ロシア主導の和平協議「シリア国民対話大会」は失敗に終わったのか?:アサド政権を存続させる反体制派
ロシアの保養地ソチで1月30日、シリア内戦の政治的解決に向けた和平協議「シリア国民対話大会」が開催された。
ジュネーブ会議に参加する反体制派(最高交渉委員会)やシリア北部を実効支配するロジャヴァ(西クルディスタン移行期民政局)がボイコットしたこの大会は、日本や欧米諸国のメディアでは失敗したとする見方が強い。だが、その一方で、ロシア、トルコ、イラン、シリアの政府(バッシャール・アサド政権)、野党、そして一部の反体制派は、この大会で、現行憲法の是非を協議する制憲委員会を設置することに合意した。
シリア国民対話大会はどのように評価されるべきなのだろう?
反体制派の足並みの乱れ
シリア国民対話大会は、2017年10月にロシアのヴラジミール・プーチン大統領が「シリア諸国民大会」の名で提唱し、同月のアスタナ7会議でのロシア、トルコ、イランの合意に基づいて開催された。
ロシア外務省によると、大会には、シリア国内外の政治組織、武装集団の代表約1,600人が、ロシア、トルコ、イランの連名で招待された。また、ヨルダン、エジプト、サウジアラビア、イラク、レバノン、カザフスタン、米国、中国、英国、フランス、国連などもオブザーバーとして招待された。
アサド政権が大会に前向きな姿勢を示したのに対して、反体制派の対応は多様だった。国連が主催するジュネーブ会議に参加する反体制派の最高交渉委員会は、「ロシアからの招待状が届いてから態度を決する」として留保を続けたが、最終的にボイコットした。だた、組織全体が参加を見合わせたわけではなかった。
サウジアラビアが後援する「リヤド・プラットフォーム」として知られる派閥を軸とする同委員会は2017年11月に、ジュネーブ8会議(12月)に先立って、ロシアの後押しを受ける「モスクワ・プラットフォーム」、そしてエジプトを拠点とする「カイロ・プラットフォーム」と統合していた(拙稿「シリアでも混乱を助長するだけだったサウジアラビアの中東政策」Newsweek日本版、2017年11月28日参照)。しかし、「モスクワ・プラットフォーム」は最高交渉委員会と(再び)袂を分かつかたちで大会に参加した。また、カタールを拠点とするガド潮流代表のアフマド・ウワイヤーン・ジャルバー(シリア国民連合元代表)、欧州で活動を続ける重鎮の一人ハイサム・マンナーア(カムア潮流代表)ら「無所属」も大会に出席した。
ロジャヴァの不参加と親トルコ勢力の参加
一方、アサド政権に次ぐ政治・軍事勢力であるロジャヴァを主導するクルド民族主義組織の民主統一党(PYD)は、当初参加に意欲を見せていた。だが、同党をクルディスタン労働者党(PKK)と同根の「テロリスト」とみなすトルコが強く反発、トルコ軍によるアレッポ県アフリーン市一帯への侵攻作戦(「オリーブの枝」作戦)に抗議するとしてボイコットした。
ロジャヴァの不参加と、「オリーブの枝」作戦に対するロシア、イラン、そしてアサド政権の事実上の黙認を受け、トルコは作戦に参加する反体制武装集団やそれと連携する政治組織(シリア国民連合傘下の暫定内閣のアフマド・トゥウマ首班)の代表をソチに派遣することを決定した。その数は78人に及び、彼らはトルコ政府がチャーターした専用機でアンカラからソチに向かった。
このほか、ダマスカス郊外県東グータ地方を活動拠点とし、サウジアラビアが後押ししてきたイスラーム軍は、参加拒否を表明した。だが、ムハッマド・ハイル・ワズィール元司令官は「個人資格」で参加した。
なお、アスタナ会議に基づく停戦合意を拒否するアル=カーイダ系組織のシャーム解放委員会、シャーム自由人イスラーム運動に代表される共闘組織は、言うまでもなく、大会そのものを認めない立場をとり、反体制派に参加を見合わせるよう強く迫った。
ボイコットする米仏、参加する国連
招待された諸外国のなかでは、米国とフランスがボイコットした。その理由として、両国は、東グータ地方で停戦履行に関する誓約をロシアが履行していないと主張した。ロシアは1月26日に開催されたジュネーブ9会議において、東グータ地方で停戦を発効する旨誓約したが、同地では、アル=カーイダ系のシャーム自由人イスラーム運動、ラフマーン軍団、シャーム解放委員会などからなる「彼らが不正を働いた」作戦司令室とシリア軍の戦闘が続いていたのだ。
これに対して、国連は、ジュネーブ会議の仲介役を務めるスタファン・デミストゥラ・シリア問題担当国連特別代表の派遣を決定した。シリア国民対話大会の開催をめぐっては、欧米諸国が、国連安保理決議第2254号に基づく和平プロセスに準拠していないとの非難を繰り返してきた。だが、デミストゥラの出席によって、大会は国連のお墨付きを得たかたちとなった。
最終的に大会に参加したのは、「シリア社会のさまざまな階層を反映した1,292人、国外の反体制派は101人、外国からの招待者34人、国連からの招待者19人」だった。
親トルコ武装勢力の帰国
大会は終始波乱含みの展開となった。
29日にソチ国際空港に到着した反体制武装集団の面々は、空港内でシリア国旗があしらわれた仮設施設や掲示物を見て、空港当局や大会関係者にその削除・撤去を要請、これが聞き入れられないと知るや、トルコへの帰国を決心し、入国を拒否したのだ。彼らは、14時間空港に滞在し、30日にソチをあとにしたが、空港の床に座ったり、寝そべったりして時間を過ごす写真がSNS(https://twitter.com/BassamJaara/status/958321532471824384?ref_src=twsrc%5Etfwなど)を通じて拡散された。
野次られるラヴロフ外務大臣
またロシアのセルゲイ・ラヴロフ外務大臣の基調演説でも混乱が生じた。
プーチン大統領のメッセージを代読するかたちで演説を行ったラヴロフ外務大臣が「大会はシリア国民全員を一つにまとめるためのものだ」などと述べると、アサド政権支持者らは拍手喝采を送り、「シリア万歳…プーチン万歳」といった声援を送った。だが、「シリアはロシア空軍の支援によってテロ勢力を壊滅することができた」と発言するや、会場にいた反体制派らが、ロシア語やアラビア語で「シリア国民に対する爆撃を停止しろ」などと野次を飛ばし、大臣は演説の中断を余儀なくされたのだ(https://www.facebook.com/rtarabic.ru/videos/1851744401546532/の4分30秒あたり)。
議長評議会の選出、制憲委員会の設置採択をもって無事閉幕
しかし、こうした混乱にもかかわらず、大会は、議長評議会、採決監督委員会、組織委員会を選出するとともに、制憲委員会の設置を圧倒的多数で可決し、閉幕した。これらの委員会は、主催国であるロシア(そしてアサド政権)が設置を提案していたものだった。なお、ロシア側は、これらに加えて人権委員会など2つの委員会の設置も提案していたが、これはトルコの反対によって見送られた。
議長評議会は大会議事を統括する執行機関で、アサド政権側からガッサーン・カラーア(ダマスカス商業会議所代表)、サフワーン・クドスィー(与党アラブ社会主義連合党書記長)、ジャマール・カーディリー(労働総連合総裁、バアス党)、アマル・ヤースジー(与党シリア民族社会党)、国内で活動する反体制派のマイス・クライディー(「民主主義のためのシリア人」代表)、国外で活動する反体制派のカドリー・ジャミール(モスクワ・プラットフォーム代表)、ハイサム・マンナーア(カムア潮流代表)、アフマド・ウワイヤーン・ジャルバー(ガド潮流代表)、ランダ・カスィース(アスタナ・プラットフォーム代表)が選出された。またクドスィーが議長に、クライディーを含む2人が副議長となった。
一方、制憲委員会は、シリア国民対話大会の「肝」とでも言える機関で、2012年に施行された現行憲法の内容を再検討することを目的としている。委員は150人からなり、「大会に参加したシリア政府支持者3分の2」と「それ以外(反体制派と無所属)3分の1」から構成されるという。この配分は、「制憲委員会メンバーは、トルコ、イラン、ロシアに等しく配分される」とのトルコのメヴリュト・チャヴシュオール外務大臣の発言に対応していた。
制憲委員会は、新憲法の起草(そして施行)を最終目標の一つとする移行期の暫定議会のような役割を担っていると見ることもできる。だが、大会に参加した人民議会(国会)議員によると、この委員会は憲法の再検討のみを行い、その修正をめざすものではないという。
議事は短縮されたのか?
ところで、日本および欧米諸国の一部メディアでは、29日と30日の2日にわたって予定されていた議事が、反体制派の反発などで、30日の1日に短縮されたと報道された。だが、反体制系サイト「ドゥラル・シャーミーヤ」が掲載した議事次第の画像を見ると、議事が予定されていたのは30日だけだったことが分かる。議事次第を和訳すると以下の通りである。
誰がアサド政権を存続させているのか?
シリア国民対話大会は、「シリアの主権、独立、平和、統合の尊重」、「諸外国の内政不干渉」、「国際社会におけるシリアの地位の回復」、「選挙を通じた民主的な方法を通じたシリアの未来の確定」、「政治的多元主義、市民の平等の原則に基づき、宗教的、人種的、民族的な帰属を超えた非宗派主義的民主国家としてのシリア」を確認する閉幕声明を採択して閉会した。
大会は、反体制派が相次いでボイコットし、すべてのシリアの政治・軍事勢力の出席をアピールできなかったという点で確かに失敗だった。だが、ボイコットした反体制派(最高交渉委員会、ロジャヴァ)は、シリア内戦への関与を低下させた米国をはじめとする西側諸国やアラブ湾岸諸国から事実上梯子を外されており、またシリア内戦の「戦後処理」を主導するロシア、イラン、トルコと直接・間接に反目することで、「周縁」化して久しい。
「オリーブの枝」作戦に参加する反体制武装集団は、トルコと連携しているという点で存在を誇示している。だが、アスタナ会議の延長線上に位置づけられたシリア国民対話大会に対する消極姿勢は、国内で武装闘争において反体制派の「中核」をなすシャーム解放委員会などのアル=カーイダ系組織と変わるものではなく、「テロとの戦い」の名に基づくロシアやアサド政権の無差別攻撃に根拠を与えてしまっている。
しかし、こうしたこと以上に、シリア国民対話大会は、反体制派の雑多ぶりを再認識させた。そこには、反体制派としての統一姿勢を見出せなかっただけでなく、一つの組織内でも異なった意見や行動が目についただけだった。シリア国民対話大会を受けて、ジュネーブ会議、アスタナ会議が深化されて然るべきなのだろうが、これらの会議に反体制派の誰(ないしはどの組織)がどのようなかたちで参加するのかさえ分からなくなってしまっているのが実情だ。
これに対して、アサド政権側は、ロシア、イランの全面支援、そしてロジャヴァ封じ込めに専心するトルコからの「消極的」承認もあって、バアス党をはじめとする連立与党だけでなく、国内で活動する野党や反体制派、そして在外の反体制派の一部を懐柔することで求心力を見せつけ、大会議事を「数の論理」で押し切った。
こうした圧倒的な優位は、アサド政権の強権的な「本質」を体現する一方、ロシアのお膳立てによって作られたものに過ぎない。言ってしまえばそれまでである。だが、反体制派の荒唐無稽を踏まえると、シリアの未来を決するための移行プロセスがいかに民主的に推し進められようとも、アサド政権が劣勢を強いられることはない。
「独裁」と批判されるアサド政権だが、それを存続させているのは、反体制派のふがいなさだといっても過言ではない。