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プリゴジンの結末が示すプーチンの戦争の姿とは

亀山陽司元外交官
(写真:ロイター/アフロ)

ワグネルの首領の「始末」

8月23日、ロシアでプライベートジェットが墜落し、エフゲニー・プリゴジンを含む乗員乗客10名が全員死亡した。この「事故」はプーチン大統領による仕業だと公然と語られ、ロシアに対する新たな狂的なイメージがまき散らされているが、見誤ってはならない。プーチン政権は冷静かつ統制的に対応している。それがまた敵対する側にとっては恐ろしいのではあるが。

さて、プリゴジンはロシアの民間軍事会社ワグネルの設立者である。ワグネルはウクライナ侵攻後、東部方面で活躍し、一躍有名になったが、今年6月末に突如戦線を離脱、モスクワに向かって「正義の行進」を行ったため、プーチン大統領から反乱と見なされて強く非難された存在だ。反乱の評価については拙稿「ワグネルの反乱がプーチン大統領を利した理由」も参照いただきたい。

プリゴジン自身はプーチン大統領の古い友人でもあったため、その処遇が注目されたが、反乱はあっけなく終結し、プリゴジンは24時間も経たずに引き返したため、結局、ロシア国内では刑事訴追すらされず、プリゴジンの行方がいろいろと憶測を呼んだ。しかし、反乱から約2か月、こういう形で「始末」がつけられたことになる。

プーチン大統領のKGB流の行動原理

ロシアの捜査機関は墜落の原因について捜査を進めるだろうが、多くの人はプリゴジンが反乱の罰を受けたのだと考えている。反乱が起こった時、プーチン大統領は国民向け演説の中で、断固とした処置をとると述べていた。しかし、すでに述べたように、捜査機関は反乱の終結とともに訴追を取り下げた。これは、訴追を進めることで2~3万人と言われるワグネルの戦闘員に不安を与えたり、軍事作戦全体が動揺することを避けるためだっただろう。

だからと言って、プーチン大統領が国家への裏切りとまで呼んだ反乱の首謀者に始末をつけないとなれば、今度はプーチン大統領の権威に傷がつく。要するに国家に対する忠誠よりも縁故や情に流されると思われ、「なめられる」ことになる。それこそが、プーチン体制にとってはいっそう深刻な問題なのである。

というのも、プーチン大統領以前、エリツィン政権時代のロシアは、マフィアやオリガルヒ(新興財閥、政商)が割拠する汚職国家であり、国家権力は弱体化し、社会は分裂し、「社会正義」の実現など望むべくもなかった。プーチンが大統領に就任して行ったのは、マフィアやオリガルヒの力をそぎ、FSB(連邦保安局)や軍といった治安機関を強化し、国家の威信を高め、ロシア社会の統合を高めることであった。

だからこそプリゴジンの反乱は、プーチン大統領にとって「国家への裏切り」だったのである。こうした行為を見過ごしては、今まで自らがなしてきた国家建設にひびが入ると考えたはずだ。しかし、プーチンは公の裁きを与えなかった。つまり、プリゴジンへの裁きは、国民ではなく、権力エリートたちに向けたメッセージであり見せしめだった。国民の中で英雄化されたワグネルというシンボルに配慮しつつも、裏切り者には断固とした措置を与えなければならなかったのである。

筆者は、プーチン自身がプリゴジンを始末するよう指示を出したかどうかは知らない。出したのかもしれない。しかし、直接指示を出さなかったとしても、FSBやその関係者がプーチン大統領の意を汲んで(忖度して)自らの判断で始末をつける可能性は十分にある。

そもそもプーチン大統領自身が治安機関(KGB)の出身であり、プーチンの根本的な発想(国家権力の維持と社会の統制)はFSBの行動原理そのものである。FSBがプリゴジン許すまじとして行動したとしても、プーチン大統領はそれを非難することはないだろう。

安全保障ビジネスと正戦

この問題は、単なるロシア国内のスキャンダルとして片づけるべきものではない。これは、現代の戦争について何か重要なことを教えてくれている。プリゴジンが設立したワグネルは民間軍事会社であり、正規軍ではなく、さらに言えばロシア国内では違法な組織とされている。違法云々はともかく(実際にロシア軍と行動していた)、会社組織である以上、本質的には利益団体にすぎない。つまり、金のために戦う安全保障ビジネスである。こういう組織は歴史上珍しいものではないし、現代においても欧米を含めメジャーな存在になっている。

しかし、利益団体である以上、国軍とは本質的に異なっている。国軍は何らかの私益のために戦うのではなく、あくまで国益、すなわち国家の「大義」のために戦うのである。私兵集団であるワグネルが排除されたということは、ロシアにとってのこの「軍事作戦」が、ますます国民と国家の「正戦」に近づいていることを意味している。

西側諸国はこの戦争をプーチン大統領による非道な戦争だと考えているが、プーチン大統領にとっては国家の「正戦」である。無法なものであってはならない。国民の支持を失っては何の意味もないからである。だから、日米のメディアが報じているほどロシアはウクライナ全土を無差別に攻撃しているわけではない。例えば、第二次世界大戦では連合国側による無差別爆撃が日本やドイツに対して行われ、後方の都市が破壊され、一般市民が大量に犠牲になっている。広島や長崎への原爆投下もその一部であった。

しかし、この1年半のウクライナでの戦争で、一般市民の犠牲は9000人超(6月末時点、国連人権高等弁務官事務所)である。この数字はもちろん少ないものではないし、民間人の犠牲はあってはならないものであるが、無差別攻撃が行われているのであれば、その犠牲者ははるかに多くなっていただろう。ちなみに、2022年のウクライナ侵攻以前には、ロシア系ウクライナ人が多く住むドンバスでの紛争で死亡した民間人の犠牲者数は1万人を超えていた。要するに、ウクライナ侵攻後の戦闘行為は、まがりなりにも国家による戦争の体面を守って行われているということだ。

国家対国家の限定戦争

国家対国家の戦争には交戦法規が適用されなければならないし、軍事行動は国家によって統制されなければならない。つまり、まがりなりにも一定のルールやコントロールが働いている。そしてまだロシアは完全な総力戦には移行していない。つまり、「特別軍事作戦」と称している。これは、(一部徴兵は実行しはしたが)基本的にプロの軍人を中核とした軍隊のみで対処しているということだ。ワグネルを改編し、プリゴジンが排除されたこともまた、国家権力の統制が効いていることを示している。

西側諸国が押し付けているロシアのイメージとは異なり、ロシアの行動は現時点で冷静で抑制されている。戦闘が指導部によってコントロールされ抑制されている間は、戦争は政治の延長であり、目的のための手段である。つまり、限定戦争であり交渉の余地がある。しかし、一度暴力のタガが外れてしまい、軍事組織が主導的立場に立つようになると戦争自体が目的化し、行くところまで行かなければ止まれなくなる。暴力の無制限性が発動されてしまう。

例として日露戦争時代の日本政府と、日中、日米戦争時代の日本政府を比べてみればよい。日露戦争では明治政府はしっかりと交渉のタイミングを見極めたが、第二次大戦では一億総玉砕の目前までいき、国を滅ぼしてしまったのである。

ウクライナでの戦争は幸いにして今はまだそこまでの状態には至っていない。「政治的解決」という言葉が意味を持っている間に停戦に向かわなければならない。それが、プリゴジンの結末が我々に教えてくれていることの一つである。

元外交官

元外交官 1980年生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業、同大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修了。外務省入省後、ユジノサハリンスク総領事館(2009~2011年)、在ロシア日本大使館(2011~2014年)、ロシア課(2014~2017年)、中・東欧課(ウクライナ担当)(2017〜2019年)など、10年間以上ロシア外交に携わる。2020年に退職し、現在は森林業のかたわら執筆活動に従事する。気象予報士。日本哲学会、日本現象学会会員。著書に「地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理」(PHP新書)、「ロシアの眼から見た日本 国防の条件を問いなおす」(NHK出版新書)。北海道在住。

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