ファウル・ポールに命名は、福岡ドームが初じゃない!? レッドソックスの本拠地は…
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福岡ドームのファウル・ポールは、ライト側もレフト側も「マルタイ棒ラーメンポール」となった。
3月1日に福岡ソフトバンクホークス株式会社が出したプレス・リリース、「日本初!ファウルポールネーミングライツ契約締結のお知らせ」には、「ファウルポールへの命名権導入は12球団初(※当社調べ)の取り組みとなります」と記してある。
メジャーリーグのボールパークにはこうした前例があるのか、調べてみたが、見つけることはできなかった。ただ、ネーミング・ライツ(命名権)に限らなければ、名前がついたファウル・ポールは存在する。
ボストン・レッドソックスの本拠地、フェンウェイ・パークのファウル・ポールがそう。それぞれの名称は同じではなく、ライト側が「ペスキーズ・ポール」もしくは「ペスキー・ポール」、レフト側は「フィスク・ポール」だ。正式な命名は2006年と2005年だが、ライト側のファウル・ポールは、その前からこの名称で呼ばれていた。
どちらの名称も、選手の名前だ。ジョニー・ペスキーは、1943~45年の兵役を挟み、1942年と1946~52年にレッドソックスでプレーした。カールトン・フィスクは、1969年と1971~80年だ。
ペスキーの通算本塁打は、他チームの選手として打ったホームランを含めても、17本に過ぎない。フェンウェイ・パークで記録したホームランは、レッドソックス時代の6本だ。そのうちの1本が、ホーム・プレートから302フィート(約92.0m)しかないライトのポール付近に飛んだのか、当たった際に、チームメイトのメル・パーネルが「ペスキーズ・ポール」と言い出したという。パーネルはレッドソックスの試合を実況するブロードキャスターとなり、この名称が広まった。
一方、フィスクの通算本塁打は、シカゴ・ホワイトソックス時代を含め、376本を数える。フェンウェイ・パークでは106本。レッドソックス時代に限っても90本だ。ペスキーはパワーのない左打者、フィスクはパワーのある右打者だった。
もっとも、「フィスク・ポール」の由来となったホームランは、そこには含まれていない。1975年のワールドシリーズで打った、ホームランからきている。レッドソックスが2勝3敗で迎えた第6戦の12回裏、フィスクのバットが捉えたボールは、レフト側のポールへ向かって飛んでいった。打ち終わったフィスクが、小さなジャンプをしながら両腕を右に振ったのが効いたわけではないだろうが、打球はファウルにならず、ポールに当たってサヨナラ本塁打となった。この時のフィスクの動作は「ヌレエフ・ダンス」として知られる。こちらは、バレエ・ダンサーのルドルフ・ヌレエフにちなむ。このシリーズの第7戦に、レッドソックスは敗れた。
それにしても、「マルタイ棒ラーメンポール」とは、うまくつけたものだと思う。ナゴヤドームのファウル・ラインを「きしめんライン」としても、それには及ばない気がする。