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【京都市】中京区『下御霊神社』で藤袴とアサギマダラと崎門学派・垂加神道の「山崎闇斎」に詣る

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都の御所に近い寺町通界隈で行われる「藤袴祭」。「藤袴祭」は終わりましたが、まだ藤袴の花を楽しむことはできます!。準絶滅危惧種の藤袴の花は、とっても可憐で優雅な気分にさせてくれます。

以前にも同じ寺町通りにある「行願寺」さんの藤袴について記載しました。(過去記事参照→『革堂・行願寺』で藤袴と平安時代を思う♪ )

「行願寺」につづき、多くの藤袴で彩られるのが『下御霊神社』。

その社名は「上御霊神社」に呼応するものらしいです。(過去記事参照→ 「応仁の乱」発端の地『御霊神社』(上御霊神社)は時代劇のロケ地にも

社伝によれば、809年に不運のうちに亡くなった伊予(いよ)親王(桓武天皇の皇子)とその母の藤原吉子(ふじわらのよしこ)の霊をなだめるために、承和6年(839)に創建されたといわれたとか。また、疫病退散のために作られたとの説も。

正門は、御所の建礼門を移築されたとあります。玄武と孔雀に乗った仙人や麒麟、鳳凰などが見れますよ!

ご祭神は、後に、崇道(すどう)天皇(早良(さわら)親王)、吉備真備(きびのまきび)、藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)、橘逸勢(たちばなのはやなり)、文屋宮田麿(ぶんやのみやたまろ)、火雷天神(からいてんじん)を加えて八所御霊です。

御本殿は、歴史を感じれる佇まいです。

「御所」が近いこともあり、皇室や旧公家とのつながりは深かったんですね。

境内の中にある『垂加(すいか)社』には、江戸時代前期の国学者、儒学者・神道家・思想家「山崎闇斎」を祀ってられました。

「幕末の勤王思想、国民自覚精神鼓吹の大なる先覚者」だったそうです!幕末の志士たちに影響を与えたことがわかりますね。「御所」に近い「下御霊神社」にて闇斎先生は今もここで皇室を守護せられている、ということらしいです。

神垂祈祷(じんすいきとう)  冥加正直(みょうがしょうじき) 

「神の恵みをうける(垂る)ためには人として祈祷が第一で、神慮が加わる(冥加)ためには人として正直をもってするのが根本である」

儒学者としては「崎門学派」、神道家としては「垂加神道」という学派を創設した人物として知られています。

なんども訪れている神社ですが、以前に「下御霊神社」さんで時代劇スターさんのテレビ収録でも立ち会ったことがあります。まさか、その方と「高津商会」の時代劇で使われている小道具たちを通じてまた近くで拝見することになるとは、その時は思ってもいませんでしたw

歴史がいっぱい詰まった寺町通散歩をするだけで学びがいっぱいですね♪

下御霊神社

〒604-0995

京都府京都市中京区寺町通丸太町下る

075-231-3530

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。フォトジャーナリスト、写真映像家、音楽・イベントプロデューサー、特殊ツアープロデュース・ガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。日本映画の発祥時より美術に携わってきた”ジャパニーズハリウッド”京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深め世界進出を夢見る毎日。

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