災い転じて福?国宝・犬山城、鯱の破損・復元の思わぬ効果
早期復元が実現した背景とは…?
昨年7月、落雷を受けて天守の鯱が破損・撤去されてしまった国宝・犬山城(愛知県犬山市)。瓦製の鯱がこの度復元されて、2月26日に設置作業が行われました。
落雷があったのは昨年7月12日。しっぽの部分が破損した瓦製の鯱は撤去され、以来、7か月にわたって天守は北側の鯱を失ったままの状態となっていました(参照記事「落雷を受けた国宝・犬山城。現地取材で分かった意外な事実」)。
「国宝の修復ですからどれくらい期間がかかるだろうと不安でしたが、これでほっとしました」と城を所有・管理する財団法人白帝文庫理事長の成瀬淳子さん。
鯱の復元は容易でないと覚悟しつつも、このタイミングはギリギリだったという成瀬さん。早期の復元を望んだのには理由がありました。
「春の犬山祭(今年は4月7・8日)までにはどうしても元通りにしたかった。鯱のない状態で犬山祭を行うことは絶対に考えられませんでした」(成瀬さん)
東海地方ならではの絢爛な山車からくりが曳き揃えられる犬山祭は、ユネスコ無形文化遺産にも登録されているまさに犬山の宝。やはり文字通り宝である犬山城が不完全な形では、大切な祭りは迎えられないという気持ちが強かったのだといいます。
鯱が撤去された後の思わぬ反響、鯱復元の意外な好結果
夏休みシーズン直前に天守のシンボルを片方失ってしまった犬山城ですが、観光面でそのダメージはあったのでしょうか?
「落雷の被害の調査・安全管理のために天守を登閣禁止にしたのは3日間だけ。それが話題になったこともあってか、その後の来場者はむしろ増えました。結果的に昨年の入場者数は史上最多の約57万人と、一昨年の記録をおよそ3万人更新しました」と犬山市観光協会の後藤真司さん。予期せぬ天災は思わぬ恵みをもたらしたようです。破損した鯱は北側の一体で、観光客が出入りする門とは反対側。訪れる大半の人にとって見た目に影響がなかったのも不幸中の幸いでした。
さらに、鯱の復元はこれまた意外な好結果にもつながったそう。
「壊れた鯱は、伊勢湾台風後の大改修の際に昭和39年に作られたもので、一枚焼きのため焼きむらが出やすかった。今回は胴としっぽを分割して焼いたため焼きむらが少なくてより史実に忠実に復元でき、また重量も約50kgと従来のおよそ半分にスリム化できました」(成瀬さん)
日本一のイケメン城&鯱でさらに人気上昇(?)
さらに鯱復元にあたっての成瀬さんからの注文は、何と「かわいく作ってください」。成瀬さんによると、鯱は一般的に目が吊り上がっていかめしい顔つきですが、犬山城のそれはつぶらな瞳でかわいらしいとのこと。制作を担当した奈良県の山本瓦工業は、姫路城や法隆寺の瓦制作の実績もありますが、「そんな注文は初めて」と面食らっていたそう。それでも、ちゃんとその意向通りの鯱が完成し、「出来栄えがあまりにもよかったので、すぐに天守に上げてしまうのはもったいない」という成瀬さんの意向で、作業当日の朝にメディア公開されることにもなりました。
設置作業は1日で無事完了。3月15日頃には足場も撤去される予定で、近く従来の美しい姿の天守が拝めることになります。成瀬さんいわく「日本一のイケメン城にイケメン鯱が載りました」とあって、これまた大いに話題となることは間違いありません。1537年築城の日本最古の城の存在感がこれでいっそう広く知れ渡れば、今年も入場者最多記録を更新の期待大。皆さんも是非、イケメン城&鯱に会いに出かけてみてください。
(写真撮影/筆者、鯱の写真のみ犬山市観光協会提供)
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