EU離脱どころではない日本の岐路―民主主義からの離脱!?参院選の最大のテーマは憲法
EUからの離脱の是非を問うイギリスでの国民投票で、離脱派が勝ったことで、「こんなはずじゃなかった!」とイギリスの人々が動揺している。離脱派が勝利してから「EUって何?」「離脱するとどうなる?」というものがGoogle検索の上位になったり、再投票を求める署名が320万人分を超えたり…本稿の読者の皆さんの中にも、そうしたイギリスの人々のドタバタぶりに呆れている人も少なくないかもしれない。だが、その日本の人々も、今、イギリス以上に日本が大きな岐路を迎えていることを、どれだけ理解しているだろうか。今、日本が直面している岐路は、EUからの離脱など生易しい。「国民主権」「基本的人権」「平和主義」という憲法の三原則を否定し、平和主義の民主主義国家からの離脱して、軍事独裁国家になるか否かという選択なのである。
〇「国民主権、基本的人権、平和主義を無くせ!」
「国民主権、基本的人権、平和主義、この三つを無くさないと、本当の自主憲法とはいえないんですよ!」―安倍晋三首相が会長を務める、政治団体の創生「日本」の研修会で飛び出した発言だ(上記の動画15分15秒から)。発言の主は、長勢甚遠氏。第一次安倍政権の法務大臣を務めた人物である。言うまでもなく、「国民主権」「基本的人権」「平和主義」は現在の憲法の三原則だ。また、いわゆる先進国とされる民主主義国家はいずれも、「国民主権」「基本的人権」をその政治形態のベースとしている。逆に言えば、これらを否定する国は、民主主義国家ではなく北朝鮮のような独裁国家だろう。長勢氏の発言は、2012年当時のものだが、問題はむしろ、現在の方が深刻だ。何故ならば、安倍政権がこの夏の参院選で大勝すれば、改憲に臨むからであり、そして自民党の憲法草案が、「国民主権」「基本的人権」「平和主義」を事実上、否定しているからだ。
〇基本的人権は政府都合で制限される
自民党の改憲草案の問題点は以前も書いたことがあるが(関連記事)、端的に言えば、基本的人権を、政府の都合で制限できるものとなっている。例えば、「表現及び結社の自由」についての草案第21条には、以下のような条文が付け加えられている。
この「公益及び公の秩序」が何を示すのかという解釈で、いくらでも表現の自由を抑制できることになりかねない、非常に問題のある条文である。現在でさえ、高市早苗総務大臣が政府が「政治的公平性に欠ける」と判断したテレビ局を放送停止にできると、放送法の趣旨を捻じ曲げた発言を繰り返し、安倍首相らもそれに同調しているくらいだ(関連記事)。この上、憲法を改悪したら、それこそメチャクチャな恣意的解釈で表現の自由への弾圧が行われかねない。
問題はメディア関係者のみならず、自民党案のまま改憲されると、誰も彼も、その人権を政府都合で制限されてしまう。自民党の改憲草案12条にも、やはり「公益及び公の秩序」との文言があり、これによって、国民の自由と権利は制限されるというのだ。現在の憲法においても、個人の自由と権利は無制限ではないが、その制限となる「公共の福祉」というものは、とどのつまり、個人と個人の権利の調整機能であり、政府の都合で人権を抑制する「公益及び公の秩序」とは、全く異質なものである。もっとも、自民党の副総裁もその違いを理解していないか、全てわかった上でウソをついているかなので、始末が悪い(関連記事)。
〇政府の独裁を許す「非常事態条項」
「国民主権」も蔑ろにされる恐れがある。日本がとっている議会制民主主義は、主権ある国民から、その代表者として選ばれた国会議員が、国会で様々な政策や法律について審議を重ねながら決定していくというものだ。だが、自民党の改憲草案第98条、99条、いわゆる「非常事態条項」では、戦争や社会の混乱、大規模な自然災害などが起きた場合に、首相が「非常事態宣言」を発令し、法律と同じ効果を持つ政令を国会を通さずに好き勝手に出していい、とされている。しかも、国民はそれに従わないといけないとも書かれている。要するに、首相の独裁体制を許すものであるが、国会を否定するということは、すなわち、国民主権も否定している、と言えるのだ。
そもそも、「第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と書いてあるあたり、自民党の面々は、誰が主権者かを見誤っている。近現代の民主主義国家において、憲法は立憲主義に基づいており、すなわち、憲法に従うのは、国民ではなく、国家権力だ。政府の暴走から国民の権利を守るために、憲法が存在するという考え方である。だが、自民党の改憲草案は「国民どもは俺たちの決めたルールに従え」というもの。それには、主権者が国民ひとりひとりである、という原則を無視していることも無関係ではないだろう。
〇国民に平和に生きる権利はない?!
昨年の安保法制審議で、最大の問題点とされたのは、集団的自衛権の行使を可能とすることだ。つまり、日本が直接攻撃されていなくとも、米国の戦争に自衛隊が駆り出され、日本も戦争に巻き込まれる恐れがある、ということである。だが、現在の憲法において、集団的自衛権は禁止されているというのが、歴代政権や憲法学者らの見解であり、安保法制については、小林節・慶応大名誉教授など改憲派の憲法学者も違憲だと切り捨てている。だが、自民党の改憲草案第9条3項では、集団的自衛権の行使が可能だと解釈できるものとなっているのだ。条文では「国際平和のため」と書いてあるが、安保法制審議で共産党の志位和夫委員長や、生活の党の山本太郎参議院議員に、イラク戦争のことを指摘されても、あくまでも米国支持を貫いた安倍政権である(関連記事1、2)。「国際平和」と言っても、所詮は、米国のためだというのが、本音だろう。
この間、戦場取材を行ってきた筆者として、自民党改憲草案の中でも、一番許せないのは、日本国憲法前文にある「平和的生存権」の削除だ。要するに、自民党改憲草案は、国民に対し「お前らが平和に生きる権利は無い」と言っているようなものである。平和的生存権とは、戦争で殺されたり、戦争に加担させられたりしないで生きられる権利のこと。これを削除したということの意味は非常に重い。
〇参院選の最大の争点は憲法
マスメディアが参院選の争点として、まず第一に挙げるのが、「アベノミクスの是非」、つまり、安倍政権の言い分そのままだ。確かに、経済や雇用、とても重要な問題だ。だが、上記したように、自民党案のまま、改憲されたら、「アベノミクスは成果なし」「貧富の格差が広がっただけ」「オスプレイや外遊に使うお金があるなら社会保障に」と言うことすらも許されなくなるかも知れない。だから、参院選の最大の争点は、あくまで憲法なのだ。「国民主権」「基本的人権」「平和主義」という憲法の三原則を否定してもいいのか、平和主義の民主主義国家からの離脱して、軍事独裁国家に日本を変えてしまうことを選ぶのか、ということなのである。