戦国時代のダークホース人物【3選】本気を出せば天下の覇者に?じつは潜在力バツグンだった人物・前編
数々の名将が天下統一や、勢力拡大をめざした戦国時代。
織田信長が覇権をにぎり、豊臣秀吉から徳川家康に引き継がれた歴史は、多くの人が知るところ。
しかし、そうした人物には一歩およばず・・ながら。
もし本人の野心や決断次第では、つまり本気を出していたならば。
天下人を追い落とせるほどの、潜在能力を有した武将も、同時代には存在していました。
なかでも今回は、一般的にそこまで著名ではないものの、天下人になれるチャンスもあったのでは?
そんな人物3人をピックアップし、その理由とともに、ご紹介して行きたいと思います。
【戦国のダークホース人物・その1】北条氏康
織田信長が生まれる少し前に、関東に一大勢力を築いた北条家。
その3代目当主となった武将です。
圧倒的な大軍で迫る敵勢に、はるか少数で逆転勝利。
また善政を敷き、多くの民衆に慕われていた事実もあり、もともと優れた武将でした。
そんな彼は、どこらへんが天下統一に、手が届きそうだったのでしょうか?
・・ときは1568年。武田信玄が今川家に攻めかかった『駿河侵攻(するがしんこう)』という戦いが勃発します。
もともと武田家、今川家、北条家は3か国で互いに政略結婚を結び、同盟関係を築いていました。
しかし今川義元が織田信長に討たれたことで、今川家は大いに弱体化。
そこを突き、今川領を我が物にせんと攻め入ったのが、武田信玄でした。
その軍事力は圧倒的で、今川の城は次々と陥落。
当主の今川氏真(うじざね)がいる本拠地へ、あっという間に迫ります。
しかし、娘を今川家に嫁がせていた北条氏康は、これに大激怒。
「おのれ信玄!同盟を破ったばかりか、この好き勝手ぶり。
いまこそ今川を助け、武田を追い討つのじゃ!」
駿河に向け、大軍を出陣させます。この北条軍の本気度はすさまじく、武田勢を圧倒。
各地で様々な戦いや、駆け引きが行われたものの、今川・北条連合に旗色は大きく傾きました。
武田信玄は今川攻めを断念どころか、かなり危うい戦況となり、慌てて引き上げて行きました。
・・さて、その後も武田の再侵攻に備え、今川領の各拠点には北条軍も滞在。
守りを固めていました。
今川氏真は、自力では領地を保てないと悟り、北条家から養子を迎え、北条領に移り住みます。
つまりは、今川の支配していた領地(おもに東側)の多くが、北条の庇護下に。
これはもともと支配していた関東一円と合わせれば、巨大勢力です。
しかも歴史ではこの後、織田や徳川は四方を敵に囲まれ、大ピンチに。
それに便乗してぐいぐい京都を目指したならば、北条家のポテンシャルを鑑みても、天下統一は夢ではなかったと思われます。
・・しかし史実では、北条家はさらなる勢力拡大より、関東の領地を堅実に守る選択をしました。
このあと武田軍は、北条の本拠地・小田原城に攻め込みます。
すると北条家は、もと今川領に滞在させていた軍も多く呼び戻し、守りを徹底。
しかし、これは信玄の策略でした。そのスキに手薄になった、もと今川領を攻略。
そのまま徳川家と分割して、支配される結果となってしまいました。
その後も北条家は大きな勢力でしたが、天下取りのレースに躍り出ることは、ありませんでした。
・・これは“たられば”の話ですが、小田原城はかつて上杉謙信が10万以上で囲んでも落とせなかった、難攻不落の名城。
武田軍の襲来にも、今川領の兵まで呼び戻さずとも、守り切れたと思われます。
北条氏康は、武将として一流の人物だったのは、間違いありません。
しかし、あまり大きな野望を抱かなかったのは、天下統一の観点からすると、惜しまれるところです。