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ザ・パット・マクマナス・バンド、ニュー・アルバムで北アイルランドから“電撃”復活【前編】

山崎智之音楽ライター
Pat McManus / courtesy of Pat McManus

ザ・パット・マクマナス・バンドがニュー・アルバム『Full Service Resumed』を発表した。

1980年代初め、北アイルランドからママズ・ボーイズを率いてデビューしたパットは、ハード・ロックとケルト音楽を融合させたサウンドで一躍新ヒーローとなる。1985年8月、“スーパー・ロック'85”フェスティバルでの来日ステージは、今なお“伝説”として日本のファンの口に上るものだ。

パットの自らのバンドによる新作は、ハードでメロディックなサウンドが全編を貫くアルバムで、ママズ・ボーイズ時代のセルフ・カヴァーも収録。往年のファンから若いリスナーまで楽しめるものになっている。

パットが現在と過去の秘話を語る全2回のインタビュー、まず前編では『Full Service Resumed』について訊いてみよう。

The Pat McManus Band『Full Service Resumed』(英The Store For Music / 現在発売中)
The Pat McManus Band『Full Service Resumed』(英The Store For Music / 現在発売中)

<魂の内側から大声を上げるサウンドを捉えた>

●あなたが前回日本を訪れたのは “スーパー・ロック'85”でのママズ・ボーイズのライヴでしたね。どんなことを覚えていますか?

俺の音楽キャリアにおけるハイライトのひとつだよ。アイルランドの地方から出てきた兄弟3人のバンドにとって、日本に行くなんて夢だった。チープ・トリック『at武道館』やスコーピオンズの『トーキョー・テープス』など伝説的なライヴ・アルバムを聴き込んできたしね。そんな夢が実現したのが“スーパー・ロック'85”だったんだ。数万人の観衆がクレイジーになって、最高の経験だったよ。オールナイトのフェスで、俺たちは最後、夜明けになってからステージに上がったのを覚えている。

●早朝、雨で泥沼になった会場でライヴを見たのが、私の青春の思い出となっています。

当初、俺たちはアースシェイカーの次、2番手として出演する筈だったんだ。でもスティングのマネージャーが強硬に主張して、自分の出番を早くした。雨が降ってきたし、さっさとショーをやって帰りたかったのかもね。その日、スティングが自分のバンドのメンバーをクビにする瞬間に居合わせたよ。メンバー達は“スーパー・ロック'85”がフェスだと知らなくて、「単独公演よりフェスの方がギャラが多い契約だ」とゴネ始めたんだ。スティングも怒って「お前たちは出なくていい。俺が1人で弾き語りでやるから」と言い出した。それが丸聞こえだから、他の出演ミュージシャンはみんな大笑いしていたよ。ディオのジミー・ベインが窓から顔を出して「おーい、ベースだったら俺が弾いてやるよ」と野次を飛ばしたんで、スティングは不機嫌そうに舌打ちをしていた。

●ザ・パット・マクマナス・バンドの新作『Full Service Resumed』、素晴らしいアルバムですね。

有り難う。2001年にケルタスでの活動が一段落して、ロンドンからアイルランドに戻ってきて、地元でギターの講師を始めたんだ。それで再びロック色の濃いパワー・トリオ編成のザ・パット・マクマナス・バンドを結成して、アイルランドとイギリスを中心にライヴ活動を行うようになった。新型コロナウィルスの渦中でもオンラインでレッスンをしていたし、アルバムを作っていたから、けっこう忙しくしていたよ。これまでもレコーディングやライヴ活動を止めたことはないんだ。ただメジャー・レーベルに束縛されず、マイペースでやってきたんだよ。でも今回、『Full Service Resumed』が世界的に配給されることになって嬉しいよ。このアルバムは2021年3月に完成させて、まず自主レーベル“ロック・ハウス・ミュージック”から出したんだ。でも“エンジェル・エアー/ザ・ストア・フォー・ミュージック”が注目して、再リリースすることになったんだよ。

●日本は現在でもCD市場が比較的健在なため、あなたが “ロック・ハウス・ミュージック”から発表した『In My Own Time』(2008)『2PM』(2009)『Walking Through Shadows』(2011)、アコースティック・アルバム『Rewind』、ブルース・スタイルの『Tattooed In Blue』などのアルバムを都市部の輸入盤店で購入することが出来ました。『Full Service Resumed』はより多くのロック・ファンの目と耳に触れることになると思います。

うん、それは素晴らしいことだ。日本のリスナーの元に自分の音楽が届いているのは最高の気分だよ。

●ザ・パット・マクマナス・バンドのライヴ会場にはどんな観客が訪れますか?新規のファン?昔のママズ・ボーイズやケルタスのファンも来ますか?

会場にやって来るのは、最近ザ・パット・マクマナス・バンドで俺を知った人が多いんだ。たまにママズ・ボーイズのTシャツを着ている年季の入ったファンもいるけど、若いリスナーが来てくれる。彼らは「ベルファスト・シティ・ブルース」を聴いて「その新曲、いいね!」とか話しかけてくるんだ。もう40年以上前の曲なのにね(笑)。でも彼らの前でプレイするのは新鮮な気分だし楽しいよ。ついこないだ(11月6日)ダブリンでショーをやったんだ。小さな会場だったけど、大勢のファンが来て、盛り上がってくれた。

●『Full Service Resumed』ではロックやケルト、ブルースなどの要素を取り込みながら独自のサウンドを出していますが、どんなアルバムを作ろうとしましたか?

あまり事前に「こんなアルバムを作ろう」とか考えないんだ。ハートから溢れ出る、偽りのない俺のミュージシャンシップをライヴ・フィーリングで表現するようにしている。ハード・ロックの要素もあるし、ブルースやフォーク、ケルト音楽も取り入れている。どれも少年時代から聴いて育ったスタイルだよ。魂の内側から大声を上げるサウンドを捉えたのが『Full Service Resumed』なんだ。

●新型コロナウィルスの流行は、アルバムの音楽性や歌詞にどのような影響を与えましたか?

新型コロナウィルスのせいで、アルバム作りにより集中出来たよ。これまで毎年150回ぐらいライヴをやってきたのが、いきなりゼロになってしまったからね。それはアルバムの音楽性にも表れている。曲のゴールに向かって、まっすぐ突っ走っていくんだ。「ドゥームズデイ・クロック」はずいぶん前、新型コロナウィルスが流行る前からアイディアがあった。ママズ・ボーイズの『リラティヴィティー』(1992)の「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」の頃から環境問題について歌ってきたんだ。父親が農業に関わってきたし、自然や環境は常に密接な問題だったからね。そういう意味で「ドゥームズデイ・クロック」は決して斬新ではないけど、現代ならではの切迫感がある。我々の住む地球は危機に瀕しているし、何度でも歌う価値があるよ。とてもクールな曲だし、アルバムの1曲目にピッタリだと思う。

●アルバムのレコーディング環境はどんなものでしたか?

ベーシストのマーティ・マクダーモットが共同プロデューサーを務めて、彼のスタジオでレコーディングしたんだ。どうレコーディングするか事前に練り込んでいたし、実際のスタジオ作業は10日間ぐらいだったよ。あまり時間を要しなかったんだ。オーヴァーダブも最小限にして、バンドの生のエネルギーを捉えるようにした。俺のアルバムは大抵そうやって作っている。『Rewind』なんて1週間かからなかったよ。

Pat McManus / courtesy of Pat McManus
Pat McManus / courtesy of Pat McManus

<今も、そしてこれからも、弟トミーのことは俺の心の中にある>

●今回リリースされる世界流通ヴァージョンには「ベルファスト・シティ・ブルース」「トゥ・リトル・オブ・ユア・ラヴ」「ハード・ヘデッド・ウェイズ」などママズ・ボーイズ時代の曲のセルフ・カヴァーが収録されていますが、同じ曲でも1980年代と今ではアプローチは異なりますか?

うん、初期ママズ・ボーイズのリメイク・ヴァージョンを弟のジョンに聴かせてみたけど、「最高だね!」と言ってくれた。カーステレオで聴かせたから、自動車の中で映画『ウェインズ・ワールド』みたく2人でヘッドバンギングしていたよ(笑)!彼と意見が合ったのは、「当時こういうサウンドにしたかった」ということだった。1980年代の俺たちは若くて経験が浅かったし、プロダクションのこともよく知らなかった。どうすれば曲が効果的になるか判らなかったんだ。それから36年経って、曲のメリハリの付け方も判るようになった。『Full Service Resumed』に入っているのは、当時思い描いていたけど出来なかったヴァージョンなんだよ。ファースト・アルバム『Official Bootleg』(1980)を作ったとき、俺たちはアイルランドの地方出身の若僧だった。スタジオもしょぼかったし、プロダクションとか関係なく、ほぼライヴ一発録りだった。今回のヴァージョンの方がずっと良いよ。

●弟さんでママズ・ボーイズのヴォーカリスト/ベーシストだったジョン・マクマナスは今どうしていますか?

ジョンはロサンゼルスで写真家をやっているよ。音楽から離れて、写真が今の彼の情熱だ。でも彼のミュージシャン人生は充実していたと思う。ママズ・ボーイズで世界をツアーして、最後に“ファスト”エディ・クラークと日本でプレイ出来たんだからね(“LOUD PARK 07”フェスでファストウェイの一員として出演)!「俺も連れていってくれよ」とジョンに頼んだけどダメだった(笑)。

●同じくあなたの弟さんで、ママズ・ボーイズのドラマーだったトミー・マクマナスのことを、日本のファンは決して忘れていません(1994年11月16日に亡くなった)。

そう言ってもらえると嬉しいね。それは俺たちにとって大きな意味を持つことだよ。彼は素晴らしい人間で、凄腕のドラマーだった。ママズ・ボーイズは3人兄弟によるハード・ロック・バンドという、きわめて珍しい存在だったんだ。兄弟ならではの絆があって、一致団結して世界に挑んでいった。俺がギターを弾いて、横を向けばジョンがいた。そして後ろを振り返ればトミーがいたんだ。若くてナイーヴだったけど、最高にエキサイティングな時期だったよ。トミーは9歳の頃から病気だったんだ。白血病と診断されて、余命半年だと宣告された。両親が彼にドラム・キットを買い与えたとき、それが最後のプレゼントになると覚悟していたらしい。でも彼は諦めず、戦うことを選んだんだ。身体を起こせないときもあったけど、ママズ・ボーイズが日本でプレイしたときは体調が良かった。トミーは「ロックンロールのパワーをもらった」と言っていたよ。実際にベルファストのロイヤル・ヴィクトリア病院で“ロック音楽が白血病患者におよぼす影響”という講演を行ったことがあるほどだ。それから彼は28歳になるまで戦い続けた。今でも、そしてこれからも、彼のことは俺の心の中にあるよ。

後編記事ではママズ・ボーイズ時代の思い出、シン・リジィやホースリップスら偉大なる先達との交流などについて語ってもらった。

Pat McManus / courtesy of Pat McManus
Pat McManus / courtesy of Pat McManus

【最新アルバム】

ザ・パット・マクマナス・バンド

『Full Service Resumed』

英The Store For Music / Angel Air

https://www.thestoreformusic.com/shop.php#!/Pat-McManus-Band-Full-Service-Resumed/

http://www.angelair.co.uk/?tcp_product=pat-mcmanus-band-full-service-resumed

【公式ウェブサイト】

http://patmcmanus.co.uk/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,300以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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