアとベラルーシは世界の化学肥料市場の15%を占めているのである。

穀物以外にも、欧州の重要なエネルギー源となっているロシア産ガスの供給が滞っていることも大きな不安要因である。ロシアからバルト海を経由してドイツに向かうガスパイプライン「ノルド・ストリーム」のガスタービンの点検修理を理由に供給量を削減しているからである。

こうした状況の打開に応じる交渉を通じて、ロシアは欧米による対露制裁に風穴を開けようとしている。これは、対露制裁の継続・強化が欧州を中心とする世界各国に悪影響を及ぼしていることを逆手にとった行動である。ウクライナをめぐる情勢が好転していない中、対露制裁が果たして有益なものなのかが試される事態になっているのである。

広がる「ウクライナ疲れ」

さらに欧州では、「ウクライナ疲れ」が見られ始めている。この現象は今に始まったことではない。2014年のロシアによるクリミア「併合」、ウクライナ東部紛争の勃発以降、今回のウクライナ侵攻に至るまでの8年間に及ぶ事態の停滞の中、既に見られていた現象である。ウクライナ侵攻の発生で再びウクライナ支援の熱が高まりはしたが、紛争が及ぼす経済や社会、国際政治へのストレスが継続することで、先の見えない不安感が高まっているのだ。

しかし、「ウクライナ疲れ」や熱狂の後退は、事態の打開にとって必ずしも悪いことではない。というのも、今回のウクライナ侵攻は、冷戦終結以後の根深い歴史的、政治的な要因が複雑に絡まって発生したものであり、一時の熱狂に駆られて扱うべきものではないからだ。これは、冷戦後の国際政治、さらには世界秩序の再構築を促す歴史的転換点なのである。一度、冷静になって問題の根を掘り起こす必要があるのであろう。

ウクライナの立場がますます悪化する現状

そこで改めて思い起こしたいのが、今回の紛争の発端となった出来事である。すなわち、昨年12月にロシアが米国とNATOに提案した欧州における安全保障に関する条約である。そこではNATO東方への不拡大やロシア国境付近でのミサイル基地の撤去など、欧州の安全保障体制に関する包括的な法的取決めが提案されていた。ウクライナ侵攻以前には、欧米側はこのロシア提案を真剣に検討するつもりはなかったようだが、今はどうだろうか。

6月以降、米国は多連装ミサイルシステム「ハイマース」の供与に踏み切っている。ウクライナ側はこのミサイルシステムを使ってロシア側への反撃を強化している。つまり、事態は収拾に向かっておらず、軍事的にはむしろエスカレートしているということである。

この米国のハイマース供与という事態を受けて、7月20日にラヴロフ露外相の行った発言が注目される。ラヴロフ外相は、当初の目的であったドンバスの解放のみならず、ヘルソン州やザポロジエ州などのクリミア半島北部に位置する地域も含まれると明言したのである。ロシア軍が制圧しているこれらの地域では、すでに行政上はロシアの支配が進められている。今回のラヴロフ発言は、それを公式に宣言したことになる。戦闘でロシア軍を押し返さない限り、ウクライナのとり得る立場はどんどん後退していると言わざるを得ないのである。

「自由」や「民主主義」を守る戦い?

米国はロシアを消耗させるため(当然ウクライナはもっと消耗するが)、戦闘の継続を支持し続けるだろう。ウクライナが勝とうが負けようが、アメリカ自身にとっては大きな問題ではない。重要なのはロシアを消耗させること、なのである。しかし、戦闘が長期化し、万が一ロシア軍が追いつめられることになれば、事態は一層悪化する危険性がある。核戦力を保有する国を追いつめるとは、そういうリスクを伴うのである。つまり、これ以上戦闘を継続させることには何のメリットもない。実際にロシア外務省は8月8日に、米国との間の新戦略兵器削減条約に基づく査察を一時的に停止すると発表した。事態のエスカレートには歯止めがかからない。

はっきり言って、ウクライナをめぐる紛争は、「自由」や「民主主義」を守る戦いとは実は何の関係もない。むしろその本質は欧州における安全保障と国際秩序の問題なのである。その本質を見間違えなければ、とるべき方策は戦闘の継続ではないことは明らかである。

トルコの存在感

このままではウクライナにおける問題は解決しないまま長期化し、その一方でウクライナ国民の辛苦は国際社会で少しずつ忘れられていき、ロシアに南東部を事実上占拠されたまま紛争が凍結される事態になるだろう。

次々にウクライナに武器を供与している米国に対して外交的解決を期待することはできそうもない。そのような中、トルコの存在感が増している。

実を結ばなかったが、3月に外相レベルの停戦交渉が行われたのもトルコであり、今回の穀物輸出に関するロシアとウクライナを含む合意はトルコの仲介によって実現している。トルコは微妙な立ち位置にある国である。NATO加盟国であるにもかかわらず、ロシアと近い関係にあり、ロシア製兵器を購入したりもしている。同時に、エネルギー分野でも関係が深く、バルト海経由のノルド・ストリームが滞る中、トルコ・ストリームは順調で、原発や天然ガスなどのエネルギー面でも関係を深めている。8月5日にロシアのソチで行われたプーチン大統領とエルドアン大統領の会談では、プーチン大統領が、トルコ・ストリームが「欧州向け」ロシア産ガスの最も重要な供給路の一つとなっているとまで言っている。

このように、今回のウクライナをめぐる紛争では、独仏のような欧州勢力よりも、黒海の向かい側のトルコの方が仲介者としての存在感が大きくなっている。ラヴロフ外相が述べた地理的目標の拡大は、ウクライナの南東部であり、これらの地域は歴史的に西欧(特にポーランド)の影響圏ではなく、トルコの影響圏にあった黒海沿岸地域である。トルコは黒海南岸の国であり、現在ロシアが占拠しているウクライナ南東部の諸地域はもともとオスマン・トルコの支配下に置かれていた地域を18世紀のエカテリーナ二世の時代にロシアが獲得した土地なのである。このあたりの歴史的経緯に関心がある読者は、拙著「地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理」を読んでいただければと思う。

武力による領土拡大に踏み切るロシア~群雄割拠の国際政治

ロシアの占領地域であるヘルソン州やザポロジエ州では、9月にもロシアに編入するかどうかの住民投票が行われる。ロシア政府は、ウクライナの非武装中立という目標を大きく踏み越えてクリミア「併合」以来の領土拡大をしようとしている。

ロシアによる領土の獲得が実現すれば、こうした実力行使をほかの地域でも助長することになる懸念がある。例えば、中国は台湾の武力による併合を画策するだろう。その時日本はどうするのか。米国、豪州との協力関係はそうした事態に速やかに対応できるまでに深まり、綿密にすり合わされているのか。タブーのない議論が必要になっている。

ロシアにとって、欧州やアメリカは決して世界の中心ではなく、ロシアもまた欧州とは異なる文化である。ウクライナ紛争は、ロシアと欧州との違いをさらに拡大し、ロシアと中東との距離を縮めつつある。その入り口にあるのがトルコである。ロシアが黒海北岸地域を手に入れれば、ロシア帝国時代のように黒海の沿岸国となり、バルカンやトルコとの距離が一気に縮まることになる。欧米中心の世界を変革しようとするロシアの試みに弾みがつくことになるだろう。集団安全保障の理想に基づく国連の役割はますます軽視され、世界は再び群雄割拠の時代に逆戻りすることになりかねない。

 世界は国連常任理事国5か国だけでなく、トルコのような地域大国が影響力をもつようになってくるということである。我が国としても、そうした国際政治の現実に対応できる国でなければならない。

元外交官

元外交官 1980年生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業、同大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修了。外務省入省後、ユジノサハリンスク総領事館(2009~2011年)、在ロシア日本大使館(2011~2014年)、ロシア課(2014~2017年)、中・東欧課(ウクライナ担当)(2017〜2019年)など、10年間以上ロシア外交に携わる。2020年に退職し、現在は森林業のかたわら執筆活動に従事する。気象予報士。日本哲学会、日本現象学会会員。著書に「地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理」(PHP新書)、「ロシアの眼から見た日本 国防の条件を問いなおす」(NHK出版新書)。北海道在住。

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