少年院に在院する少年たちに、投資家と起業家が語ったこと
大きなスクリーンを前に背筋を伸ばして座る少年たち。誰一人として私語をすることなく、前方に立つ二人の大人を見ている。少年院という独特の緊張感ある場でも、二人の登壇者はにこやかな表情で、少年たちを見つめている。
JR長岡駅から車で20分ほどの山間にある新潟少年学院。ここは16歳から20歳までの54名(2019年12月20日現在)が在院している少年院だ。
この日は、全国の少年院で行われる講話のなかでも非常に珍しいセッションが行われた。登壇者のひとりは、株式会社サムライインキュベート代表取締役の榊原健太郎氏。創業・シード期に特化して出資・インキュベーションなどを行っている。
もうひとりは、関東圏において介護領域で事業を拡大させている若き起業家の田中氏(仮名)だ。田中氏は、過去に少年院に収容されていた経験を持つ。
榊原氏に、このセッションを企画立案した理由を聞いた。
「日本、イスラエル、アフリカで起業家支援をしている。常にチャンスが少ないひとにチャンスを創りたいと考えて事業を行っている。まさに少年院の少年たちはそういう人たちだと思う。さらにインパクトが大きいため、多くのひとが注目して動き始めるきっかけになったらいい。きつい環境のひとでも変われることを証明したい。」
と話す。投資というと10代後半から20代の起業家をイメージするが、榊原氏はこれまで13歳や58歳の起業家にも投資してきた。金銭的な投資とリターンだけでなく、負の連鎖を止めるきっかけを作りたい。少年院の出院後に就職ができなかったり、引き受け先がない少年がいることを聞いて、やらなければならないと考えたという。
友達に声をかけるのも怖かった幼少期
少年院での講話と聞けば、檀上から講師が話し続け、途中や最後に質疑を行うことが多いのではないか。しかし、本セッションでは、事前に在院少年に質問を取り、その質問に回答する形式を採用した。
冒頭、榊原氏は少年たちに向かって自己開示をした。職人気質で寡黙な父親と過保護の母親のもとに育ち、友達を遊びに誘うことすら断られるのが怖くてできなかった幼少期、バレンタインデーのお返しすらも母親の力を借りたこと。そしてとにかくいじめられないように生きてきた。
その当時の写真がスクリーンに映し出されると、笑っていいのかどうかわからない気持ちと、その写真のインパクトの間で、何かを押し殺すような、しかし止められないような笑いが生まれた。
そして、そんな自分を変えようとした二つの原点を話す。ひとつは、父親の職業柄、葬儀によく付き合いで両親が参列するとき、一人寂しく食べた夕食のこと。自分の葬儀の際、付き合いではなく、誰よりも感謝されてその日を迎えたいと考えた。
もうひとつは、小学校の運動会で務めた応援団長。過去の記憶の中でもっとも自分が輝いていた記憶。リーダーとして仲間を応援する楽しかった記憶。大学生になったとき、そんな記憶と自分と照らし合わせて、変わらないといけないと考えたという。
その場で泣いた、少年院送致の決定
少年時代からスポーツに打ち込み、学年が上の年代でもレギュラーを務めるほどであった田中氏は、中学時代から友人らとバイクを盗んだり、煙草を吸うこともあったと言うが、それでも「歯止めが効いていた」環境でもあったと話す。
「悪いこともしていました。しかし、このラインを越えてしまうとスポーツを続けられなくなってしまう。」
そのスポーツの先に将来を見ていた田中氏の「歯止め」が効かなくなったのは高校生になってから。強豪校の顧問に声をかけられ進学した先の部活だが、その顧問が変わってしまっていた。「素人に指導されることに耐えられなかった」田中氏は、勢いで退部する。しかし、これまでの目標が崩れ、判断基準が揺らいでしまう。
「部活を辞め、どうしていいのかわからなくなりました。遊ぶのが楽しく、夜に友達と徘徊するようになった。判断の軸がなくなり、楽しいか楽しくないかで行動するようになり、それが犯罪であるかどうかは関係なくなってしまいました」
部活を退部してほどなく、田中氏は少年院に収容されることになる。少年院に行くことはないのではないかと考えていた田中氏の目の前に突き付けられた結論は少年院送致。その決定を聞いて、その場で泣いてしまった。「まさか!」という思いと「人生終わった」感情が交錯した。
二人への質問
「今」になる「分岐点」はなんですか?
田中氏:少年院に入っても、最初はうまいことやって、先生(法務教官)にいい顔して出院すればいいやと思っていました。ただ、ある日、少年院に入る前の自分と何も変わってないことに気が付いたんです。
そのとき「助言」(他の少年に助言すること)を積極的にするようにしました。「〇〇さん、この部分はちゃんとやった方がいいですよ」というものです。また、当月掲げた目標に対して、自分はこうしたという発表もしっかりするようになりました。
すると、「田中さんは先生に評価してもらおうと思ってこのような発言をしていると思います」というような言葉をもらいました。それについて先生に文句を言ったとき「お前が正しいと思っているのなら続けなさい」と言われました。
少年院の出院が近づいたときは、学級委員のようなものをしていたのですが、過去の集団不正がバレてしまい、自分もそこに加担していたのですが、先生に「やってません」と嘘をついてしまいました。そのとき、先生が僕に「言いたいことがあるならいいなさい」と言ってくれたんです。
その件について先生に謝罪し、毎月面会に来てくれる家族にも謝れるようになりました。親から「謝ってきてくれてありがとう」と言われました。それが分岐点です。そこから自分を本気で変えて行こうと思いました。
起業するにあたって一番大きな壁、準備は何をすればよいか
榊原氏:とりあえず起業するというひとは少ないです。誰の課題を解決するのかを決めるのがいい。山で遭難するひとをなくしたい、いじめをなくしたいでもいい。いろいろなひとが課題を持っているので、それを見つけて、あなたはどれを一番解決したいかを考えてみましょう。それがないと起業はうまくいきません。
田中氏:介護領域で会社を経営していますが、病院にいるときにはよいサービスがあっても、退院すると医療の専門家が不在のサービスになってしまうことがあります。その課題を解決しようと思って私は起業しました。
起業をしようと踏み込めた大きい理由と失敗を考えなかったのかを聞きたい
榊原氏:自分をどれだけ信じられるか。
田中氏:少年院にいた経験が大きいです。いろいろやりたいことが制限される世界の経験と比べたら、外の世界のつらさは大したことがない、飛び込めます。
榊原氏:できるかできないかでなく、やるかやらないか。自分を信じるしかありません。みなさんが少年院にいることを前向きに、少年院をきっかけに、自分にはこれができるんだと考えられるようにしてください。
ひとを見るときに気にするポイント。信頼できる取引相手の条件は
田中氏:スタッフを雇用するときだと、感覚が近いひと。履歴書を丁寧に書いているかなど。
榊原氏:連絡の応答が早いひと。自分で悩みを抱え込まないひと。すぐに回答できなくても、いついつまでに返信しますと返せるひと。他には、過去の失敗経験を言語化して、どうカバーしたのかを素直に伝えられるひとかどうかを見ます。
これからの世界はITとどう関係していくのかという話を聞きたい
榊原氏:ケニヤやナイジェリアなど、アフリカは動物がいっぱいで、注射を打たないと難しい病気にかかるイメージかもしれませんが、いまは以前に比べてとても安全です。経済も延びています。Uber知っているひといる?いますね。いまアフリカでも広がっています。理由は誰でもタクシードライバーになれるからです。アフリカの平均月給は3万円ですが、Uberだと7万円です。
そのようなIT化が進むと、現金が見えなくなるので街が安全です。また、ドライバーの評価があるので、悪いことをするひとが少なくなります。新しいテクノロジーが困っているひとの問題を解決していることを感じています。
榊原氏への質問
20歳前後のとき、どのようなことを考え、将来についてどう考えていたか
榊原氏:田中さんのお話を20代で聞きたかったです。その頃、私は社会人になるとはどういうことかをあまり考えていませんでした。必死に生きていける自信をつけようとしていました。
ほぼゼロからの起業(創業)はなぜできたのか。どうやってそこまでたどりついたのか
榊原氏:このままでは輝いていた頃のような応援団長になれないし、まずいと思ったから。そして、自分を信じ続けたことで今があるのではないか。
最初は自信がなかったとのことですが、自身をつけるために役立った「支え」は何ですか。
榊原氏:失敗すること。それがあるから、今日もみなさんの前で話をさせていただくことができる。自分を信じるしかありません。
「やるかやらないか」ではなく、最初に「やってもできない」と考えてしまうことを改善する方法
榊原氏:ここで自分がやらなければ、やらないことが連鎖してしまう。過去、現在、未来をちゃんとつなぐ意識を持つようにしています。
できない理由を「できる」に変えるために大切なことは
榊原氏:例えば、LINEで知人に告白する、つまり行動すること。小さなできないをできるにしていく。やってないことをまずやってみる。やってみて、できないことをできるようにする。それでもできないのであれば、できないことを伝えて、できるひとに助けてもらう。
田中氏への質問
20歳前後のとき、どのようなことを考え、将来についてどう考えていたか
田中氏:少年院に入り、出院したら資格を取るための学校に入ると決めていた。ただ、お金がかかるので、そのための資金を貯めるために働いていました。
「軸」が折れても腐らなかった秘訣、「軸」がない人はどうしたらいいか
田中氏:同じような経験をしたひとたちにきっかけを与えるようなことがしたい、というのは新しい軸になっています。
軸を見つけるために、好きと嫌いを書きだしました。嫌いなものは仕事にできないので思考から消していき、好きからどんな仕事があるのか考えました。好きなもののなかでも、特に好きなものに、人と話をするが残っていて、職業ガイドのようなものを眺めながら関連付けできる仕事を探し、いまの仕事にたどり着きました。
「軸」をぶらさない、ブレない心を造るためにどうしたらよいか
田中氏:出院後、これまでの友人とも出会いました。そのとき、派手な格好をしていたり、いい時計をしていたり、何をしているのかはわからないが、やっぱりうらやましいという気持ちはありました。誘われたときもブレそうになりました。
ただ、いま友人の誘いに乗れば一時はいいかもしれないけれど、10年、20年、30年後は、その友人よりも違う場所にいたいと思っていた。出院してすぐはお金もないし、ブレそうな経験もしたけれど、未来に向かっていまを頑張ろうと思っていました。
学校に行くためのお金は、やりたいかどうかではなく、当時の僕が就ける仕事のなかで収入がいいものを選びました。ただ、有資格者になりたいだけだと弱い。方向を切り替えて別のところに逃げることもできてしまう。ただ、起業したい気持ちはずっとあって、それであれば迷惑をかけた家族や、多くのひとたちに恩返しできることが増えるのではないかという気持ちを大切にしていました。
セッション後の質疑
他者と接するときに気を付けていること
田中氏:僕が接するのはスタッフや利用者の方です。相手の立場に立って、自分だったらどう思うかを常に考えています。
榊原氏:投資家、起業家支援をすることは、「支援します」と言った段階でそのひとの人生に深くかかわります。その方が人生を通じてどういったことをすると幸せなのかを聞いて、仕事もプライベートも含めた家族の一員だと思って支援します。
嫌いなひととどうしてもかかわらなければならないときはどうしていますか
田中氏:嫌いなひとはあまりいませんが、合わないひとはいます。仕事だと合わないひとともかかわることになります。ひとつは割り切ること。もうひとつは、ひとには良い面も、そうでない面もあります。嫌いな相手にもいいところがあるはずで、そこを探すようにしています。
榊原氏:ひとを嫌いにならないようにしています。嫌いになると、相手も自分を嫌いになるからです。会ったひとと仲良くなる方法があります。その方がどこで育ったのか、家族はどういうひとかなど、いまにいたるプロセスの質問は距離感がぐっと縮まります。
ひとに雇われて働いたことしかないので、自らが先頭に立って働くイメージがつかめない
田中氏:僕も最初は雇われていました。下積みがあってのいまです。出院してやるべきことがあるのに、それをいきなり飛び越して社長というのはないと思う。ちゃんと積み上げたものがあるから、助言もできる。目標を決めて、そこに向かって着実に歩いていくのが大事だと思います。
榊原氏:リーダーはひとが嫌がることを率先してやります。その積み重ねが信頼を重ね、リーダーになっていきます。
刺青などが入っていると起業に制限がかかったり、投資してもらえないこともあるのか
田中氏:そういう友人のなかに、会社を経営しているひともいます。
榊原氏:日本ではそれが壁になることがあるかもしれない。でも、海外ではファッション。登記や上場もできる。日本だけにこだわる必要はない。逆に、刺青が入っていても成功できることを証明したらいいのではないですか。
予定の時間をオーバーしても、少年からの質問が終わることはなかった。最後に、榊原氏は事前に少年からもらった、涙を流してしまった質問を取り上げた。
こういうところにいるので、そういうこと(人助けや社会貢献)をすると批判されそうだけどそういうことをしてもいいのでしょうか?本当に自分は変われますか?
榊原氏:本当に変わったひとが、今日、みんなの目の前にいます。
田中氏:僕は掛け算だと思っています。少年院に入ったことは人生のハンディキャップになると思うかもしれません。でも、実際僕はここにいます。
僕は少年院に入ったことと、介護領域で起業していることを掛け算にしている人間です。いくつかの少年院で今日のように、みなさんの前でお話させていただいています。
みなさんにも、少年院と掛け算できる何かを作ってほしいです。本日はありがとうございました。
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少年院に在院する少年たちと、投資家である榊原氏、少年院に在院経験のある起業家の田中氏のセッションは、どのような形で進むのか想像もつかなかった。
しかし、少年たちからの質問はどれも「出院後の自分の人生」を真正面からぶつけ、起業するかしないかではなく、どのように生きていくべきか。少年院にいる自分の過去から現在と、出院後の未来をどうつなげて更生自立していくか、という真剣なものばかりであった。
そして、少年たちの質問に対して、同じく正面から言葉を紡いでいった榊原氏、田中氏の表情も真剣そのもので、ここが少年院であることを忘れさせるほどの熱量であった。
あまり認識されていないが、少年院は矯正施設という矯正教育を行う機関である。今回のセッションが少年の更生自立にどのような教育的効果を発揮するのかは、少年が出院してから先の社会の側の課題でもある。
投資家や起業家が少年院で話をする例はあまり聞いたことがないが、新潟少年学院で少年が法務教官の指導のもとで築き上げた更生自立への土台の上に、新たな可能性の芽が育まれるきっかけとなることを期待したい。