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大相撲9月場所で2度目の十両優勝の一山本 公務員から角界入り、実は「若隆景ファン」など面白エピソード

飯塚さきスポーツライター/相撲ライター
所属する放駒部屋でインタビューに応えてくださった一山本(写真:筆者撮影)

番付を十両に下げた一山本が、ケガを乗り越え「復活」。大相撲9月場所の土俵で、2度目の十両優勝を果たした。期待の新生・大の里らをはねのけ、実力を見せつけた一山本。再入幕で迎えると思われる来場所への期待のみならず、これまでの土俵人生、そして自らファンを公言する若隆景への思いも語っていただいた。

2度目の十両優勝 手が震えるほど緊張の場面も

――このたびは2度目の十両優勝おめでとうございます!万全の状態で場所に臨めましたか。

「いつもより四股やすり足ができていたのと、膝に注射を打ったのでよかったのかなと思います。地元・北海道の夏巡業を休んでまで、こちらで稽古と治療に専念したので、ちゃんとしないと北海道の皆さんに申し訳ないですからね」

――初日から3連勝。序盤戦を振り返っていかがでしたか。

「初日は初対戦の相手(獅司)だったのでちょっと嫌だったんですけど、まわしを取られないようにしっかり意識して相撲を取れたのでよかったです。先場所よりも膝がよく曲がっていました。少し腰を引きすぎて落ちそうな場面もあったので気をつけようと思いつつ、しっかり残せて取れていたと思います」

――9日目に勝ち越し。最後は13勝で場所を終えました。各取組を振り返っていかがでしたか。

「6日目の東龍関戦で、手が震えるぐらい緊張してしまったので、申し訳ないんですけど一回待ったしました。次の日、支度部屋で千代栄関に『昨日手震えていたけど大丈夫か?』と聞かれたくらい。あんまりいいイメージで勝てたことのない相手だったので緊張してしまったんだと思います。あとは、新十両(高橋、天照鵬、大の里)との対戦が嫌でしたね。みんな元気で。特に大の里は、僕が負けたら(新十両連勝の)新記録がかかっていましたから、すごく嫌でした。でもしっかり立ち合いで当たれたのでよかったです。あとは南(友風の本名)との対戦はうれしかったですね。やっぱり大ケガで一度落ちてから、また上がってきたので」

――たくさん印象に残る相撲がありますね。

「12日目の時疾風戦で、当たって突っ張って引いて勝ったんですが、その後師匠(元関脇・玉乃島)に『守りに入っちゃだめだよ』と言われたんです。自分でも言い聞かせていたつもりでしたが、14日目に少し守りに入ってしまって負けたので、やっぱり師匠の言うことは聞いておかないといけないんだなと思いました(苦笑)」

稽古場では一山本に「大ちゃん」と呼びかけ、決して声を荒らげない放駒親方。力士たちも口々に「うちの師匠は優しい」と話していた(写真:筆者撮影)
稽古場では一山本に「大ちゃん」と呼びかけ、決して声を荒らげない放駒親方。力士たちも口々に「うちの師匠は優しい」と話していた(写真:筆者撮影)

――しかし、千秋楽はしっかり勝って締めくくりました。

「はい、2回は勝てないから(大の里との)優勝決定戦にはなってほしくないなと思っていたんです。でもとりあえず自分は勝つしかないから思いっきりいって、あとはただひたすら支度部屋で祈っていました。(大の里との対戦相手だった)狼雅に、土俵入り前に『頼むぞ!』って声を掛けたら『任せてください』と言ってくれて。彼も新入幕がかかっていましたから、勝ってくれて本当によかったです。僕は一人、支度部屋でガッツポーズ。そして、狼雅が帰ってきたとき『ありがとう』と言って抱き合いました。今度メシでもおごってやらないといかんですね(笑)」

――いいお話!やはりうれしい優勝でしたね。

「それだけ幕の内にいられていないともいえるんですが、滅多にできることではないので、2回目でもうれしいです」

公務員から角界の道へ 異色の経歴の理由とは

――普段からどんな相撲を目指していますか。

「突いて出ていくことですが、突き切るのって難しいので、最近はまわしを取ってでも前に出ていきたいなと思っています。今場所では、貴健斗戦と友風戦でそれができたのでよかったです」

取材日、稽古場で汗を流す一山本(写真:筆者撮影)
取材日、稽古場で汗を流す一山本(写真:筆者撮影)

――関取は大学卒業後、一度は地元・北海道の教育委員会へ就職されました。それでも、就職した年の秋に仕事を辞め、角界入りを決意。決断の背景は。

「公務員として働いて子どもたちに相撲を教えながら、国体に出ました。でも、ベスト16で自分の思う相撲が取れずにいまの欧勝竜に負けてしまい、選手としてもうちょっとやりたいと思ったんです。そのときに、ちょうど角界入門の年齢制限が引き上がったので、悩んだ結果もう一度挑戦してみようと思ったんです。当時23歳。子どもたちが頑張っている姿を見て、自分もまだ頑張れると思いました。たまに、あのまま公務員を続けていればよかったなとも思いますけど(笑)、親には心配をかけたのでね、しっかり頑張らないといけないなと思っています」

――以前、お母様にお話を伺ったとき、たしかにとても驚かれたとおっしゃっていました。

「どうやら反対していたみたいですね、家族会議まで開いて。僕、その家族会議に呼ばれていないんですけど(笑)。当時は母の車を借りて仕事場まで通っていたので、『車買ってやったら入門するのやめるんじゃない』なんていう話にまでなったらしいです。でも、自分の人生、最終的には自分で決めないといけません。いまとなっては、母も応援してくれているのでよかったです。家に帰ると相撲グッズがたくさんあります。階段の下に自分の巨大なタペストリーが貼ってあって、恥ずかしいですけどね(笑)」

――公務員として働いた経験は、現在角界でどう生きていますか。

「角界ってすごく特殊な世界なので、世間との感覚があまりにズレすぎないようにと思えているのは、公務員をやっていたからだと思うんですよね。当時の月給は15万円くらいで、それなりに節約して生きていかないといけなかったし、いまも金銭感覚をなるべくずらさないようにと思って生きています」

――貴重な経験をされてきましたね。

「15日間あると、だいたいいつも3日目くらいに、ああ公務員やっておけばよかったなあって思いますよ(笑)。15日間のストレスはすごいですからねえ」

力士が力士のファンだっていい! 若隆景ファンの一面

――あと、なぜか今場所特に思ってしまったんですが、若隆景関の不在がすごく寂しかったんです。現役の力士でありながら若隆景関のファンを公言している関取も、同じ気持ちだったのではないかなと思っていました。

「いやあ、寂しかったですね…。何が寂しいって、番付落ちちゃうとやっぱグッズが出ないですからね!(圧)毎場所あれを楽しみに生きているんですから」

一山本が集めている若隆景グッズ。これでもまだほんの一部であるという…(写真:一山本提供)
一山本が集めている若隆景グッズ。これでもまだほんの一部であるという…(写真:一山本提供)

――関取から見ると若隆景関はひとつ下ですが、学生の頃からファンだったんですか。

「はい、やっぱりカッコよかったですもんね」

――ちなみに若隆景関ご本人はこれに関してなんと…。

「気持ちわる!って言っています」

――そうなんだ(笑)。

「でも、よくファンの方からもグッズをいただくんですよ。自分のはいらないけど渥(若隆景の本名)のはうれしい(笑)。ファン感(ファン感謝祭:昨年10月に国技館で開催)も楽しかったですよね!自分もファンかってくらい楽しかったです」

昨年10月のファン感謝祭にて、若隆景(左)と撮ってもらったという記念写真(写真:一山本提供)
昨年10月のファン感謝祭にて、若隆景(左)と撮ってもらったという記念写真(写真:一山本提供)

――ああ、全力で楽しまれていますね。渥さん、早く復帰できるといいですね…。

「ケガをしっかり治してほしいって思う半面、早く渥の相撲を見たいっていう気持ち。自分が幕内下位で渥が上位だったときも、渥の相撲だけは絶対テレビで見ていました」

――それをいうと、関取も来場所再入幕です。どんなところに目標を置きますか。

「まずは勝ち越しじゃないですかね。あんまり目標を高く置かないで、調子に乗らないようにしないといけないので。まあなかなか幕内で勝ち越さないから(涙)」

――今後の土俵人生の目標でいうと、若隆景関との対戦でしょうか。

「そうですね、学生時代含めまだ一度も対戦していないですからね。上がってくる渥を待って、僕が大負けして落ちすぎないように(笑)。頑張ります!」

スポーツライター/相撲ライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライター・相撲ライターとして『相撲』(同社)、『Number Web』(文藝春秋)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書に『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』。

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