日本ラグビーの第3の革命?
いわば日本ラグビーの「リボルーション(革命)」である。2019年にラグビーのワールドカップ(W杯)を開催する日本。このたび、南半球最高峰リーグ『スーパーラグビー』(SR)に新規参入する見通しとなった。
今回の発表では、まだ新規参入の「第1候補」となっている。第1候補の意味は、SRを運営する南半球3カ国協会(SANZAR)が交渉相手を日本に決めた、ということである。大筋では合意。あとは財政面など契約上の詰めをしていくということだろう。
SRとは、ラグビー界が「オープン化」された1995年の翌年96年に始まったプロ選手権である。南半球の3強国であるニュージーランド(NZ)、オーストラリア、南アフリカの各協会(地域協会)がSR用のクラブチームをつくり、12チームでスタートした。少しずつチーム数が増え、現行は15チームで実施。16年シーズン(3月~)からはさらに3チーム加わり、「18」に増える。
日本はシンガポールと1枠を争った結果、19年W杯を開く将来性、ラグビー人口の多さや長く根付いているラグビー文化などで、参入交渉権を確保した。このほか、アルゼンチン、南アフリカのチームが加わることは既に決まっている。
参入決定となれば、SRスタートまで、あと1年半しかない。ジャパン強化にどう直結させるのか。チーム編成から選手の待遇、運営プラン、スタッフ整備、スポンサー、テレビ放映、予算確保まで、やるべきことは山積している。
当然、日本ラグビーの体力(財政力、マンパワー、マネジメント力…)も強化されなければいけない。日程上、トップリーグや日本選手権など現行の国内試合の日程の見直しも必要となる。大学ラグビーのあり様も無関係ではあるまい。これを、新たなラグビー界の仕組みをつくる契機とするしかあるまい。
時代が変わる。1899(明治32)年、慶応にE・B・クラーク氏によって持ち込まれたラグビーの「第3の革命期」となるだろう。第1が、1930(昭和5)年のカナダへの長い船旅による日本代表の初の海外遠征だった。
第2は、1967(昭和42)年のNZU来日から、68(同43)年の大西鉄之祐監督率いる日本代表のオールブラックス・ジュニア撃破、71(同46)年のイングランド代表との死闘、75(同50)年のウェールズ代表来日などの日本代表の国際舞台への飛躍期。
いま、また、日本ラグビーの変革も慌ただしい。19年ラグビーW杯日本開催だけでなく、7人制ラグビーが16年リオデジャネイロ五輪から実施される。日本代表男子はセブンズワールドシリーズに参戦した。先のアジア大会では男子が金メダル、女子は銀メダル。来年のリオ五輪アジア予選に向け、強化が急ピッチで進む。
ポイントは、トップ強化と普及、人気アップをどう効果的に連動させていくのか。日本協会のありよう、中長期の戦略強化、情報の共有・公開の促進も期待される。ついでにいえば、こういった変革期においては、メディアの力量も問われることになる。