伸ばし続けた髪を剃り、道長と生きた2年を柄本佑が総括する「光る君へ」
グッと来た
大河ドラマ「光る君へ」(NHK)のクランクアップ時、髪を剃っていた柄本佑さん。第45回で出家するシーンがあるため、それまで長く伸ばしていた髪を剃ったのだ。
時代劇ではたいていの場合、かつらをかぶるが、柄本さんは髻(もとどり)を地毛で結う選択をし、伸ばし続けた髪を最後に潔く剃ったのである。
身も心も藤原道長という役に捧げたといっても過言ではない準備期間を含めたこの2年を柄本佑さんが振り返った。
「第45回、出家の場面の撮影では不思議な気持ちになりました。剃りはじめは別にどうってことはなかったんです。頭のうえで剃っているから見えないし、ショリショリ……と音だけが聞こえていて。実感があったのは、途中、髪の毛が頭の上から降ってきて、膝に当てていた手の甲に触れた瞬間。あっ、髪がなくなっているんだって一気にグッときました」
望月の歌はやけくそになって詠ったのではないか、と想像
左大臣のみならず摂政を兼任して、天下無双状態の道長が、まわりから意見されたり(第44回)、まひろが旅に出て遠くに行ってしまったりして、考えを改め出家を決意する(第45回)。有名な望月の歌も道長の奢りから生まれたものではなかったという解釈が「光る君へ」では選択された。
「第44回で道長がいよいよ追い詰められたすえに望月の歌を詠みました。それまでいろいろな人を辞めさせてきた道長が、今度は自分自身が言われる番になって、心理状態としてあまり良くないわけです。これまで一般的に解釈されてきた、権力の頂点に立って満足しているのではなく、むしろ追い詰められていて、苦虫を噛みちぎるほどの半泣き状態だと感じました。演出の黛りんたろうさんに、やけくそになって詠っているのではないかと想像できますが、いったいどういう気持ちで詠んだらいいですか?と質問したら、今夜は良い夜だという意味合いで読むというふうなところで落ち着きました。これまで語られてきた慢心しているという解釈とは違うものに『光る君へ』ではしたいという構想は以前からあったようです」
この歌を実資(秋山竜次)だけが「小右記」に書き残しているこの歌の解釈を巡らせた結果、自信に満ち溢れた権力者の思いではなく、ただその晩の月の美しさを愛でるような雰囲気に。さらにそこへ、まひろ(吉高由里子)と廃邸ではじめて結ばれたときの月を思い出すような演出が施された。
「台本には、歌を詠んだ後、まひろと視線を交わすと書いてあったのですが、正直、僕はそのときどんな顔をしたかよく覚えていないです。台本に書いてあったから目線を交わしたというくらいで、そこに黛さん演出でおなじみの銀粉が降っていて。そういう場に立ってまひろを見たら、自信に溢れているどころではない、ある種ここから救い出してくれみたいな懇願の意味合いで見ていたんじゃないかと思うんですよ」
まひろがいなくなってやり甲斐を見失ったとしか
オンエアでは道長は微笑んでいたが、柄本さんの発言を聞くと、泣き笑いのようにも見えてくる。
「光る君へ」での道長は、まひろ第一。まひろのために権力者となり、国や民の平和を目指そうとしてきた。でも偉くはなったが、たくさんの人を悲しませ、世の平和には程遠い。
「まひろが旅に出たあと道長はすぐに出家しているので、まひろがいなくなってやり甲斐を見失ったとしか思えないですよね(笑)。倫子(黒木華)にも出家の理由を話すとき『休みたい』と言っています。もうとにかく疲れ果てたともう嫌だと思って出家している。こういうふうに道長を描くことが、大石先生のすてきなところだと思うんです。決して立派ではない道長を作っていただいたことを僕はとっても嬉しく思って演じました」
実際、第44回では、頂点を極めたような人物にはまったく見えなかった。ときには目線が泳いでいるように見えることもあり、むしろ、自信がなくなって心細くなっているようだった。
「第44回で、俺が今度は(左大臣を辞めろと)言われる番なのかみたいなシーンでは、黛さんに、ある詩のイメージなんですと言われて、なるほどと思ったんですよ。その詩の内容は、ずっと前を向いてきたけれど、後ろを振り返ったら秋空になっていたみたいな内容で。前を向いているうちはわからないという意味なんです。つまり、道長はこの瞬間、気づいてないけれど、これからどんどん孤独になっていくのだということらしいです」
賢子のことは、ふつう気づくだろうと
頑張ってきたつもりだが、思えば遠くに来てしまったということか。
また、第45回で、賢子(南沙良)が自分の子だと知ったシーンでも、道長は驚くほど鈍感に描かれている。
「賢子のことは、ふつう気づくだろうと、それを匂わせる芝居をしたほうがいいかなと思ったら、チーフ演出の中島由貴さんは、道長は気づかないときっぱり言っていました。だから気づいていないんです。第45回でまひろに言われてはじめて気づいたとき、まひろに行かないでくれみたいなことを言うじゃないですか。自分の子だった賢子のことではなく、まひろのことばかり考えている(笑)。ただ、芝居のうえでは気づいていないふうに演じていますが、編集や劇伴などで、気づいているようにも見える演出が施されていて、視聴者に解釈を委ねようとされたのかなとも思いました」
常に三郎であることが今作ではとても大事だなと思っていた
道長は献身的な行成(渡辺大知)の思いにも気づかず彼の誠意をある意味利用し、「倫子は仕事上の妻、明子(瀧内公美)は「仕事に疲れた後のオアシス的な存在」とこれまた利用するばかり。
「倫子と明子のどちらにも向き合っていない。僕としては、これはまずいなと思うものの、台本でそうなっているからしょうがないなと(笑)、道長の持つ天然の大らかさなのかなと思って演じました」
柄本さんの藤原道長はえらくなるほど頼りない人間くささが露わになっていく。これまでの大河ドラマの権力者キャラのなかでは稀有な存在である。
「もしかしたら大石先生の書かれたこととはちょっとずれているかもしれない僕だけの発見ですが、道長はまひろの前では、常に三郎であることが今作ではとても大事だなと思っていたので、望月の歌の場面でも、そういった意味合いがあるような気が僕にはして。決して強がることはなく、三郎でいた、そんな感じで演じていたような気がします」
明確な意思ではなく、無意識のレベルで、三郎のようになっていたのではないかと振り返る柄本さん。話を聞いていると、柄本佑は演技者としてではなく、その場で道長として生きたという域に達していたように感じる。これは演技の理想であろう。
「剃髪のシーンで手に髪が当たったとき、不思議体験を覚えたのも無意識のレベルのひとつかもしれません。道長を演じるために一昨年の6月くらいからずっと髪の毛を伸ばしていたからこそ、髪がなくなる実感を覚えることができました。このようにその場で実感することの数々が道長を演じるうえで非常に大きかったと思います。役の生きてきた時間を感じることができたというのかな。たいていの仕事は、現場に入ってすぐに演じて、すぐ終わってしまいますが、今回は2年近くひとつの役を演じたことで、何かしら得るものがありました。ただ、この経験がどんなものだったかはっきり自覚するのは、さっきお話した詩の内容ではないですが、10年後ぐらいかもしれないと思っていて。いまはまだ、はっきり言語化できないですが、2年間の現場を通して培われたスタッフや俳優との関係値の厚みを、わずか1日の現場でも出せるようにできないだろうかと思っているんです。2年という長い時間をかけて培われるものを1日に凝縮させる方法はなかろうかと。初対面の俳優やスタッフたちとも、それができたらいいなと思います」
完璧なものを作るということではなく、むしろ、不完全なままでいいという認識を得たのだ。
「ときには1日だけ参加するような現場があり、そうすると短時間の間に完成させようという欲が出ます。が、2年やっていると、焦って自分ひとりで芝居を完成させなくても、俳優やスタッフにいい意味で委ねてもいいと思えるんです。それだけ豊かな現場だったんです。おかげで、解釈の道筋がひとつじゃなくなっていったのかな。そういったところも含めてものづくりの楽しさを感じた現場でした」
解釈を委ねているからこそ、クランクアップしたいまも、「まだ終わってない気がして」と言う柄本さん。
道長のラストシーンはオンエアでどんな解釈が生まれるだろう。
●取材を終えて
解釈を委ねる余白のある芝居をしていた柄本さん。一方で、徹底的に自己管理していた面もある。第43回の宇治の別邸のシーンで、随分背中が痩せているように着物を着ていても感じた。
初期の頃のインタビューでは常に左足から動くことを徹底したと語っていた柄本さん。やるべきことをやったうえで解き放ち、他者に委ねる、柄本さんに演技の真髄を見るような思いがした。
大河ドラマ「光る君へ」(NHK)
【総合】日曜 午後8時00分 / 再放送 翌週土曜 午後1時05分【BS・BSP4K】日曜 午後6時00分 【BSP4K】日曜 午後0時15分
【作】大石静
【音楽】冬野ユミ
【語り】伊東敏恵アナウンサー
【主演】吉高由里子
【スタッフ】
制作統括:内田ゆき、松園武大
プロデューサー:葛西勇也、大越大士、高橋優香子
広報プロデューサー:川口俊介
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、