地震のあとは食中毒と洪水に警戒 70年前の福井地震
北陸で大雨・関東で猛暑
北海道を通過した発達中の低気圧から前線が東北地方から北陸地方へ伸びています(図1)。このため、北陸地方を中心に大雨となっています。
また、前線に向かって暖かくて湿った空気が流入している北陸から西日本の日本海側の地方では、大気が不安定となって落雷と局地的豪雨の可能性があります(図2)。
一方、関東地方など、太平洋側の地方では晴れて暑い日が続くというように、日本列島は地域によって気象が大きく異なっています。
大阪北部の地震から約一週間
大阪府北部で震度6弱を観測した6月18日から10日がすぎました。この間、被災地では高温で湿度が高く、時にはまとまった雨が降っています。
不衛生になりがちな被災地で、食中毒の危険性が非常に高まる気象状況下にもかかわらず、大規模な食中毒が発生していないのは、関係者の努力のたまものと思います。
地震の被災地では、土砂災害等の雨による災害が発生しやすくなっていますので、局地的に強い雨が降る6月28日(木)、29日(金)は雨の降り方に注意が必要です。
また、最高気温が30度をこえて、真夏日になることから食中毒の危険性の高い状態が続いています。雨とともに、食中毒にも注意が必要です。
70年前に福井地震
福井市は、太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)7月19日のB29爆撃機による空襲で市の95%が焼失、死者1600人などの被害を受けています。戦後は繊維産業を中心に復興した直後の昭和23年(1948年)、今から70年前の午後5時13分(サマータイム)に福井地震が発生し、大きな被害がでています。
震源地は福井県北部で、死者3769人、全壊家屋36184棟という大きな被害が発生しています。福井市では、建物の倒壊率が80%と著しく、その周辺の郡部でも倒壊率が50%をこえました。
このため、これまでの震度階級の最大値6では、とても表現ができないと指摘され、震度階級7(烈震)が新たに作られています。実際に、この烈震が最初に使われたのは、平成7年(1995)1月17日に発生した兵庫県南部地震からです。
つまり、福井地震は実質上、最初の震度7の地震ということができます。
また、福井地震当時は風速が毎秒5メートル未満と弱く、異常に乾燥してわけでもありませんでしたが、夕食のしたくどきであったこと、地震で水道や井戸が使えなかったこと、無統制のバラックが多かったことなどから、4000棟を焼く大火となっています。
福井市は、戦災、震災、火災と続き傷がいえないうちに、水害の被害も受けています。
昭和23年(1948年)7月1日からは福井地方で連続的に豪雨があり、特に7月23~25日の豪雨では、地震で傷んだ堤防の修復が不十分であったこともあり、九頭龍川の堤防が決壊するなどで、死者5名、流失家屋3000棟、浸水家屋26000棟という大きな被害が発生しています。
しかし、進駐軍(米軍)の救援活動もあり、大災害後に、二次災害である大規模な食中毒や伝染病が発生しなかったことが、復興につながり、福井市は「フェニックス(不死鳥)」と呼ばれるほどの復興をとげています。
図1、図2、図3の出典:ウェザーマップ提供。