【パリ】コロナ後の新しい美食 スターシェフGuy Martinの挑戦
月曜の朝、インスタグラムにアップされていたパリのスターシェフGuy Martin(ギィ・マルタン)さんの投稿に目がとまりました。
23秒ほどの動画で、彼はつぎのような趣旨を語りました。
「18世紀からの伝統をもつ『ル・グラン・ヴェフール』は、新しい世界にみあった形の美食の場であろうと思います。これからは、毎日、朝食、アフタヌーンティーの時間も含めて、みなさんに扉を開きます」
フランスではこれまで2回のコンフィヌモン(ロックダウン)を経験し、現在も夜間外出禁止令が続いていて、飲食店はずっと休業状態にあります。ギィ・マルタンさんがオーナーシェフであるこの『ル・グラン・ヴェフール』ももちろん例外ではありません。スピーチをするシェフの動画の背景に広がる美食の殿堂、歴史的建造物指定の見事なレストランも連日静まり返ったままに違いありません。
(これはひとつの革命だ)
動画を見て、わたしはそう思いました。
時代を牽引するシェフ
ギィ・マルタンさんといえば、日本の食通にもファンの多い、フランスを代表するシェフのひとり。20年ほど前に雑誌での連載を担当させていただいたのがご縁で、以来わたしは彼の活動に注目してきましたが、ミシュランガイドの頂点を極めただけでなく、数々のカジュアルレストラン、テイクアウトブランド、そしてパリの空港で初となる、その場で調理したガストロノミー料理を提供するレストランを手掛けるなど、とどまることなく進化を続けてきています。
そんな彼のいわば本丸が『ル・グラン・ヴェフール』ですが、従来のメニューを広げると、1品だけで、日本円でゆうに1万円を超えるものが少なくありません。営業は昼、夜いずれも1回転のみ。少し前までは、金曜夜と土日定休。ゲストよりもスタッフの数のほうが多いという超高級店。それが定休日なしで朝食も始めるとは…。
もうすこし詳しく、新しい展開を知りたいと思いメールを送ったところ、シェフはすぐに電話で応えてくれました。
違う世界になるはず
「これは、コロナ禍になる前から考えてきたこと」
と、シェフは話し始めました。
「ずっと右腕でいてくれているスーシェフのパスカルと一緒に、自問自答してきました。はたして、ひとり300ユーロという値段のレストランがこれからの時代に合っているのだろうか、と。ガストロノミーのあり方は時代に合わせて変わってゆくべきだというのは、わたしたちの頭のなかにずっとあったテーマです。新しい世界、つまりコロナ禍を経験したあとの世界は過去とは違うはず。ガストロノミーのあり方も今までとは同じではないはずです」
では具体的にはどんな料理が出されるのか。そこが気になるところです。
新しく考案中のメニューでは、前菜のオニオングラタンスープ(21ユーロ)から始まり、メインディッシュでも20ユーロから40ユーロ台の料理が並んでいます。曜日によって内容が変わるウイークデーのコースメニューは、2品で45ユーロ、3品で57ユーロと、パリのビストロレベルの価格です。ちなみに1ユーロ126円で換算すると、コース料理がおよそ5,600円から。パリの高級店の価格設定としては破格と言っていいと思います。
気になる朝食はというと、シンプルなフレンチブレックファストを24から30ユーロ程度で提供する予定だそうです。
しかも、これまでサービスは店内だけに限られていて、くもりガラスの内側は外からはうかがいしれないという敷居の高さがあったのですが、今後はパレ・ロワイヤルの列柱の空間や、庭園でも食事ができるようになるようで、文字通り広く開かれたレストランへと様変わりしそうです。
原点に立ち返る
ところで、価格が低くなって、多くの人がアクセスしやすい店になるのは嬉しいことですが、それはレストランのグレードを下げることになりはしないか。プレステージ性、もっといえば、ミシュランの星を落とすことを恐れないのか、と、率直な疑問を投げかけると、シェフはこう即答しました。
「最高の食材を供給してくれる馴染みの仕入先を変えるつもりはありませんし、場所のプレステージ性も変わりません。創造的であることはやめません。リアルな気持ちをもってクリエイトを重ねる。画家、詩人らと同じことです。その場所にいながらにして、旅をしているような、別の次元にいざなうようなクリエイティブな仕事をして行くことに変わりはありません」
そのように大きく舵をきろうとしているシェフの頭にあるのは、この伝説的な場所の草創期の風景です。
一斉を風靡したレイモン・オリヴィエシェフの時代など、『ル・グラン・ヴェフール』には美食の殿堂としての歴史がありますが、さらに時をさかのぼればフランス革命の前から、『カフェ・ドゥ・シャルトル』として人気を博した場所でした。
パリのまん真ん中、パレ・ロワイヤルの一角、まるでパリの心臓のように、時代を動かす人々がそこに集い、談義を繰り広げ、わきたつようなエネルギーに満ちていたのです。
つまり、ギィ・マルタンさんが挑戦しようとしているのは、それらの場所の記憶をすべて総合した形でよみがえらせ、これからの時代を築いてゆくという大きなビジョンに基づいたものだと感じます。
「両親、祖父母の世代が経験した戦争や苦しい時代を知らずにこれまで生きてきました。ところが、旅をすることも、夜に出歩くこともできず、みながマスクをつけ、ディスタンスをとらなくてはならないことになるなんて、1年前には想像すらしていませんでした。いまわたしたちは、生活、生命がいかに脆いものなのかを実感することになりました」
と、シェフ。
「だからこそ、convivialité(コンヴィヴィアリテ)がより大切に思えます」
フランスの食の楽しみを表現するときに、よく使われるこの言葉。「和気あいあい」というような意味合いがしっくりくるでしょうか。
新生『ル・グラン・ヴェフール』で繰り広げられる和気あいあいの光景を見られるのがいつになるのか、まだわかりません。けれども、明けない夜はないはず。もろもろの制限が解除になってレストランが再開した暁には、ぜひとも続報をお届けしたいと思います。