『ちゅらさん』『おひさま』そして『ひよっこ』。3度目の朝ドラでは昭和の光と影を描く 脚本家・岡田惠和
==NO 朝ドラ,NO LIFE
岡田惠和『ちゅらさん』『おひさま』『ひよっこ』
朝ドラは、ごく普通の人間の生活を半年間じっくり描ける==
2017年4月から放送される『ひよっこ』で3度目の朝ドラに挑む脚本家・岡田惠和。16年暮れにクリエーターばかりの新事務所U.F.Oカンパニーに参加、新たな展開が期待できそうな今年。いま、毎回注目され、ほぼ20%を超えの安定した高視聴率を誇る朝ドラの脚本執筆が『ちゅらさん』(01年)『おひさま』(11年)に次ぐ3作めということで、また新しい世界観が期待される。
岡田は朝ドラをどのように捉え、新作『ひよっこ』をどのように描こうとしているのだろうか。
人とつながっていたほうがいい
ークリエーターが集まった事務所や芸能事務所に作家さんが入ることがよくあります。事務所に入るのは芸能人という先入観がありましたが、作家も事務所に所属するのはどういうわけなんですか?
岡田「ベタだけど仲間がいることって大きいですよね。物書きはけっこう孤独なので(笑)。あと、いろんな交渉ごとを代わりにやってくれるひとや、世界を広げてくれるひとがいることは助かるんじゃないかと思いますし、どこにチャンスがあるかわからないから、いろいろな人とつながっておくことは大事な気がします。どうしても、ひとりだと、依頼の電話がかかってくるのを待つばかりになりがちでしょう(笑)」
ー無理やりつなげるみたいですが、つながり、絆、みたいなことに震災以降、みんな敏感になっていますよね。
岡田「ワードとしてしきりに出てくるようになったのはそれがきっかけですね」
ー作品にもそういうものが増えている気がしますが、例えば、岡田さんの実生活の視点と、お書きになるものは連動していますか?
岡田「それはあんまり考えたことないです。事務所設立に関していうと、仕事の縁によるところが大きいですかね。50歳になった頃から、業界ではベテランの域のように言われるようになってきて、今後、仕事を年1本に絞って書いていくようにするか、または、もうちょっと雑多な生き方をするのかという選択に立たされたとき、もともと多作だったけれど、作風を1本に決めるのではなく、このままいろいろな作品をフレキシブルに描いていきたいと思ったんです。ちょうどそういうことを考えはじめた頃が、前回の朝ドラ『おひさま』で、あれは放送がはじまる直前に震災があったので、つながるといえばつながりますね」
ーほんとに多作ですよね(『ひよっこ』を執筆中だが、お正月には岡田が脚本を書いた2時間スペシャル『ダメ父ちゃん、ヒーローになる!』が放送された)。
岡田「『おひさま』の頃から、意識的にドライブかけている感じは確かにありますね。はじめて演劇をやってみたりもしましたし(15年『スタンド・バイ・ユー〜家庭内再婚〜』)」
朝ドラを3度も描くわけ
ー3回目の朝ドラにチャレンジも偉業ですよね。
岡田「いや、橋田壽賀子先生は4回やられていて、そのうち2回は1年ものですから、通常の朝ドラでいったら6回分ですよ。さらに大河ドラマも2回やっていらっしゃいますから。僕がその域に僕が近づけるとしたら、130歳ぐらいまで生きないといけない気がします(笑)」
ー橋田先生は別格として、それでもすごいと思います。
岡田「僕は基本的には朝ドラが好きなんですよ」
ー朝ドラのスタイルが性に合うということですか。
岡田「ひとつには、同じ人物たちのことを長く描けるのは、朝ドラだけだと思います。例えば、連ドラで、続編、続々編というのも稀にありますが、まず一度、終わらせないとならない。朝ドラにはそういうことがなく、登場人物の日常を半年間書けます。大河ドラマも長いという点では同じですが、“大河”というくらいで時代の変革など大きく派手な出来事の渦中に主人公がいないといけない。それに比べたら、朝ドラはごく普通の人間の生活という、地味な素材が長く書ける。僕はそれがすごく好きで、向いていると自分では思っています」
ー岡田さんは、人と人との関係性を会話で描きながら、お話を間断なく繋げていかれる方で、そういう意味では確かに合っていますね。
岡田「たいていのドラマだと、何人かのひとたちが集まってわちゃわちゃ喋っている場面が10分ぐらい続くと、ちょっと長いっすね……という話になるけれど、朝ドラは大丈夫なんで(笑)」
ー大丈夫なんですか。
岡田「もちろん、それが面白ければですが(笑)。『ちゅらさん』のとき、15分ワンシーンでも面白ければいいよって、そういう実験的なことを楽しんでくれるスタッフに出会えたのが幸いだったのでしょう。むしろ、なんと撮影効率のいい、ありがたい話でしょうと受け止めてくれた(笑)。本来、朝ドラの撮影条件は厳しいんですよ。基本、伝統的なスタジオドラマですから、カーチェイスや登場人物が都内を走り回ることはほぼできない。常に、人が落ち着いている場所……つまり屋内で行われることを描くもので、僕はそれ嫌いじゃないんで」
ーむしろ得意であると(笑)。
岡田「だから、朝ドラを書ける作家さんはたくさんいるとは思うけれど、やれるものなら何度でもやりたいとは思っていて、前々からNHKさんにもそう言っていたんですよ。以前、ドラマ10『さよなら私』(14年)というドラマをやったときに、プロデューサー(菓子浩)やディレクター(黒崎博、田中正)とすごくいい空気でやれたので、今回まったく同じチームでやりたいということも言っていて、そのタイミングが合ったのが、17年の4月期だったんです」
ー以前、あるインタビューで、『ちゅらさん』のときに「あまり難しいことを言わないタイプのプロデューサーとやらせてくださいとお願いして」と発言されていて。作家がスタッフを決めることができるんだというのが印象的だったんです。
岡田「朝ドラと大河は本来、制作部の上のポジションの人が座組を種考えるんですよ。『ちゅらさん』のときは、まず、その上層部の方から、沖縄のドラマをと言われて、僕のルーツが沖縄だったから嬉しかった一方で、深刻な問題も抱えた地域だから、あえてそういう場所でコメディがつくれるようなスタッフとやりたいとリクエストしました」
ー最初に沖縄を題材にと言われたときは、社会問題に関して描いてほしいという要望があったのですか?
岡田「いや、そこまではなかったです。あのときは、はじめて沖縄を舞台に朝ドラをやることが第一でした。ちょうど沖縄サミットがある時期だったんですよね。でも、沖縄を舞台にした朝ドラをつくるとしたら、東京制作なのか大阪制作なのか、その線引きもわからない状態でした。まあ、ふつうに考えたら大阪なんだけど」
ー西ですもんね。
岡田「でも、東京でやりたいっていうのがあったんですよ」
ー東京制作だから沖縄から東京へ行く話になったんですか。
岡田「そうです。大阪制作だったら大阪に行ったでしょうね。でもそれだと全然ふつうなんですよ。最近はわからないけれど、昔は、沖縄からだったら関西圏に出る人のほうが多かったので」
ー沖縄と東京も行き来しやすいことが描けたのも良かったわけですね。
岡田「そうですよね」
ーそれよりなにより、日常で楽しくしている人たちのことを描いたことが大事だった。
岡田「その頃、沖縄をドラマでやるといったら、背負っているものについて突っ込んでいくか、さもなきゃ、海が綺麗な観光地という、その両極端しかなかった。そこへ朝ドラで何か描くとしたら、家族性や人間性に焦点を当てるだろうと考えたところに、『ナビィの恋』という映画を観て、そうか、こういうことなんだよなと思えたのがきっかけで、『ちゅらさん』は始まりました」
ーそうやって沖縄の楽しい家族を描いた後、2回目の朝ドラ『おひさま』では戦争をしっかり描いていましたね。
岡田「朝ドラの場合、最初にふたつ、地域と時代を決めるんです。ヒロインが沖縄返還の日に生まれた『ちゅらさん』は、ある種の現代劇でした。朝ドラというと、まず時代物の印象がありますよね。でも、それまで僕は、現代劇でない作品をただの一度も書いたことがなかったんですよ(笑)。もちろん時代劇もないし、戦中戦後の話もない。だから『おひさま』でもう一回、朝ドラをやるにあたって、一度、時代ものに挑戦してみようと思ったんです。場所を長野に決めたのは、沖縄が母のルーツだとしたら、長野は父のルーツだったから。しかも、偶然にもうちの奥さんのほうのルーツも長野なんですよ(笑)」
ーまずは自分の身近なところから描いていきたい?
岡田「親近感の沸く場所のほうが書きやすい気がしたんです。縁もゆかりもなく行ったこともないところを舞台にした場合、まずそこを好きになっていくところからはじめないと脚本は書けないから、それよりはやっぱりなんらかの思い入れがあるところからはじめるのがいいように思いますね」
ー『ひよっこ』の茨城にもゆかりがあるんですか。
岡田「茨城にゆかりはないですが、親しみはありましたよ。けっこう行くことがあるんですよ。例えば、先日、袋田の滝というところへなぜか行きました。今回、舞台を茨城に決めるにあたって、東北や日本海側の地域の可能性もあったのですが、北関東ってちょっと日本のエアーポケットのようなところがあって、東京のひとのなかでは茨城と群馬と栃木の詳細がわからないひともいるから、そんな茨城を盛り上げたいという気持ちがありました。これまで、沖縄と長野の安曇野を描いたことで地元の人たちが喜んでいただけたので、そういうことがまたできればと」
朝ドラにはパターンがあるのか
ー茨城というと水戸とかつくばが思い浮かびます。もっと行くと福島につながってますね。
岡田「今回設定した時代の茨城は、まだ交通の便も全然よくなくて、東京が遠い世界なんですよ」
ー時代を東京オリンピックの年にしたのはなぜですか?
岡田「戦前戦中戦後すぐの時代は一度やったので、今度は、現代ではないが、自分の記憶にある時代を書きたいと思いました。ヒロインにはちっちゃい弟と妹がいて、僕はその子たちとだいたい同世代になるんです。僕は東京オリンピックのときに5歳ぐらいでした。だから、やがてヒロインが上京する東京に対して、SF的な時代物という感覚ではなく、多少なりとも実感があります。最初、プロデューサーに、昭和40年頃の、高度成長期にちょっと陰りが差してきたあたりを書きたいと提案したら、じゃあ東京オリンピックの年からはじめましょうとなりました。NHKとしては、東京オリンピックものをやるには、もう1年ぐらいあとがよかったんじゃないと思ったけれど(笑)。19年に宮藤官九郎さんで大河ドラマがあるしね。もっとも、『ひよっこ』は、オリンピックの年の話ではありますが、オリンピックは全然出てきません」
ー出てこないんですか?
岡田「ええ。その頃、主人公は茨城にいるんで(笑)。その時代、東京はその頃から一極集中してきて人口が一千万人超えていきますが、茨城の人はその発展の様子をテレビで見ていただけなんですよね。実は当時は、いまの地域格差みたいなものが決定的になっていった時代でもあるんですよ。東京オリンピックのための土地開発で、東京への出稼ぎや集団就職が増えていくなかで、ヒロインの父親も出稼ぎに行って建築現場で働きます。それによって光輝くばかりの時代じゃなかったことが描けます。どうしても高度成長期や戦後復興時代をやると、ノスタルジックに、あの頃はよかった、人が温かかった、みたいな世界が好まれるけれど、僕は昭和をそういうふうにはまったく思っていないんです(笑)」
ー実感として、あの頃は必ずしもいいことばかりじゃなかったと。
岡田「あの頃はみんな温かくて、みんなが前を向いていて、みたいなことは幻想でしかない。本当はいまよりひどかったことがいっぱいあるんです。それこそいまでいう格差も、いまとは違う形でもっとすごかったと思うし、だから、そういうことを省いて、ただノスタルジックに描くつもりはないです」
ーとなると、朝からちょっとひりひりとしたものを感じさせるものになりそうですか。
岡田「いや、そんなにつらい話ばかりにはならないですけれど(笑)。基本的には、東京では祭りが行われていたけれど、日本中がそうだったわけじゃないということは描きたいですね」
ー以前、戦争や震災のことを観たくない視聴者がいるから描き方に注意しないといけないという話を聞いたことがありまして。どこまで描いて良くてどこまでがいけないという明確な決まりが、例えば朝ドラの場合あるんですか。
岡田「ないんじゃないですかねー。時代の陰も描きたいとはいえ、さすがに僕も、朝ドラで『蟹工船』みたいなものを描きたいとは思ってないですし。なんとなく時間帯の意識はあって、トーンを明るくしたい気持ちは理解できます。かといって、みんながハッピーですみたいなことは、やっぱり嘘になるとは思います」
ー先日、大森寿美男さんに取材したら、幼馴染と結婚する、みたいなパターンはそれとなくあると伺ったのですが、岡田さんは『おひさま』でそれをやらなかったですよね。http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimatafuyu/20170121-00066805/
岡田「描くこと描かないことにはなんとなく決まったパターンがあるのかもしれませんが、それを踏襲するかしないかは、それぞれの考え方だと思いますね。例えば、僕の描いた『ひよっこ』のプロットは、茨城の農家に生まれたヒロインが、父親が出稼ぎに行ったきり行方不明になってしまったため、集団就職して上京する。トランジスタラジオを作っている工場に入るがそこも倒産して……と、それだけ読むとすごく負な(笑)。でも、とくになにも言われなかったですよ」
ー岡田さんならそれを暗くなり過ぎずに描いてくれるという信頼感かもしれないですけれど、いまお話を伺うと、結局主人公のお父さんがちょっとダメな人っていうパターンは見えますね。
岡田「それはちょっと内緒なんですよねえ(笑)」
ーそうでないと主人公ががんばる話にならないんだなと思いながら、毎度毎度、朝ドラを拝見しているんですよ。『おひさま』の父親はしっかりしていましたね。
岡田「たぶん、女性を主人公にすると自然と母性みたいなことを書くことになっていき、となると主人公の母親の存在もまた大きくなる。『ひよっこ』は、あえて、朝ドラによくある子役時代はつくらなかったのですが、基本、子役時代をやるとしたら、母と父と娘のドラマよりは、母と娘のドラマのほうが、朝ドラっぽいのではないかな? でもそれは僕の思い込みで、基本、自由でいいと思うんですよ」
ー自由でいいんですね。私は『まれ』(15年)から毎日朝ドラレビューを書いているので、ある瞬間、内容が定型に入るのを感じることがあるんです。やらなきゃならないのか、ついなぞってしまうのか、気になっていて。大森寿美男さんがおっしゃる、幼なじみとの恋とライバルっていうのは確かにありますし、お父さんがダメ人間というのもよくあります。最近だと、ヒロインが空気を読まずに無鉄砲でまわりが迷惑するパターンも。似ていることを否定するわけではなくて、そういう類似はちょっと面白いなあと思っています。
岡田「どうしても、過去の成功例みたいなことは無意識にでも意識することはあるかもしれないし、または、作家として、多くの人にフィットする描写を選択することはある気がします。どうしたら共感されるか、もしくは、共感されないものは何かと考えたとき、例えば、好き勝手やる父親は日本社会でぎりぎり寛容されるけれども、好き勝手にいなくなる母親はたぶんまだ寛容の外にありそうです。『ふたりっ子』(96年)のお父さんもひどい人だったけれど(憧れの歌手を追って家を出てしまう)、あれはお父さんだから許容されるのであって、お母さんがやっていたら、たぶん見ている人は許してくれなかったと思う。また、描く時代との関係もありますよね。平成のいまだったら好き勝手やるお母さんも増えているかもしれないけれど、昭和だとまだ多く存在していないとか。17年現在の20歳の女の子と昭和の時代の20歳の女の子ではぜんぜん違ってきます。とりあえず、『ひよっこ』には幼馴染の好きな人は出てきません(笑)」
ーあと、たいてい、主人公と真逆な女の人がライバル的に出てきますね。
岡田「それはありますね、友達でね」
ー『ちゅらさん』では菅野美穂さんがやっていました。作劇として、ヒロインと相対的なものを書くことは必要なんでしょうか。
岡田「そうでしょうね。あまり意識はしてないですが、『ひよっこ』も、親友はいるけど、いわゆる、何かでライバル関係にはならないです。友達のほうが、ちょっとだけ家庭が裕福だったりするけれど。友達が3人そろって集団就職で上京するので、貧しい子とお嬢様みたいな対比はないですね(笑)」
作家の視点が問われるところ
ー『おひさま』もそうですけれど、岡田さんが描く朝ドラはちょっと違うものになっていくのかなあと思います。朝ドラは『べっぴんさん』で95作めで、それだけやれば重なってしまう部分はどうしたって出てきますよね。大変ですよね、誰だって同じだって言われて嬉しいわけがないし。
岡田「まあそうですね。それとね、ほんとに、たとえば、『ひよっこ』の企画をはじめたとき、放送前の『とと姉ちゃん』の情報は同じ局にもかかわらずほとんど得られないんですよ。朝ドラや大河は正式に発表する前の機密管理がとても厳しくて、ほんとに誰も教えてくれないんです(笑)。だから『べっぴんさん』と『とと姉ちゃん』の時代設定が似ちゃったのもしょうがないことなんじゃないかな(笑)」
ー設定や題材がかぶってしまうという件で、『おひさま』で描かれた太平洋戦争はそれこそ、何度となく朝ドラで描かれています。『おひさま』では、そのままリアルタイムとしてその時代を描かず、現代人(斉藤由貴)が、年配になった主人公(若い時は井上真央、年配になってから若尾文子)と出会って、過去を回想していく形を取られたのは、やっぱりちょっと違うやり方をしたかったからですか?
岡田「まず、戦前から戦中戦後のドラマを描くときに、その時代を経て現在、ヒロインが幸せであることを了解事項としておきたいと思っていました。朝ドラとしては構成が複雑で、本編に斉藤由貴さんの物語がときどき入ってくるところが難しい部分もあったのですが、それによって、どんなことがあっても安心感をもたらしたかった。ヒロインが最終回まで死なないなんて当たり前だけれど(笑)、でも、そうとわかっていても辛い目にあうと悲しくなるから、あらかじめ将来を描くことで、けっこう素敵なおばあさんになっているんだと先回りして思えるといいかなと。しかも、それを若尾文子さんがやってくださるっていうことだったので、これはもうナレーションもふくめて本気で取り組みました。ただ、ちょっとスクエアではあったかなというふうには思ってはいます。それと、中盤を描いているときに、震災があったので、プランが大きく変わったわけではないけれど、どこか心理的な影響はありました」
ー当日、NHKのスタジオが揺れていて大変だったそうですね。
岡田「高良健吾君の初日の撮影の日で、一言も台詞をしゃべらないままその日は撮影が中止になってしまったんですよね。あの頃、東京を離れる人も多いような空気の中で、撮影は続けられるのかと心配もしましたし、やれたとしても、あの空気のなか、ちょうど終戦の頃、人がたくさん亡くなっていく話を描いていたときで、いま、これ以上つらい話は見たくないだろうと書くことに迷いが生じました。それはたぶん、つくり手みんなの思いで、あのとき、誰もが平和なものをつくりたい気持ちになったと思います。後半はすごくのどかなものになっていったのは確実に震災の影響ですよね。安曇野ロケに行けない状態になったので、実際、変更もありました」
ー時代の空気として平和なものを求めはじめて、リアルな地震や戦争のシーンを入れないほうに気を使うようになっていく。それこそ『泣くな、はらちゃん』の河野プロデューサーのインタビューをしたとき、DVDで戦争の場面がカットされたと。http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimatafuyu/20150717-00047591/
岡田「そう、差し替えられましたね。テレビのように直接的なメディアは、つくり手の意図してないほうに視聴者が解釈してしまうこともあるので、避けるようになってしまうんですかね」
ーそうやって描かないようにすると今度は描写がぬるいという視聴者もいるから大変だなと思います。
岡田「そうそう、必ず描くことといえば、『おひさま』で、戦争を描く朝ドラをやる作家が必ず一回は通る、“玉音放送”がありますね」
ー必ず通る道なんですね。
岡田「あの時代を書くとね。そここそ作家性が問われるところだと思いますよ。起きることは決まっているわけで、それを主人公なり周囲がどう受け止めるのか、どういうシーンになるのかで、その時代を書くときの作家のありようみたいなことが試されるんじゃないかなと思います」
ー確かにみなさん、違いますね。
岡田「『おひさま』では、主人公はあんまりのショックに寝込みましたが、『カーネーション』の描写はすごく素敵だったなあと思いました。ヒロインのキャラクターに合った受け止め方ですよね」
ー男性は……ってまとめちゃいけないですが、たいてい悔しそうにしていますね。『おひさま』や『とと姉ちゃん』など。『おしん』(86年)では主人公の夫が自殺してしまいます。
岡田「そう、女のひとは、何があってもその日の昼飯もつくらなきゃいけない、みたいなことがある。じゃあこれからの生活はどうなるの? という切り替えはやっぱり女性のほうが早い気がします。たぶん男のひとのほうが、根底から否定されちゃう感じがあって、どうなるんだろうっていう恐怖のほうが強いのかもしれない。もっとも、ほんとのことはわかんないですよね」
ー男の人だって、糸子や常子のように感じたひともきっといますよね。
岡田「だから言っただろうって思っているひともいるかもしれない。だから、それ、たぶん、ほんと人それぞれ、状況次第だと思いますね。おそらく、山田太一さんのような、実際に戦争を経験されている世代の描き方と、戦争を知らない世代の描き方は違うでしょう。ちなみに、戦後の暮らしに関して、戦争を知らない作家たちは皆、暮らしの手帖社の『戦争中の暮らしの記録』を参考にしていると思いますよ」
ー『とと姉ちゃん』にモチーフとして登場した。
岡田「僕も読みました。あれは充実した資料ですよね」
ー何を描くにしても、最近はSNSですぐに反応が出るから大変ですよね。『ひよっこ』は岡田さんにとって、Twitterとドラマの連動が盛り上がり、切り離せなくなってから初の朝ドラになりますよね。『最後から二番目の恋』(12年、続編は14年)なんかもTwitterで盛り上がりましたけれど、朝ドラでは初めてに。
岡田「そう、だから、まじこわいっすよ(笑)。だから、ここのところの自分が描いたドラマが放送されているときの反応は見ないです(笑)」
ーこういう時代からこそ自主規制は増えますか?
岡田「自分も含め、つくり手たちのつっこまれたくないという空気はどの現場にいっても感じます。書いたらどういうことが返ってくるか想定できるとそこは避けたいみたいなことが、共通の心理としてあるんじゃないですかね。でも、もう、なんか、そういうふうにレスポンスの方法が変わっていくことに対して、逃げていてもしょうがないですからね……」
ーすばらしいお覚悟です。
岡田「といって、対策はなんにもしてないですけど、一度開いた蓋が閉じることはないと思うんで。過去を懐かしく思っても仕方ない。ドラマの脚本を書き始めた頃は、テレビ局宛にわざわざ手紙を書くひとなんて、ほんとに少なかったから、逆に言ったら、視聴者がなにを考えているか全然わからなかったんですよ。それがいまでは、視聴者の反応が手に取るようにわかる。書かれたことで心折れることもあるけれど、なかには面白い分析をしてくれている人もいます。そんなふうに考えてなかったけれど、いいふうに解釈していただけてありがたいので、そういうことにしておこうと思うこともあって。いろいろな受け止め方がすごく勉強になることが確実にあるとプラスに考えないと書いていて面白くないですよね。ただし、朝ドラの場合、第1週を観て何を言われても、もう間に合わないですから(笑)。とっくに9週ぐらいを撮影しているので(笑)」
ー連ドラだとぎりぎりのスケジュールで撮っているから視聴者の反応を反映できないこともないけれど朝ドラではそうはいかない。いま、それこそ『ひよっこ』はどこぐらいまで書いているんですか?
岡田「いま(2016年12月)8、9週とかですかね」
ー順調ですか?
岡田「そうでもないです(笑)。もうちょっと早いほうがいいと思われます」
ーだいたい最終回の放送のどれくらい前に書き終えるものなんですか。
岡田「東京制作だと放送が9月いっぱいだから、7月末くらいまでに書き終わるべきじゃないですかね」
ー最終回放送の2ヶ月前。余裕のスケジュールですね、NHKって。
岡田「たぶんそれは、余裕というよりは、その間に一気に同じスタジオで撮らなきゃいけないんです。すぐに次の作品が入ってくるから(笑)」
ー4月から始まるから、17年の7月までずっと書き続けるんですね?
岡田「そうですねー(笑)」
ーまだまだ半年以上ある。最後はだいたい想定しているんですか。
岡田「はい、しています。していますけど、必ずそうしなきゃいけないというふうにも思ってないです。もし、書いていて、キャラクターが育っていったら変わります。それだけ長く書いているので、違うことを思いついたりもするから、そこには、わりと、できる範囲では、フレキシブルでいいんじゃないかなと思っていますが、撮影条件的に、最終回で違う国に行かせるわけにはいきません(笑)。そういう制限はあるものの、はじめて描く時代なので楽しいです」
ーさっきの玉音放送ではないですけれど、昭和の高度成長を、登場人物がどう捉えるか、それを岡田さんならどう描くか楽しみたいですね。
岡田「同じような時代で、『ALWAYS 三丁目の夕日』(05年)というある種の陽な部分を描いた代表的な作品があります。また、ドラマ化もされた『オリンピックの身代金』(ドラマは13年)という小説は、影の部分を描いています。陰陽そろって完全なんじゃないですかね。両方とも真実であり、片方だけだったら嘘なんじゃないかという気がしますね。求められがちなノスタルジーでつくっちゃうと何かを見誤っちゃうように思えて。美術や小道具の再現にしても、レトロで可愛いみたいなふうにしがちだけれど、当時はあれが最先端だったはずで。決して懐かしく可愛いというコンセプトでできあがってないものを、いまの感覚で、なんか可愛いよね、おしゃれだよねって見えるようにつくっちゃうと、全部が伝えきれない気がして。そういうことと同じで、なにか最近、基本的に、未来は暗いほうに向かっているって思いがちだけれど、それも嘘だなあって気がしているんですよ」
ーそうですか。
岡田「なんか、その、みんながそう思っていたらそうならないよねって感じもあるし。だからその、昭和に対して、懐かしさや失われていくものへの愛情や郷愁があっても、そこに戻りたい気持ちは僕にはまったくない。なんかそうなっちゃうと閉じちゃうんじゃないかなと思う」
ーどんな話になるのか、すごく楽しみになってきました。すばらしくいいお話をしてくださっているのにまたくだらないことを聞くんですけど、決め台詞みたいなのはあるんですか?
岡田「ないですね。僕はドラマで1回もそういうものを書いたことないんじゃないかな。ないといえば、ちょっと前に、ヒットの3原則みたいなことが日経だかなにかに書かれていて、“戦争”と“実在の人物”と“女性の成功物語”だったかな。わ、3つとも『ひよっこ』にねえやって思いました(笑)」
ー成功しないんですか?
岡田「別にビジネスとかなんとかで成功しない。金に関する話もないですしね」
ーそこから背を向けられたわけですね。岡田さんはそれこそ、以前、連ドラで『若者のすべて』(94 年)や『彼女たちの時代』(99年)など、都会の片隅に生きる若者のドラマを書かれていて、『ひよっこ』はそういうものに近いのかなと。
岡田「そうですね。ほんとにふっつーの女の子の話ですよ。朝ドラの見方が、『あまちゃん』でいろいろ変わったでしょう。つまり、『あまちゃん』をどう捉えるか。僕は、特例だと思っていて、意識しないようにしようと思っています。あれをある種の成功パターンとして追いかけると、苦しいよね。あれは宮藤官九郎くんという才能がないと紡げないと話ですから。そうなると、そこを追いかけるよりも、過去にあった本流に回帰しようとしている印象はありますね」
ー岡田さんは、最初におっしゃった会話が延々続くようなスタイルを見せてくださるのかなと楽しみで、会話だけで15分間にとどまらず、1週間ずーっと会話しているなんてことは。
岡田「さすがにそれはちょっとまずいかもしれない(笑)。ただ、何曜日には事件が起きて、金曜日には解決するみたいなフォーマットはあんまり考えてないです」
ーそれも、朝ドラあるあるですね。金曜日に誰かが亡くなるとか。
岡田「ふつうだったら土曜日にその週の問題が解決されるはずですが、土曜日は観ない人が多いんでね」
ーちょっと土曜日視聴率下がりますもんね。
岡田「しょうがないですよね、そういう事情は。でも『ひよっこ』はあんまり週単位で書いてないんです。1話、1話なんで」
ーフォーマットで描くとリズムが単調になっていくのを感じますが、岡田さんのように慣れている方はそういう心配はないと思います。
岡田「ヒロインが新人だと、できるだけヒロインに話が集中するように脚本を書きますが、今回のヒロインはお芝居をやり慣れている有村架純さんなので、集団にも埋没することがないから、いろいろなシチュエーションを描くことができる安心感はあります。本人も、プレッシャーがすごいと思いますけど、なんか、すごくいい感じですよ」
PROFILE
Yoshikazu Okada 1959年2月11日、東京都生まれ。脚本家。90年にデビュー、94年『若者のすべて』で、連続ドラマで初のオリジナル作品執筆、以後、人気ドラマ、映画の脚本を数多く手がける。主な作品に、連続テレビ小説『ちゅらさん』『おひさま』、『ビーチボーイズ』『彼女たちの時代』『銭ゲバ』『最後から二番目の恋』『泣くな、はらちゃん』『スターマン・この星の恋』『さよなら私』『ど根性ガエル』『奇跡の人』、映画『いま、会いにゆきます』『阪急電車 片道15分の恋』『県庁おもてなし課』『世界から猫が消えたなら』、舞台『スタンド・バイ・ユー〜家庭内再婚〜』など多数がある。向田邦子賞、橋田壽賀子賞などを受賞。NHKFMで『岡田惠和の今宵、ロックバーで、〜ドラマな人々の音楽談義』のパーソナリティーをつとめている。『奇跡の人』は平成28年度、文化庁芸術祭賞大賞を受賞した。
連続テレビ小説『ひよっこ』は2017年4月3日から放送開始予定