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カーマイン・アピスがカクタス、ジェフ・ベック、ブルー・マーダーの“神話”を語る【後編】

山崎智之音楽ライター
Carmine Appice(写真:Shutterstock/アフロ)

カクタスのニュー・アルバム『Temple Of Blues - Influences and Friends』を発表したロック・ドラムスの生ける神話・カーマイン・アピスへのインタビュー、全2回の後編。

前編記事に引き続きアルバムで再演されたオールタイム・クラシックスの数々、そして豪華ゲスト・プレイヤー陣について掘り下げて語ってもらったが、さらに初期カクタスやベック・ボガート&アピス、ブルー・マーダーなどにまつわる秘話も聞くことが出来た。

Cactus『Temple Of Blues - Influences and Friends』ジャケット(Cleopatra Records / 現在発売中)
Cactus『Temple Of Blues - Influences and Friends』ジャケット(Cleopatra Records / 現在発売中)

<自分の音楽人生があるのは最高の仲間たちのおかげ>

●「イーヴル」で歌っているトゥイステッド・シスターのディー・スナイダーは地元ニューヨークで交流があったのですか?

そういうわけでもなかった。トゥイステッド・シスターがデビューした1970年代末から1980年代初め、私は世界中を飛び回って、ニューヨークのシーンと関わりがほとんどなかったからね。でも「凄いバンドがいる」という彼らの噂が伝わってきたよ。彼らの写真を見て、こりゃ成功しないだろうと考えていたら、大間違いだった。彼らは世界的に大ブレイクしたよ(笑)。

●ヴァーノン・リードもニューヨークを拠点としていますが、地元での交流はありましたか?

いや、特になかった。彼がリヴィング・カラーでやっているときに知り合ったんだけど、特にカクタスのファンというわけでもなかったと思う。「ロックンロール・チルドレン」でギターを弾いてもらったんだ。この曲でヴァーノンは凄いリードを弾いている。彼のギターとルディ・サーゾのベースを繋ぐ媒介として、共同プロデューサーのパット・リーガンが弾くオルガンが効果的なんだ。ちょっとディープ・パープルみたいな雰囲気があって、とても気に入っているよ。

●「ビッグ・ママ・ブギー」でパット・トラヴァースがギターで参加していますが、彼とは『It Takes A Lot Of Balls』(2004)『バズーカ』(2005)を共作、ライヴも行うなど、長い仲ですね。いつ頃からの付き合いなのですか?

1982年、私がテッド・ニュージェントとやっているとき、パットがオープニング・アクトを務めてくれたんだ。彼のバンドのドラマー、サンディ・ジェナロが友人だったこともあって、すぐに打ち解けた。それから1980年代・1990年代とあちこちで顔を合わせて「よお、元気?」と話す間柄だった。彼との共演プロジェクトが動き出したのは2000年代の初めだった。私はティム、リック・デリンジャーとDBA(デリンジャー、ボガート&アピス)でアルバムを出して(『Doin' Business As...』/2001)、その続編として、私とティムが別のギタリストと組む企画が浮かんだんだ。それで私がパットを提案した。そうしたら今度はティムが抜けることになった。彼は大規模なロック・プロジェクトに興味を失っていたんだ。それで私のパットの2人で『It Takes A Lot Of Balls』を出した。私自身もヴォーカルを取ったり、いろんな試みをしているんだ。「Better From a Distance」は歌詞も書いているけど、キース・ムーンみたいな人物をイメージした。車でプールに突っ込んだり、面白い人だけど一定の距離を置いた方が良いってね。こないだフォガット、パット、カクタスというラインアップでショーをやったんだ。パットとは何度もステージで「ブーム・ブーム」を共演したことがあるよ。今、私も彼も“クレオパトラ・レコーズ”から作品をリリースしているし、近いうちにまた何らかの形でコラボレーションしたいね。

●あなたとマルコ・メンドーサは共に元ブルー・マーダーですが、同時期にバンドにいたことがありますか?

いや、当時共演することはなかったんだ。ジョン・サイクス、トニー・フランクリン、私で作った『ブルー・マーダー』(1989)は日本では大きなヒットになったけど、アメリカやイギリスではそれほど売れなかった。それでジョンはスネてしまったんだ。その結果、私がヴァニラ・ファッジを再始動させたことにもイライラして「ブルー・マーダーに全力投球していない」とか言い出した。私はいつもいろいろなことをしたいタイプのミュージシャンだし、それが出来ないならと、ブルー・マーダーを抜けることにした。トニーもすぐ脱退したよ。ジョンは後任にマルコと別のドラマー(トミー・オスティーン)を加えて、ブルー・マーダーとして活動を続けることになった。でも彼らのアルバム(『ナッシング・バット・トラブル』/1993)の一部ではトニーと私がプレイした古いテイクが使われているのと、一度脱退してから呼び戻されてセッション・プレイヤーとしても演奏している。そのときはまだマルコと直接会うことはなかったけど、彼のプレイを聴いて凄腕のベーシストだと思ったし、ずっと意識していたんだ。彼はロサンゼルスに住んでいて、毎週火曜日に地元のジャズ・クラブでプレイしていて、ドラマーが私の友人のジョー・ヘレディアだった。だからマルコのことは1992〜3年頃から知っていたし、友達になったんだ。長い付き合いでもアルバムで共演したことはなかったから、今回声をかけてみた。彼は快諾してくれて「レット・ミー・スウィム」でベースを弾いてくれたよ。彼のプレイがあまりに凄いんで「カクタスのことは好きだった?」と訊いたら、ずっと昔からのファンで、ティム・ボガートから影響を受けたと言っていた。彼はホワイトスネイク時代のギタリストだったダグ・アルドリッチを連れてきてくれたんだ。彼が弾いたイントロはヴァン・ヘイレンの「イラプション」へのトリビュートだけど、曲を見事に盛り上げていて素晴らしいね。アルバムには優れたミュージシャン達が参加してくれて、本当に幸せだと思うよ。ボブ・デイズリーやフィル・スーザン、ロン“バンブルフット”サール、ビリー・シーンなど、自分の音楽人生があるのは最高の仲間たちのおかげだという思いを新たにするね。

●『Temple Of Blues』に参加して欲しかったけれど、何らかの事情で実現しなかった人はいますか?

スティーヴ・モースにギターを弾いてもらいたかったけど、奥さんが病気で、ずっと家にいなければならなかったんだ。あと最近マイケル・シェンカーのアルバムにゲスト参加して、貸しがひとつあるから、次のアルバムでそれを返してもらうかも知れない(笑)。私の次回作はジェフ・ベックに捧げるトリビュート・アルバムなんだ。マイケルやイングヴェイ・マルムスティーン、スラッシュの世代のギタリストに参加してもらいたいね。

●お互いの作品には“貸し・借り”感覚でゲスト参加するものなのですか?

まあ、厳密にそういうわけではないけどね。彼らの多くは友達だし「私の新作に参加してくれる?お返しに今度、君のアルバムでプレイするからさ!」みたいなノリなんだ。ディー・スナイダーやテッド・ニュージェントともそんな感じだよ。弁護士を通したりしない。マイケルの新作でプレイしたけど、彼は良い奴だし、ギャラだって友達価格で安くしている。2010年だったか、アメリカと南米でマイケル・シェンカー・グループのドラマーとして同行したこともあるんだ。彼は少年時代にベック・ボガート&アピスのライヴを見たことがあると言っていた。マイケルとのツアーでは、私は肩関節の手術をしたばかりだった。ある公演で、ステージ上であまりに苦痛が耐えられないもので「今日はドラム・ソロをやれそうもない」と合図を送ろうとしたんだ。でもマイケルはギター・ソロに没頭して、全然気付かなかった(苦笑)。彼はそういうタイプのギタリストなんだ。ギターにのめり込んで、周囲のことが見えなくなるんだよ。そのショーのドラム・ソロはボロボロだったけど、マイケルのことはいつだって大好きだ。

Carmine Appice / courtesy of Cleopatra Records
Carmine Appice / courtesy of Cleopatra Records

<カクタス=サボテンは砂漠で育つ強靱な植物>

●あなたは日本と素晴らしい関係を築いてきましたね。

1973年にベック・ボガート&アピスで初めて日本を訪れてから、ずっと最高の関係を持ってきた。ロッド・スチュワート、カーマイン・アピス&フレンズ(1982)、ブルー・マーダー、それからジェフ・ワトソンとのローン・レンジャー(1992)でも日本でプレイした。2012年にはカクタスでもプレイしたし、いつだって日本の音楽ファンは最高だよ。前の嫁さんが日本人で、少しだけ日本語を教えてもらったんだ。ずいぶん忘れてしまったけど、カッコイイ!とかゲンキデス!とかは覚えている(笑)。オコノミヤキも大好きだ。1990年代後半、トニー・フランクリンと一緒に日本のバンドPEARLでプレイしたこともある。田村直美や北島健二と話したり、長期の全国ツアーで海外のバンドが行かないような地方都市を訪れたことで、日本に対する知識と愛情が深まったよ。日本のチャートのトップ5に入って、新幹線で都市間を移動したり、何百万人もの視聴者がいるテレビ番組に出演したんだ。B’zとも友達になったし、トニーにとっても素晴らしい経験だったと思う。でも広島平和記念資料館を訪れたときは、心が張り裂けそうだった。本当に悲しかった。

●カクタス(=サボテン)というバンド名はどのようにして名付けたのですか?

1960年代、ヴァニラ・ファッジのツアーでアリゾナ州にいるとき、ティムと私でドライヴイン・シアターに映画を見に行ったんだ。何の映画かは忘れたけど、“カクタス・ドライヴイン”という劇場で、でかいスクリーンの上に緑文字で“CACTUS”というサインが表示されていた。ティムに「新しいバンド名に良いんじゃない?」と言ったのを覚えている。その頃、ジェフ・ベックとバンドを結成する話が持ち上がっていたんだ。ロッド・スチュワートはその時点で「ジェフとはやりたくない」という理由でもういなかった。サボテンは砂漠で育つ強靱な植物だし、トゲが生えている。ロック・バンドの名前にピッタリだと思ったんだ。ジェフも自動車事故で離脱したけど、私とティムでバンド名はそのまま使うことにした。

●ペヨーテ(=幻覚サボテン)は関係がなかったでしょうか?

ああ、まったく無関係だよ(笑)。

●ファースト・アルバム『カクタス』(1970)のジャケット・アートが“何か”を連想させると長年言われてきましたが、それは意図したものでしょうか?

ああ、男性器ね(笑)。それはわざとだよ。棒と玉があるんだ。レコード会社から「困る」と言われたのを覚えている。当時レコードは“メイシーズ”や“J.C.ペニー”みたいな大規模チェーン・ストアで売られていたから、ファミリー向けでないジャケットは好ましくないというわけだ。私たちは「あれはサボテンだよ。何を言っているの?」としらばっくれたけど、最終的に折れることになった。ただ、ジャケットはもう印刷してしまっていたから、5千枚ぐらいステッカーを貼って店頭に並べることになったんだ。

●2023年にリリースされたベック・ボガート&アピスの『ライヴ・イン・ジャパン1973/ライヴ・イン・ロンドン1974』にはあなたが“コーディネーター”としてクレジットされていますが、どのような役割でしたか?

主にミックスの監修だね。1973年の日本公演は『ライヴ・イン・ジャパン』として日本のみでリリースされていたけど、ミックスが気に入らなかった。それを直しているんだ。聴き返して、懐かしさがこみ上げてきたよ。ティムがステージ上で「クソッ!」と言ったりするのも入っているんだ。ロンドンの“レインボー・シアター”でのライヴは新曲が中心で、最後期の緊張あふれる演奏を聴くことが出来る。このプロジェクト、それからカクタスの『Temple Of Blues』を作っていたおかげでジェフへのトリビュートはなかなか進まなかったけど、これから完成させるつもりだ。いろんなゲストのアイディアがあるけど、実現するか判らないから黙っておくよ。ロッド・スチュワートが「ピープル・ゲット・レディ」を歌ってくれたら最高だね。完成まではしばらくかかりそうだけど、待ったかいのある良いものにするから、待っていて欲しい。ベック・ボガート&アピスのボックスの作業をしているときにジェフが亡くなったんで(2023年1月10日)、ショックが大きかったよ。それからさらに何度も音源を聴き直すチェックが必要だったんだ。しかもその2年前にはティムも亡くなっていた(2021年1月13日)。私の人生でも最も辛い作業のひとつだったね。でも、このボックスを完成させることが残った自分の義務だと感じたんだ。

●前回インタビューしたとき、ベック・ボガート&アピスの未発表セカンド・アルバムもボックスに入る予定だと話していましたが、それが実現しなかったのは?

2枚目のアルバムはブートレグ(海賊盤)で出回っていて、熱心なファンだったら聴いているかも知れないけど、オフィシャルな形で出せるクオリティのマスターが見つからないんだ。今回のボックスに収録したかったけど、残念ながら実現しなかった。いつか公式リリース出来たら良いんだけどね。

●あなたのキャリアで今後リリースされる未発表音源などはありますか?

少し前に“クレオパトラ”にオープン・リールのテープを数箱か渡したんだ。私の家にはデッキがなくて、聴くことが出来ないし、テープの箱に何も書いてないから、ゴミの日に出そうと思っていたけど、彼らが欲しいと言うんでね。内容を確認してもらって、リリース出来るものがないか話し合ってみるよ。膨大な量だから、しばらく時間がかかるだろうけどね。

●現在制作中のジェフ・ベック・トリビュート・アルバムについて教えて下さい。

まだ作り始めたところだし、あまり話すようなこともないんだ。私とトニー・フランクリン、デレク・シェリニアンが中心になってやっている。おそらく“クレオパトラ”が出すことになると思うけど、ジェフのマネージメントに声をかけたりして、出来るだけオフィシャルなものにするつもりだ。

●現在カクタス、キング・コブラ、ヴァニラ・ファッジを再結成させて、ロッド・スチュワート時代の曲をプレイする“ロッド・スチュワート・エクスペリエンス”でもライヴ活動を行うなど大忙しですね。

忙しいのが好きなんだ。でも体力の問題もあって、世界中をツアーするのは難しい。連日ツアー・バスで移動するには歳を取り過ぎたんだ。アメリカ国内で単発のライヴをやったり、ホーム・スタジオでレコーディングしているよ。

●さらにブルー・マーダーもやりたいけれど、ジョン・サイクスと連絡がつかないそうですが...。

うん、ジョンとは何度か連絡を取ろうとしてきたけど、メールの返事もよこさないし、もう表舞台に出てくるつもりはないみたいだ。彼とは良い友達だったし、残念だよ。1980年代半ば、デヴィッド・カヴァーデイルとジョンの2人で私に会いに来て、ホワイトスネイクに誘ってきたんだ。その頃私はキング・コブラをやっていて、実現しなかった。「今、別のヘビで忙しいんだ。エインズリー・ダンバーに声をかけてみたら?」と言ったのを覚えているよ。その後、彼らの『白蛇の紋章 Whitesnake 1987』が3,000万枚ぐらい売れて、「しまった...」とちょっと後悔したね(苦笑)。その後ジョンとはブルー・マーダーで一緒にやることになったんだ。

【最新アルバム】
Cactus
『Temple Of Blues - Influences and Friends』
Cleopatra Records
https://cleorecs.com

【公式サイト】
https://www.cactusrocks.com/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,300以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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